その日のうちに検査入院 | けまる日記

けまる日記

2013年流産後、3月に臨床的侵入奇胎と診断、抗がん剤治療開始。最終的にセカンドオピニオンで間質部妊娠と診断後経過観察へ。

2015年3月待望の妊娠!

愛くるしい息子は6歳でアスペルガー&ADHDと診断。

試行錯誤しながら小学校生活を送っています。

先生からのお話はこうでした。

・月経時のような出血があることは確か。
・子宮内腔は奇麗になっているように見える。
・子宮右側の筋層部分に血流が豊富な腫瘤(約25mm大)があるようだ。
 (腫瘤とは医療用語で”できもの”のこと。
  おできでもなんでも腫瘤と呼ぶそうです)
・血液検査の結果、hcg値(妊娠ホルモン値)が2500ある。

以上の点から、子宮の中でなんらかの異常が起きていることは確か。
考えられる病気は今のところ3つ。
しかしどれも典型的な症状に当てはめにくい。

・絨毛性疾患で胎盤由来の腫瘍では?
 これは流産の原因が胞状奇胎であった場合に続発することがほとんど。
 でも私の場合、流産後の病理検査では正常妊娠だった。
 また、hcg値がもっと高値であることが多いが、私は低めである。

・胎盤ポリープでは?
 これは本来、子宮内腔にぶらさがるようにしてできることが多い。
 でも私の場合は、内腔は奇麗なように見える。
 hcg値も胎盤ポリープであればもっと低いはず、とのこと。

・子宮内容物の遺残
 流産手術の際にとりきれなかったもの
 しかし、それも本来は子宮内腔にあるもので、腫瘤の場所が不自然。
 手術後1週間後の検診でも見つけられなかったことも不自然。


以上の色々な不自然な点から
入院をして、より詳しい画像検査などをしたほうが良いでしょう
ということでした。

なぜ入院???と診断に動揺を隠せないでいると先生が

『絨毛性疾患や胎盤ポリープであった場合
 いつどのタイミングで大出血するかわからないから』だそう。


まず子宮の中におかしなできものがあると言われた時点で
怖いですよね!?誰だって・・・
この説明を聞きながら私はすでに号泣でした。。。

オット殿が中国に出張中であることを告げると
先生は驚いたような顔をして
『じゃあ、実家のご両親とか誰か今から来れないかな?』と。

今から=この後すぐに入院ってこと!?!?!?

さらに私の頭はパニックです。

どうにか先生の話を理解して
実家の母親に電話。
ちょうど父親も一緒にいたらしく
両親一緒に病院に来てくれることになりました。

電話を切ってからすぐに病棟に案内され
個室にするか大部屋か悩んだけれど
もう夜も20時をすぎていたし
他の患者さんの迷惑になるのも嫌だったし
多分今夜は大泣きだろうと思ったから
今夜だけは個室に入らせてもらうことにしました。

そうこうしているうちに、両親が到着。
個室でもう一度、先生から両親に病状の説明がされました。
ひとまず”検査入院”であること。
考えられる病気の種類などなど。。。


両親も、娘が流産して手術して披露宴して
やっと一息と思ったところに、びっくりしただろうな。。。

入院関係の書類に記入をしてもらい
着替えや必要なものをひとまず私の家に取りにいってもらってる間に
オット殿に現状をメール。

そしたら自前のiphoneから電話をくれました。
電話代高いのにT T
すごくびっくりした様子で
「こんな時に出張でごめん」って謝ってたな。。。
私もオット殿の声を聞いたら
落ち着いてた気持ちがまた乱れて不安が押し寄せてきて泣いちゃった。
あさってからは毎晩電話できるから
それまではメールするということで電話を切りました。

両親が来るまでの間、私の不安はおさまらず
オット殿の声を聞いてしまったから余計に涙が止まらない。
そこに看護婦さんがたまたま入ってきて
私の様子をみて肩を抱いてくれました。

『いきなりでビックリしちゃったよね。よしよし』って。

私は
「私、また妊娠できますよね?赤ちゃん産めますよね??」って
泣きながら看護婦さんに聞いたんだったなぁ。

看護婦さんは
『きっと産めるよ!100%大丈夫なんて職業柄言えないけど
 いろんな病気をしても元気に赤ちゃんを産むひとはたーくさんいるから!』
と励ましてくれました。


看護婦さんに肩を抱かれてひと泣きしたら少し落ち着いて
ちょうどそこに両親が荷物を持って帰ってきました。
そこから何も食べてなかった私とお母さんは
コンビニのおにぎりとパンを食べて少し話しをして。
お父さんはソファで寝てたな~
この時点で23時過ぎてたの覚えてる。
両親に心配かけ続けで申し訳ないなとすごく思ったことも。


こうして私の入院生活が始まりました。