『第三の男』で有名なキャロル・リード監督、『アマデウス』『ブラックコメディ』のピーター・シェーファー脚本、ミア・ファーロー出演の『フォロー・ミー』を見た。
探偵が尾行しながら、追う者と追われる者の間に淡い好意が芽生え、食べ物の名前の通りの標識をネタにしたやり取りをするくだりは、なんとも言えぬ可笑しみが漂って良かった。劇伴音楽がロマンティックなところが面白いのかな。
イギリスのビリー・ワイルダーっていう趣きの作品。
『第三の男』で有名なキャロル・リード監督、『アマデウス』『ブラックコメディ』のピーター・シェーファー脚本、ミア・ファーロー出演の『フォロー・ミー』を見た。
探偵が尾行しながら、追う者と追われる者の間に淡い好意が芽生え、食べ物の名前の通りの標識をネタにしたやり取りをするくだりは、なんとも言えぬ可笑しみが漂って良かった。劇伴音楽がロマンティックなところが面白いのかな。
イギリスのビリー・ワイルダーっていう趣きの作品。
小川仁志という哲学者のプラグマティズム入門(『アメリカを動かす思想』)を読んでいる.。経営学・マネジメントこそが、アメリカ・プラグマティズムの体現物だと思うんだけど、最後のほうにクリステンセンのイノベーション論が出てくるだけ。冒頭のパース、ジェイムズ、デューイの思想の解説などは、結局、アメリカ人が嫌いそうな抽象論で、この本自体があんまりアメリカンじゃないと思える。小川という人はわりと美男だが、朝生に出て浮きまくってアンタは黙ってろって言われてた人だから期待はしてなかったけど、やっぱこんなものか。
収穫は、ローティというプラグマティストが、「大文字の哲学」のことを「他のすべての語彙がいずれはそこへと収束すべき共通の核あるいは真理として、あらかじめ何らかの仕方で知られている語彙の探求をすること」と定義しているくだりの引用。ローティはこのような哲学を否定したいようなのだが、こういう哲学の定義は私自身が昔やった哲学の定義に似ている。私は、「最良の辞書編纂方法の追求」というような定義を哲学に与えてたのだ。
抽象論から始まって、政治・経済論。「経営の不在」のまま進んで、最後に取って付けたように「ちょっとだけマネジメント」。「最もガッカリな構成」って感じ。
"Whispers of the moon" was contained in ”Junichiro Tanizaki's complete works” volume 7 by a publisher named "Chuo Koron sha".The plot of it is the following:In a hotel at a hot-spring resort, a beautiful and crazy woman who is sensually excited by moonlight stays for a long time.A young man gets fascinated with her at a glance and an old beggar is stalking her for some reason.The woman is forced to return to her house in Tokyo by her family.The young man meets her again in the city.
Junichiro Tanizaki is a great author in modern Japanese literature.He was much interested in movies and had worked for a movie company named "Taisho katsu-ei(Taisho motion picture)" in 1920's and wrote scripts for silent movies. Some of them were realized,for instance, "Amature Club" starring Michiko Hayama whose sister got married with Tanizaki and whose character inspired him to create "Naomi".
"Whispers of the moon" was a fiction in the form of a scenario for a silent film. It was carried on a magazine titled "Gendai(Contemporary)" in 1921."Gendai" was not a journal on scripts or movies.It was a general-interest magazine featuring various topics:politics,economy,and culture,of course including literature.
"Whispers of the moon" has not been filmed yet.
Saburo Kawamoto,a critic who writes mainly on literature and movie ,regarded this work as "a script which Tanizaki wrote with fancying a movie" in his book titled "Visions of Taisho".While, on a web-page about relations between Japanese movies and literature( http://www5f.biglobe.ne.jp/~st_octopus/MOVIE/SILENT/30Tanizaki.htm ), it's said that the script was wrote for a film featuring an actress,Sango Kamiyama whose brother-in-law,Sojin had performed in Hollywood's silent films but that the production came to a deadlock.
I can not judge which opinion is right but ,if Kawamoto's opinion is right,this work can be called Lesescenario because Tanizaki just "fancied" a movie and did not write it for any particular project and because it was carried on a general-interest magazine,not on a movie journal.In this case ,I think that it has adequate qualification as Lesescenario.While ,if his opinion is wrong,it will have a problem like the case of James Baldwin's "One day when I was lost":"Is it the intention or the absence of prodution that makes a Lesescenario a Lesescenario?",which Hiroo Yamagata said in the interview by the Studio Hyperset's SCRIPT.
劇のメタファーを用いた経営論や組織論が紹介されている。ストックホルム大学スクール・オブ・エコノミクスのピエール・ド・モンスー教授とハーバード・ビジネス・スクールのロバート・オースティン教授。
(野中と紺野の『美徳の経営』)
そして、即興劇団(デジタル・イクイップメント社のチャールズ・サヴェジ)。
(ピーターズ『経営破壊』)
からくりブランド~劇メタファー・・・なんのこっちゃ!(ヒミツ)
ドラッカーは、二大政党制を高く評価していて、多党制には否定的だというのは、読み知ってたんだけど、どの本に書いてあったか、記憶が曖昧で、『産業人の未来』かな、と思ったら、やっぱり、そうだった。
英米は二大政党制だから良くて、独仏は多党制だから駄目になった、というトーンですね。ミニ政党が力を持つようになると、ナチスみたいになるという見方。
http://ameblo.jp/maruki/entry-10786917698.html
ここ↑で、グラッドウェルが書いたグリーンズボロでの黒人解放運動の話を紹介したときに、ヒエラルキーとネットワークを対概念と捉えたけど、実はこのクーリエジャポンの記事を読むまで、この二語を対義語と捉える発想を持ってなかった。この記事を読んで、初めて、太宰の『人間失格』のアントニムごっこのように、ああ、それ、ありえるなあ、と思ったのです。
で、調べてみたら、ヒエラルキーの対義語はアナーキーが一般的だそうです。しかし、ここ↓にも、ルーマニア人学生がネットワークを対義語として挙げてる例が紹介されている.。(コメント欄)
http://blog.livedoor.jp/gussann113/archives/50313887.html
アナーキーとか無政府状態というと日本人は、あのモヒカン頭のパンクバンドを思い浮かべるのか、カオス、無秩序、混乱、とか不穏な連想をしますが、柄谷の『世界共和国へ』で、プルードン的「アナルシー」(双務的、互酬的な秩序という捉え方)が紹介されているように、べつにカオスじゃなくてもいいみたい。
ということは、アナーキーとネットワークは類義語か?そうだとして、そうなったのは最近じゃないだろうか。パソコン普及以前は、ネットワークというと、地上波テレビのニュースネットワークが真っ先に想起され、あれは別に、脱ヒエラルキーという感じもしなかったな。在京キー局を中心にした集権体制という感じ。
だからネットワークがヒエラルキーの対義語になりアナーキーの類義語になったのは(つまり分権的ニュアンスを帯び始めたのは)、ウィンドウズ95以降だと思う。下のスチュアート・ブランドの記事でも、分権化は情報化の属性ではなく、ただ分権化を志向する者達が情報産業界でそれを具現化しただけらしいから、「集権的なネットワーク」というのもウィンドウズ以前にはあったはずだ。
http://www.asahi.com/tech/sj/long_n/03.html
ティモシー・リアリーは、ドラッグカルチャーの教祖的存在だったが、晩年はコンピュータに興味が移った。
スティーブ・ジョブズは、ハッカー文化(コンピュータ文化)の教祖的存在だったが、若い頃はヒッピーだった。ドラッグもやってたろうな。
さて、カウンターカルチャー周辺の大物たちは年齢は違えども、上記のようにドラッグからコンピュータに関心を移したわけだが、片方だけじゃなく、両方にまたがった大物はいないのか?リアリーのコンピュータへの傾倒は彼の人生にとってエピソードに過ぎないし、ジョブズにとってのドラッグも同様だろう。本人たちの内心では重要だったかもしれないけど、傍目的というか伝記的にはエピソードにすぎない。
WEC(ホールアースカタログ)編集者のスチュアート・ブランドがそうだと、池田純一の『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』(講談社現代新書)に書いてあった。そしてGBNっていうコンサルタント会社を作って、80年代以降の企業組織のフラット化に貢献したんだとさ。
興味深いことに、池田は、「フラット化は情報化に属するものではない」と言う。つまり情報技術の発展が自動的に組織のフラット化をもたらしたわけじゃなくて、フラット化を目指して情報技術が発展したってことでしょう。そして、フラット化とは60年代にはカウンターカルチャーが目指したものであった。それがビジネス界で実現されたってこと。
ベイエリア・シリコンバレーのIT産業と、ハリウッド映画産業の類似とつながりへの軽い言及もあったりして、「ウェブ×ソーシャル×アメリカ」は、やっぱり名著です。前にも触れたかもしれないけど。
ハクスレーの『知覚の扉』、読んでますが、ドラッグカルチャーの広告文としては素敵ですが、本心を書いてるのか?と疑念が湧いてくるところもある。
たとえば、トリップ後に「世界最大のドラッグストア」に行ってゴッホの画集見て、よく描けてるけど「優れた象徴」にすぎない、それに比べてボッティチェルリの服の皺は・・・なんてくだり。
「本質」を狙って描いた絵より、無意識のうちにそれを体現してしまった絵の方に凄味がある、ということなんだろうけど、そんなことドラッグやらなくても思いつきそうなことで、トリップしたのに土産話もないんじゃカッコつかないっていうんで、前からボンヤリ考えてた美学を、さもドラッグ体験で得たことであるかのように披歴しただけなんじゃないのか?