稽留流産の診断を受けた翌日。
切迫流産の診断以来
ずっと休んでいた会社に出勤しました。
たまりにたまっている仕事も心配だったし
私が休んでいた間に迷惑をかけた方々に謝罪もしたかったし。
でも、会社で噂になっていることはわかってたから
それを聞かれたらどうやって答えようか…って心が苦しかったな。
朝礼で、社員のみんなに迷惑をかけてしまったことに対しての謝罪をして
さらに、来週からまた1週間程度休まなくてはならないことを報告し謝罪しました。
流産したことは話してないけれど
察した人からは
「これ食べて元気だしなっ!」ってお菓子をもらったりして。
その心遣いが嬉しかったな。。。
どうしたの?って率直に聞いてくる人もいたし
妊娠したんだろうなと予想して
「最初が大事だもんね」と話しかけてくる人もいました。
嘘をつくのも嫌だったから
聞かれたり話しかけてきた人には
「妊娠したけど、今回はうまく育たなかったんだ」と話しました。
その中に
”私も流産したことあるから気持ちわかるよ”って言ってくれた人が
2人もいたことに驚いた。
初期流産は本当によくあることなんだって思ったら
正常に妊娠して、無事に何事もなく出産できることって
本当に奇跡なんだって実感しました。
流産を経験した2人は経験談を話してくれたり
「また妊娠できるから大丈夫!」って励ましてもらいました。
(その2人とも、流産後、2~3人のお子さんを生んでる)
とても励みになったし、気持ちを「披露宴」にうまく切り替えられたのも
実際に流産を経験した人がすぐ近くにいたからかもしれないなぁ。
入院までのこの1週間はあっという間だったな。
流産宣告を受けた翌日から徐々に出血も始まりました。
先生から稽留流産から進行流産になり
出血が始まる場合もあるし
ことによってはそのまま完全流産するかもと
言われていたから、驚かなかった。
激痛で堪えられないときや
塊が血と一緒に出てきた場合は連絡するように言われていましたが
出血はありつつも痛みもほぼなかった。
仕事もたまりにたまってたし
また1週間休むから、その期間にやらなきゃいけないことを
先行してやらなきゃならなかったし
今回みたいに私が予想せずに長期休みになってしまう時の為に
私の仕事内容の一部を他の人もできるように
引き継ぎのマニュアルも作らなきゃならなかったから
忙しくて良かったなと思ったり。
小さい会社だから、私ひとりで購買部をまわしていたし
違う部署の仕事もかなりかじっていたから
私が休むと社内はもうてんやわんやだったらしい。。。
申し訳ないと思いつつも、結婚をすると報告した時点で
いつかの為に後任のことも考えてほしいと言ってあったんだから
早めにその後任を育てる為に、動いてほしかったのになと思いつつ。
そんなこんなで
昼間は仕事に追われ、夜は披露宴の準備に追われ
あっという間に入院の日を迎えました。
1月28日。
赤ちゃんの心拍を確認してから
初めての診察。
一般的には「赤ちゃんの心拍を確認できたら
流産の可能性はグッと低くなる」そう。
だから、希望は捨てられなかった。
だって、この目で確かに見たんだもん。
赤ちゃんの心拍が動いているのを。
診察室に入ると、この間を違う先生。
この病院では外来患者は、毎回違う先生が診るのだそう。
早速内診。
緊張でおかしくなりそうだったな。
エコーを見て、すぐにわかった。
赤ちゃん、動いてない…………
前回、チカチカと一生懸命点滅していたところが
全然点滅していなかった。
先生に恐る恐る聞きました。
「心拍は、ないですか…?」
先生は冷静に
『僕のみる限りでは、動いてないね。
赤ちゃんらしきものは見えるけど。』
と言った。
やっぱりダメだった。
赤ちゃんはもうお腹の中で死んじゃったんだ。
「死んじゃった」と思うと涙が止まらなかった。
診察台の上でこらえきれず嗚咽をもらした私に
看護婦さんがティッシュをくれました。
優しさが余計に涙になった。
その後、先生の診断は
”6週相当での稽留流産”でした。
計算からいくと、この時8wであるはずの私の赤ちゃんは
6wぐらいの大きさしかなく心拍もない。
本来この時期は赤ちゃんが急減に育つころで
この大きさで心拍がない
というのは流産の決定打となりました。
そこで、もう1度初期流産はよくあることだと説明を受けました。
淡々とした話し方だったけど
先生の説明はとても丁寧だったのを覚えています。
看護婦さんもとても優しかったな。
そこから、今後のことを聞かれました。
・自然流産を待つか
・流産手術をするか
どちらの利点欠点も聞いた上で
流産であることをどうにか受け止め
先生に2月9日が披露宴であることを告げるとビックリしてた。
前回の先生には伝えてあったけど
驚きもなにもしなかったから、こっちもさらに緊張が走った。
そこから話は急展開。
このまま自然流産を待っていたら
披露宴当日に大量出血で卒倒!なんてことも考えられる。
医者の立場からしたら、このままの身体で披露宴をさせることはできない、と。
この時点で流産手術をすることが決定に。
この病院では、手術前日に入院して前処置を行い
翌日午前中に手術、様子を見て午後退院、というのが一般的だそう。
本当はすぐに入院して手術をして
術後1週間安静にした後に
披露宴をやるのがベターだと言われたけれど
ここはとても人気?の病院で
今週中はどうしても手術の予定がたたなかった。
しょうがなく最短の日程で予約をとってもらいました。
2月4日に入院。
2月5日に手術、退院。
3日間は自宅で安静に。
4日目に披露宴、というスケジュールに。
ギリギリ。。。
流産してしまったことの悲しみもあったけれど
これは誰にでも起こりえることだと自分を言い聞かせ
今は披露宴を無事に終える、という目標に切り替えて
心を落ち着かせました。。。
それでもオット殿に稽留流産だと
報告した時は泣けて仕方がなかったな。
待合室にいる妊婦さんたちが
羨ましくてしょうがなかった。
オット殿は
「今回のことはしょうがない。
赤ちゃんが授かれるとわかっただけでも良かったじゃない?
それに、自分の気持ちもわかった。
赤ちゃんができたと聞いたときに、嬉しい気持ちになったんだ。
嬉しいと思った自分がいたんだ。
パパになる覚悟ができる自分がわかって嬉しかったんだよ。
だからまた頑張ろうよ」
って言ってくれた。
悲しかったけど、嬉しかったのも覚えてる。
切迫流産という診断を受けた時点で
実家の両親には話をしていたから
この時、流産の報告をしなくてはならないのも辛かったなぁ。。。
赤ちゃんの心拍を確認してから
初めての診察。
一般的には「赤ちゃんの心拍を確認できたら
流産の可能性はグッと低くなる」そう。
だから、希望は捨てられなかった。
だって、この目で確かに見たんだもん。
赤ちゃんの心拍が動いているのを。
診察室に入ると、この間を違う先生。
この病院では外来患者は、毎回違う先生が診るのだそう。
早速内診。
緊張でおかしくなりそうだったな。
エコーを見て、すぐにわかった。
赤ちゃん、動いてない…………
前回、チカチカと一生懸命点滅していたところが
全然点滅していなかった。
先生に恐る恐る聞きました。
「心拍は、ないですか…?」
先生は冷静に
『僕のみる限りでは、動いてないね。
赤ちゃんらしきものは見えるけど。』
と言った。
やっぱりダメだった。
赤ちゃんはもうお腹の中で死んじゃったんだ。
「死んじゃった」と思うと涙が止まらなかった。
診察台の上でこらえきれず嗚咽をもらした私に
看護婦さんがティッシュをくれました。
優しさが余計に涙になった。
その後、先生の診断は
”6週相当での稽留流産”でした。
計算からいくと、この時8wであるはずの私の赤ちゃんは
6wぐらいの大きさしかなく心拍もない。
本来この時期は赤ちゃんが急減に育つころで
この大きさで心拍がない
というのは流産の決定打となりました。
そこで、もう1度初期流産はよくあることだと説明を受けました。
淡々とした話し方だったけど
先生の説明はとても丁寧だったのを覚えています。
看護婦さんもとても優しかったな。
そこから、今後のことを聞かれました。
・自然流産を待つか
・流産手術をするか
どちらの利点欠点も聞いた上で
流産であることをどうにか受け止め
先生に2月9日が披露宴であることを告げるとビックリしてた。
前回の先生には伝えてあったけど
驚きもなにもしなかったから、こっちもさらに緊張が走った。
そこから話は急展開。
このまま自然流産を待っていたら
披露宴当日に大量出血で卒倒!なんてことも考えられる。
医者の立場からしたら、このままの身体で披露宴をさせることはできない、と。
この時点で流産手術をすることが決定に。
この病院では、手術前日に入院して前処置を行い
翌日午前中に手術、様子を見て午後退院、というのが一般的だそう。
本当はすぐに入院して手術をして
術後1週間安静にした後に
披露宴をやるのがベターだと言われたけれど
ここはとても人気?の病院で
今週中はどうしても手術の予定がたたなかった。
しょうがなく最短の日程で予約をとってもらいました。
2月4日に入院。
2月5日に手術、退院。
3日間は自宅で安静に。
4日目に披露宴、というスケジュールに。
ギリギリ。。。
流産してしまったことの悲しみもあったけれど
これは誰にでも起こりえることだと自分を言い聞かせ
今は披露宴を無事に終える、という目標に切り替えて
心を落ち着かせました。。。
それでもオット殿に稽留流産だと
報告した時は泣けて仕方がなかったな。
待合室にいる妊婦さんたちが
羨ましくてしょうがなかった。
オット殿は
「今回のことはしょうがない。
赤ちゃんが授かれるとわかっただけでも良かったじゃない?
それに、自分の気持ちもわかった。
赤ちゃんができたと聞いたときに、嬉しい気持ちになったんだ。
嬉しいと思った自分がいたんだ。
パパになる覚悟ができる自分がわかって嬉しかったんだよ。
だからまた頑張ろうよ」
って言ってくれた。
悲しかったけど、嬉しかったのも覚えてる。
切迫流産という診断を受けた時点で
実家の両親には話をしていたから
この時、流産の報告をしなくてはならないのも辛かったなぁ。。。
1月23日。
前回の診断的には「切迫流産」となり
会社を休ませてもらって自宅安静の日々でした。
毎日写真に話しかけたし、お腹にも話しかけた。
オット殿は期待をしすぎないようにしようとしていたのか
赤ちゃんのことを私がクチにしても
反応はあまり返ってこなかったっけな。
待ちに待った3回目の診察。
今回はオット殿も会社を午前中だけ休んで一緒に来てくれました。
結果が決まるかもしれない日だったから。
内診の結果、見せてもらったエコーの写真の赤ちゃんのお部屋は
かなりひしゃげたカタチ。。。
先生からは
『中心に赤ちゃんらしきカタチは見えるし
心拍がある感じもする。
でもお部屋のカタチがかなり変形しているから
やっぱり流産の可能性は高い。
大きな病院にいって、最終的な診断を受けてください』
と言われました。
すぐに紹介状を書いてもらって、
タクシーで隣駅にある大きな病院へ。
紹介状がないと診てもらえない病院だそうです。
病院について受付に話をすると
「今日は急遽産婦人科の先生がお休みしちゃって
外来はとってないの~~」と。
びっくりしすぎて言葉を失ったけど
切迫流産の診断であることを告げて
どうにか診てもらえないかと食い下がった。
その結果、ものすごく待つかもしれないけど…という条件で
診てもらえることになりました。
オット殿はここで会社に戻っていきました。
心細かったけど、最初に一緒に来てくれたことだけでも
とっても感謝していたから、不満なんてなかったな。
何時間待ったかな~
ようやく呼ばれて早速内診してもらいました。
最初のクリニックはエコーの写真は
患者側から見えなかったけど
この大きな病院は患者側
(妊婦さん側)にもモニターがついてて
先生が説明しながらうつしてくれました。
初めて自分の目でみるLIVEのエコー。
そこにはやっぱりひしゃげた赤ちゃんのお部屋があった。
でも真ん中あたりが点滅してる。。。
先生が
『心拍があるね』と一言。
これが心拍なんだ!赤ちゃん、生きてるんだ!
って思ったら、診察台の上で涙が止まらなかったな。
内診後、先生からのお話。
確かに胎嚢は初期流産によくみるカタチであること。
やはり診断的には切迫流産。
ただ、心拍がわりと元気にみられる。
だから、様子をみていくしかないとのこと。
私のように妊娠超初期の切迫流産には
効き目がある薬がないこと。
どうしてかというと、この時期の流産は
ママに原因がある訳ではなく
赤ちゃん自身が染色体の先天異常などで
赤ちゃんが自分で「私は大きくなれないの」と判断して
流産にいたるから、だそう。
そして初期流産は妊娠の15%も起きている
「よくあること」であること。
そんな説明を受けました。
経過観察しかないが、可能性はなんともいえない。
それでも、赤ちゃんの心拍を自分の目で確認した後だったから
どうしてもあきらめたくなくて、ひたすら願ったんだったな。
ただ、私たちには問題があって。
この時点で1月28日。
実は私たちは2月9日に自分たちの披露宴を控えていたのです。
切迫流産で披露宴をした人はいるんだろうか…
赤ちゃんは育つのか?
披露宴はできるのか?
この2つで毎日毎日ずーーーーっと不安ではちきれそうだったな。
大事な行事があるのにも関わらず
初期妊娠の危険性も考えずに子づくりを始めた私たちは
考えがとても甘かったと思います。
元々、遠い昔に
「無排卵の可能性があるから
赤ちゃんが欲しい年齢になったら検査してみてもいいかも」と
婦人科の先生に言われたこともあって
早く赤ちゃんがほしいと願っていた私は
赤ちゃんができにくいだろうと勝手に思って
早めの子づくりを開始したのでした。
それが本当に甘い考えだったっていうのは
嫌というほど痛感しているので
どうかどうかこのブログを読む人がいたら
このことには触れないでほしいです。。。
前回の診断的には「切迫流産」となり
会社を休ませてもらって自宅安静の日々でした。
毎日写真に話しかけたし、お腹にも話しかけた。
オット殿は期待をしすぎないようにしようとしていたのか
赤ちゃんのことを私がクチにしても
反応はあまり返ってこなかったっけな。
待ちに待った3回目の診察。
今回はオット殿も会社を午前中だけ休んで一緒に来てくれました。
結果が決まるかもしれない日だったから。
内診の結果、見せてもらったエコーの写真の赤ちゃんのお部屋は
かなりひしゃげたカタチ。。。
先生からは
『中心に赤ちゃんらしきカタチは見えるし
心拍がある感じもする。
でもお部屋のカタチがかなり変形しているから
やっぱり流産の可能性は高い。
大きな病院にいって、最終的な診断を受けてください』
と言われました。
すぐに紹介状を書いてもらって、
タクシーで隣駅にある大きな病院へ。
紹介状がないと診てもらえない病院だそうです。
病院について受付に話をすると
「今日は急遽産婦人科の先生がお休みしちゃって
外来はとってないの~~」と。
びっくりしすぎて言葉を失ったけど
切迫流産の診断であることを告げて
どうにか診てもらえないかと食い下がった。
その結果、ものすごく待つかもしれないけど…という条件で
診てもらえることになりました。
オット殿はここで会社に戻っていきました。
心細かったけど、最初に一緒に来てくれたことだけでも
とっても感謝していたから、不満なんてなかったな。
何時間待ったかな~
ようやく呼ばれて早速内診してもらいました。
最初のクリニックはエコーの写真は
患者側から見えなかったけど
この大きな病院は患者側
(妊婦さん側)にもモニターがついてて
先生が説明しながらうつしてくれました。
初めて自分の目でみるLIVEのエコー。
そこにはやっぱりひしゃげた赤ちゃんのお部屋があった。
でも真ん中あたりが点滅してる。。。
先生が
『心拍があるね』と一言。
これが心拍なんだ!赤ちゃん、生きてるんだ!
って思ったら、診察台の上で涙が止まらなかったな。
内診後、先生からのお話。
確かに胎嚢は初期流産によくみるカタチであること。
やはり診断的には切迫流産。
ただ、心拍がわりと元気にみられる。
だから、様子をみていくしかないとのこと。
私のように妊娠超初期の切迫流産には
効き目がある薬がないこと。
どうしてかというと、この時期の流産は
ママに原因がある訳ではなく
赤ちゃん自身が染色体の先天異常などで
赤ちゃんが自分で「私は大きくなれないの」と判断して
流産にいたるから、だそう。
そして初期流産は妊娠の15%も起きている
「よくあること」であること。
そんな説明を受けました。
経過観察しかないが、可能性はなんともいえない。
それでも、赤ちゃんの心拍を自分の目で確認した後だったから
どうしてもあきらめたくなくて、ひたすら願ったんだったな。
ただ、私たちには問題があって。
この時点で1月28日。
実は私たちは2月9日に自分たちの披露宴を控えていたのです。
切迫流産で披露宴をした人はいるんだろうか…
赤ちゃんは育つのか?
披露宴はできるのか?
この2つで毎日毎日ずーーーーっと不安ではちきれそうだったな。
大事な行事があるのにも関わらず
初期妊娠の危険性も考えずに子づくりを始めた私たちは
考えがとても甘かったと思います。
元々、遠い昔に
「無排卵の可能性があるから
赤ちゃんが欲しい年齢になったら検査してみてもいいかも」と
婦人科の先生に言われたこともあって
早く赤ちゃんがほしいと願っていた私は
赤ちゃんができにくいだろうと勝手に思って
早めの子づくりを開始したのでした。
それが本当に甘い考えだったっていうのは
嫌というほど痛感しているので
どうかどうかこのブログを読む人がいたら
このことには触れないでほしいです。。。