遠い夜明け | 0²‥あれtoほげほげ

0²‥あれtoほげほげ

★いつかどこかであったかもしれないこと★

  " CRY FREEDOM "

監督 リチャード・アッテンボロー
原作 ドナルド・ウッズ 「ビコ」&「トラブルを求めて」
出演 ケヴィン・クライン as ドナルド・ウッズ
   ペネロープ・ウィルトン as ウェンディ・ウッズ
   デンゼル・ワシントン as スティーヴ・ビコ
    ジョゼット・シモン
 



 身の安全を守るために
 特に名を秘した2人の登場人物を除き
 この映画はすべて事実である

 1652年、南アフリカに白人到来 

 ドナルド・ウッズ 白人 1933年東ケープ生れ
 スティーヴ・ビコ 黒人 1946年ケープ州生れ

 1948年、アパルトヘイト法制化
 1962年、裁判を行なわず拘置措置をとる事を合法化

 ピコ
 1966年、医学部入学
 1968年、南アフリカ学生機構を結成
 1969年、南アフリカ学生機構の初代議長に選出
 1972年、黒人共同プログラムのための活動開始
 1973年、活動禁止処分を受け、行動を郷里に限定される

 1975,11,24: 南ア共和国
 ケープ州、クロスロード黒人居住区
警察は公衆衛生の見地から
不法居住区に実力を行使
住民は強制退去、出身地へ強制送還
住民に抵抗の暇はなく
警察による一方的暴力により事は進んだ

反アパルトヘイト活動家スティーヴ・ビコの
安否を心配する黒人女医ランペーレ

東ケープ州で最多発行数を誇る新聞
"デイリー・ディスパッチ"
編集長ドナルド・ウッズ

警察による暴力を暴く一方でピコを批判する
新聞に載った社説
"スティーブ・ビコ 白人差別主義者"
この記事の抗議にやっ来たランペーレ
$0・・映画toほげほげ-ジョゼット・シモン
対応するウッズ
 私は黒人差別と戦う
 でも白人差別の扇情主義者は容認しない

ランペーレはウッズに対し
ビコを誤解しているとし彼に会う事を薦める

ウッズは
ビコが建設中の黒人コミュニティー・センターを訪ね
拘束身分のビコと会う
話してみれば、まともでいい奴

ビコに感化されたウッズは2人の黒人を雇う

弁が立ち人望のあるビコ
苛立つ警察署長

夜、
コミュニティー・センターが何者かに襲撃される
1人の黒人がその中に警察署長を目撃する

ウッズは警視総監に
警察の横暴を訴える

次の日
ウッズは警察から
目撃者の名を明かすよう脅される
 これはトップからの命令だ

名を明かさぬウッズは
目撃者隠蔽罪で告訴されるが
これは裁判で無罪となる

そして今度は
新聞社の新人黒人社員2人が逮捕される

1人は独房で首をくくって死亡
警察による殺害が疑われた

1977,8,18
ビコは学生集会参加のため
ケープタウンへ向かうが
途中の検問に捕まり
人種憎悪扇動罪により拘禁される

1977,9,11
ピコは警察から受けた拷問により重態
看守に呼ばれた医師が診察
足の裏の伸筋反応が脳障害の可能性を示し
脊髄液中の赤血過剰が大きな脳障害を示す

医師は即刻入院を指示
しかし看守は医師の忠告を無視
運ばれたのは1100Km離れた警察病院
その間、究明処置は行なわれなかった

1977,9,18
スティーヴ・ビコ、脳挫傷により死亡
警察は
ハンガー・ストライキにより死亡と発表

ウッズはビコの妻と共に遺体を確認
彼の死が暴行によるものと確信する

同行したカメラマンが撮った写真は
海外数カ国に送られる

ビコの死の真相を暴こうとするウッズ
警察からの脅迫は家族に及ぶ

1977,10,19
ウッズは
国家保安条例に準して拘束身分となる
 これより今後5年の間
 同時に1名以上の人間と接触してはならず
 同じ部屋に同席してはならない
 ただし肉親はこの例外とする
 私的にも公的にも文章を書いてはならず
 印刷所・出版社への立ち入りは禁止する
 また東ロンドン区を出てはならない

ウッズは
出版の自由と身の安全のため
国外脱出を計画する・・・

 1978、「BIKO」出版
 2001、癌によりロンドンで死亡

 

 



   時代は変わる

   問題は
   友好を選ぶか、流血を選ぶか

   子供達のために
   友好を願う


  アパルトヘイトの問題点を
  真正面から描いた映画

  見応えあり  


1987年 UK映画 158分