2chを見ていると、「さよなら絶望先生」のラストの解釈に、ブレが出てるようだ。
それはおもに、絶望少女たちが代理生徒を演じているのは誰のためか、ということをめぐっての解釈である。大きく分けて二つの解釈がある。
①自分の臓器の提供者(ドナー)のために。(少女たちは、ドナーが誰なのかは知らないが、ドナーのための代理である、という自覚は持っている)
②ただ単に、高校に行けなかった、どこかの死者のために。
②の立場は、さらに二つに分かれる。
A、少女たちは自分と似た個性の死者の代理人役を当てられていた。
B、少女たちは、自分の本来の個性とは無関係に、死者たちの生前の個性を、誰かから伝達されて、演じていた(例えば、常月まとい本人は実はストーカー気質ではない)。
私は何の疑念もなく①だと思っていたが、②のような解釈も確かに成立しうる。
もし②だとすると、死後卒業というシステムと、各人のドナーが同一人物であったという設定のあいだに、直接の関係は無いということになる。たまたま、全員の臓器のドナーが赤木杏=風浦カフカという一人の人物だった、というだけの話。
さて、島を訪れた糸色交君は故人ヒロシの代理を務めることになるのだが、この際に糸色倫から「死線をくぐってない彼に務まるのか」という危惧が表明された。ここの捉え方で全てが決まるのではないだろうか。「交君も実は死線をくぐっていてヒロシから臓器を提供されたが、幼すぎてその記憶が無い。そして倫は、死後卒業システムのことも、雲隠れしていた長兄・縁の連れ子である交君の生い立ちのことも詳しくは分かっていない」と解釈すれば、①がスンナリと成立するのではないだろうか。実際、死後卒業については、倫は「複雑すぎて分からないから説明がほしい」と島で言っている。また、交の生い立ちについても、次男の望が長兄の縁の子・交の存在を知らなかったくらいだから、倫も同様であってもおかしくない。富豪の令息や令嬢には個人主義的な感覚が発達しているから、自分の兄弟姉妹の現状に無頓着であるというのはありそうなことだ。
小節あびる等が絶望先生を島まで追いかけてきて交君に自分たちの過去の秘密を告白するシーンで、臓器移植の話を詳しくしなかったのは、幼い交君に彼の出生の謎を悟らせまいという気遣いからであろう。
あびるや霧やカエレが術後にシルエットを見るシーンを、どう解釈するかという問題もある。「私は生きたかったのに」などという声は、いったい何なのか。自分の内奥から聞こえてくる、ドナーの臓器が発する声なのか。それとも、同時代のどこかにいた、無念の死を遂げた未知の誰かへの想像力が形を成したものなのか。私は前者だと思うが、だとすると、なぜ、シルエットはカフカの形ではなく、本人たちの形なのか?
カフカの形でないのは、ドナー情報は秘匿が原則で、自殺を図った彼女たちにはドナーがどんな姿かを知るよしもないからであろう。では、なぜ、誰とも特定できないシルエットでなく、各人たちのシルエットなのか?これは単に演出の問題であろう。彼女たちと未知のドナーとの融合体、というイメージを打ち出したかっただけなのかもしれない。
もし後者(シルエットは、生きたかったどこかの死者への想像力の具現)だとすると、その直後の「生きたかった魂と死にたかった魂が出会ってしまった」などというナレーションは少し大げさだろう。単に頭で他者を想像したことを「魂同士の出会い」と呼ぶのは無理がある。するとやはり、提供された臓器から聞こえてくる声と見なすのが自然であろう。
以上のことも、①説を裏付けよう。
さて、これまで語ってきたのは、絶望少女たちが誰を成仏させようとしたのか、であった。私の出した結論は、少女たちの意識の中では自分の臓器のドナーだが、結果的にはカフカ=赤木杏一人であった、ということになる。
もうひとつ、小さな謎が残っていて、「なぜ”風浦可符香”という名は、彼女が文章を書くのが趣味という設定があるわけでもないのに、”ペンネーム”なのか?」という点である。ただの”ニックネーム”でもいいではないか?
ペンネームは略すとPNで、これはポストヒューマス・ネーム(戒名)の略でもあるという説もどこかで見たが、かりにそうであっても、ペンネームという言葉が一巻の最終話(普通ちゃん登場の回)に出てきた以上、どこかで可符香が作家の真似事をするとか、あるいはラジオに投書するとかのシーンが一度でもあってほしかった。そうじゃないと、なぜ「ペンネーム」なのか分からない。
これは推測だが、当初の予定では天才的ストーリーテラー久藤准の語りで終幕、そして「ペンネーム・風浦カフカ」という文字が出てくるエンディングだったのかもしれない。久藤も輸血経験があり、それが赤木杏=カフカの血であってもおかしくはない。「唯一の男子カフカちゃん」というわけだ(本家の作家カフカは男だけど)。ならば、彼のペンネームが風浦カフカというのもありうるわけだ。
ところで、最後の1ページのウェディングドレスの可符香は、同じ十字架を首からぶら下げていた久藤の女装だとする説がある(たしかに、ペチャパイ気味なのだ)。語り部がこれは物語でしたと語って終わるエンディングというのは夢オチのごとく陳腐なものだから、もうひとひねりして、久藤の言葉ではなく肉体によって語らせたのだろう。だから、最後の絵を見て読者は心の中で「ペンネーム・風浦カフカ」と呟けばよい。そこで「ペンネーム」という伏線が回収される。
と、ここまで書いてきて、絶望少女たちが誰の代理生徒かについての、③説があることを想起した。
③「今までの私にさよならするための儀式」を、供養などという比喩で表現していただけ
というものだ。確かに、30巻半ばに出てきた「奈美の細胞が一年で入れ替わるから昔の自分の葬式を」というのは、その説の伏線になる。その場合、①と②に考察されたような、ドナーあるいは未知の死者の気持ちへの配慮というのは希薄で、明日の自分のために昔の自分と決別する、という利己的な動機の「供養」となる。交君は自殺未遂ではないが交通事故か何かで死線をくぐって、死にかかる以前の彼の足跡は縁起が悪いからヒロシからマジルに改名させて、さらにヒロシを供養するために島を訪れさせられた(本人の自覚はなかろう)と考えられよう。
ただ、その場合、各人自殺未遂直後のシルエットのことがやはり気になる。③説だと、シルエットは、「生きたかった、もう一人の私」ということになるだろうが、そうであれば「生きたかった魂と死にたかった魂が出会ってしまった」などというのはやはり大げさで、「生きたかった”もう一人の私”を発見した」とでも言えば済む。「出会ってしまった」と言うからには、自分には制御できない運命によって出会ったのであって、それは外部からの不意打ちである。
だから、③説をそれなりに摂取しながらも、やっぱり①なのだ。「今までの自分にさよなら」という意味での供養でもあるが、ドナーへの供養でもある、と考えればよい。というか、厳密に言えば、私自身は最初にざっと通読したときは③だったのだ。精読して①だと解釈し、②説があることをネットで知ったというのが正確だ。”さよなら「さよなら絶望先生」”と題したエントリーで、普遍的な、比喩としての卒業(他者を自分に取り込んで、昔の自分と決別すること)について言及したのもそれ故のことであった。
さて、もうひとつ小さな疑問が浮上した。第一巻の、マ太郎が主要キャラとして初登場する回(絶望が最後まで一回も登場しない回)で、智恵先生が出席をとってるときに、赤木さんとして返事をしているのは誰か、という問題だ。これは冗談のような仮説だが、私は、臼井影郎ではないかと思っている。臼井も久藤と同様、赤木杏から臓器提供された男子で、提供されたのは聴覚系のどこかの部位であると考える。鼓膜か、脳や神経の聴覚に関わる部位か。赤木さんという声を聞いて、「耳が覚えていたので」反射的に返事をしてしまった。週刊誌連載で第一巻の後半に収録されているということは、新学年が始まってすでに一ヶ月くらいは経っているので、自分の席の近くの誰かが当人とは違う人に返事をしてしまったら誰か気づくのが普通だが、臼井は影が薄いので、誰も気づかなかったのだろう。そして、絶望先生は出席を取らないので、先生が戻ってきてからは、そのような事態は二度と反復されなかった、ということである。読み上げられる出席簿の名が男子から女子に変わっているのに、臼井の男声が聞こえてくるのを変に思った生徒はいなかったのかという問題が派生するが、絶望先生が出席を取らないくらいだから生徒たちも名簿などには無頓着で、五十音順で最初の女子・赤木さんを五十音順で最後の男子・「若木さん」と聞き違えたのだろう。臼井(というより、彼に内蔵した赤木杏の聴覚)だけが目ざとく、いや耳ざとく聞き分けた、ということだ。自分の名前だからね。以上は、仮説と言うより辻褄合わせのためのコジツケだが、なかなかうまくいったと自負する。
後記:ペンネームの件だが、「暗号化好きな日本人」という新書の著者として風浦可符香の名が出てくるコマがあった。