3回目の診察→転院に | けまる日記

けまる日記

2013年流産後、3月に臨床的侵入奇胎と診断、抗がん剤治療開始。最終的にセカンドオピニオンで間質部妊娠と診断後経過観察へ。

2015年3月待望の妊娠!

愛くるしい息子は6歳でアスペルガー&ADHDと診断。

試行錯誤しながら小学校生活を送っています。

1月23日。

前回の診断的には「切迫流産」となり
会社を休ませてもらって自宅安静の日々でした。
毎日写真に話しかけたし、お腹にも話しかけた。
オット殿は期待をしすぎないようにしようとしていたのか
赤ちゃんのことを私がクチにしても
反応はあまり返ってこなかったっけな。

待ちに待った3回目の診察。
今回はオット殿も会社を午前中だけ休んで一緒に来てくれました。
結果が決まるかもしれない日だったから。

内診の結果、見せてもらったエコーの写真の赤ちゃんのお部屋は
かなりひしゃげたカタチ。。。

先生からは
『中心に赤ちゃんらしきカタチは見えるし
 心拍がある感じもする。
 でもお部屋のカタチがかなり変形しているから
 やっぱり流産の可能性は高い。
 大きな病院にいって、最終的な診断を受けてください』
と言われました。

すぐに紹介状を書いてもらって、
タクシーで隣駅にある大きな病院へ。
紹介状がないと診てもらえない病院だそうです。
病院について受付に話をすると
「今日は急遽産婦人科の先生がお休みしちゃって
 外来はとってないの~~」と。
びっくりしすぎて言葉を失ったけど
切迫流産の診断であることを告げて
どうにか診てもらえないかと食い下がった。
その結果、ものすごく待つかもしれないけど…という条件で
診てもらえることになりました。

オット殿はここで会社に戻っていきました。
心細かったけど、最初に一緒に来てくれたことだけでも
とっても感謝していたから、不満なんてなかったな。

何時間待ったかな~
ようやく呼ばれて早速内診してもらいました。
最初のクリニックはエコーの写真は
患者側から見えなかったけど
この大きな病院は患者側
(妊婦さん側)にもモニターがついてて
先生が説明しながらうつしてくれました。

初めて自分の目でみるLIVEのエコー。
そこにはやっぱりひしゃげた赤ちゃんのお部屋があった。
でも真ん中あたりが点滅してる。。。
先生が
『心拍があるね』と一言。

これが心拍なんだ!赤ちゃん、生きてるんだ!
って思ったら、診察台の上で涙が止まらなかったな。

内診後、先生からのお話。
確かに胎嚢は初期流産によくみるカタチであること。
やはり診断的には切迫流産。
ただ、心拍がわりと元気にみられる。
だから、様子をみていくしかないとのこと。
私のように妊娠超初期の切迫流産には
効き目がある薬がないこと。
どうしてかというと、この時期の流産は
ママに原因がある訳ではなく
赤ちゃん自身が染色体の先天異常などで
赤ちゃんが自分で「私は大きくなれないの」と判断して
流産にいたるから、だそう。
そして初期流産は妊娠の15%も起きている
「よくあること」であること。

そんな説明を受けました。
経過観察しかないが、可能性はなんともいえない。
それでも、赤ちゃんの心拍を自分の目で確認した後だったから
どうしてもあきらめたくなくて、ひたすら願ったんだったな。

ただ、私たちには問題があって。
この時点で1月28日。
実は私たちは2月9日に自分たちの披露宴を控えていたのです。
切迫流産で披露宴をした人はいるんだろうか…

赤ちゃんは育つのか?
披露宴はできるのか?
この2つで毎日毎日ずーーーーっと不安ではちきれそうだったな。


大事な行事があるのにも関わらず
初期妊娠の危険性も考えずに子づくりを始めた私たちは
考えがとても甘かったと思います。

元々、遠い昔に
「無排卵の可能性があるから
 赤ちゃんが欲しい年齢になったら検査してみてもいいかも」と
婦人科の先生に言われたこともあって
早く赤ちゃんがほしいと願っていた私は
赤ちゃんができにくいだろうと勝手に思って
早めの子づくりを開始したのでした。

それが本当に甘い考えだったっていうのは
嫌というほど痛感しているので
どうかどうかこのブログを読む人がいたら
このことには触れないでほしいです。。。