まるいや社長 柳岡壮一の ひとりごと通信 -14ページ目

ご注文ありがとうございます!

皆さ~ん、こんにちは音譜


ランドセルのまるいや   柳岡 壮一です。



10月に入り、ホームページからのご注文も増えてまいりましたアップ


皆様、本当にありがとうございますありがと


数あるランドセルの中から、私の販売するランドセルを選んでくれたことに深く深く感謝する次第です。



本当は、もっともっと実物のランドセルを手にとって多くの方々に見て頂きたい気持ちがあるのですが・・・


田舎の小さな会社ですので資本力お金が無いもんですから。。。

大手の会社のようにテレビコマーシャルを流したり、大きなホテルを貸し切って見学会を開催したりは、まだまだ出来ませんしょぼん



しかし、今までお買い上げ頂いたお客様からの言葉が私に勇気をくれます!



「おじさんのランドセルは、どこのランドセルよりも丈夫だよ」


「作りが他と全然違う」



たったこれだけの言葉ですが、私にとっては何よりの栄養剤ですひらめき電球



だから自信だけはかなりありますビックリマーク



どうか、これからご購入を検討しておりましたら丈夫さで、まるいやのランドセルも候補に入れてくださいねひらめき電球





では、私の若い頃の続きに入りましょうメモ



私は旧制中学の卒業と同時に学制が変わり、現在の栃木県立真岡高校卒業になっております。



この真岡高校、今でもかなりインテリが多い学校のようで、私は頭が悪かったのですが同級生はみんな頭の良いインテリばかりで、ほとんどが大学へ進学して行きました。


あの山の中で何であんなにみんな頭が良かったのか?不思議ですはてな


山の中で娯楽が何にも無いから、みんな本を読んで勉強するしか時間を潰す方法がなかったのでしょう


私も少しは本を読んでいれば、もう少しまともな頭になっていたでしょうかかお



さて、私は親父が亡くなってしまいましたので母子家庭。


母を助け、家業を継ぐためには勉強などしているヒマはありませんでした。



今、ツインリンク茂木があるところは、当時はうっそうとした山。(当時の地名は馬門の登屋と言いました)


道はケモノ道で人間様の通る道などは整備されていませんでした。



それでも当時は、そのケモノ道の先の山頂に10軒ほどの農家がありまして、


そんな山の中ですから買い物するのも一苦労!


だから、私のような商人が行くと大変歓迎されたもんですクラッカー


そりゃ、そうですね!ケモノ道から顔を出すのはイノシシいのししかタヌキたぬきか私にひひくらい・・・


人間は私しか来ませんから、かなりの着物を買ってもらっていました。



そんなある夏の日、母から「壮一!問屋の支払いが出来ないから早く商売に行っておいで!」と


いつものように追いたてられ店を自転車で出て行きました。



そうだ!今日もあの山の農家へ行けば買ってくれるだろう!


そう思った私は、夏の日差しも何のその、あっという間に山の頂きに登ってきました。



しかし、当てが外れるとはよく言う話です。


当時は夏、売るものは浴衣。


当然、呉服屋ですから浴衣しかありません。


一軒一軒農家を回って「浴衣を買ってください!」


と懸命になっても、夏の暑いさなか(茂木は盆地なので特に暑い!)裸でいても暑いくらいなのに


浴衣なんて新しくはいらないよ~


と、この日ばかりは、どこの農家も買ってはくれませんでした。。。ガーン



売上0では、母に会わす顔がありません・・・


やむなく今のツインリンクの農家を去り、次に買ってくれそうな家を探すことにしたのです。



しかし、結果はどこも同じ。。。


なぜか売れない日はどこへ行っても売れないものです。


そうこうしているうちに買ってくれそうな家を次から次へと探し回っていたら・・・


気がついたら茂木から30キロも先の茨城県水戸市に来てしまったのです汗


しかも呉服を積んだ自転車で自転車



夢中になるとあとさきを考えない私の性格のなせるわざでしょうか汗


しかし、今思い出して自分でも笑ってしまいます顔23



ここから先はまたまた大騒ぎでしたあせる


続きは次回お話しますね!


お楽しみに!!





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商売のスタート

皆さん、こんにちは音譜



ランドセルのまるいや  柳岡 壮一ですニコニコ



毎日、全国から届く資料請求 のメールメール



本当にありがたい気持ちでいっぱいでございます。



まだ9月なのに、こんなにたくさんの方々がお子様へのランドセルを検討してくれて本当に感謝しております。



革の見本もお送りしていますが、ひとつだけ「コードバン」の見本が不足しておりまして、少々小さい革になっています。



もともと高価なところへ原油高騰で、さらに値上げ・・・



そんなもんですから、慢性的に不足してしまっています。



どうかお許しくださいね誠にすいまめーん



本当は、私もコードバンを大いに勧めたいのですが。。。希少な革ですのでそうもいきません。



ということで、今年はコードバンに限っては早い時期に無くなってしまう可能性もあります。



迷っている方がおりましたら、笠間市の営業所まで見学に来てくださいねあせる



笠間はこれからが見所満載の時期ですから!!



笠間観光とランドセル見学を兼ねて・・・



なんてね音譜



関東近隣の方なら大丈夫でしょう!



お待ちしてますひらめき電球





さてさて、今回も本題にひらめき電球



丁稚から故郷の茂木に戻ったわけですが、



当時は自動車もほとんどなく、田舎の山間の町です。



人口は約17000人位だったかなぁ~



そんな町ですから、当然お店に居てもお客さんなんかほとんど来ません。



母からは問屋の支払いが出来なくなっちゃうから店にいないで、行商に行っといで!



と、毎日おっ飛ばされます汗



でも、東京とは違い、店から出ても見えるのは田んぼと山ばかり・・・



「え~ どこに行って売ればいいんだ・・・」ガーン



あの途方に暮れた気持は、今でもはっきりと思い出します。



当時の茂木町は葉タバコの産地でした。



そのタバコ農家が山間部には散在していましたので、まずはそこを周ろう!



と、自転車自転車で訪問をはじめたわけです。。。



自転車と言っても、今のような軽い自転車じゃありません。



それに荷台には重~い呉服やら反物をたくさん載せてますから、さらに重いあせる



それに、道路は今のような舗装などなく「獣道」に近い道路ばかり



また、体力的に大変なだけではありませんでした。



当時の農家の収入は、収穫時期しか収入はありません。



ということは、なかなか現金では売れませんから、その収穫時期までは貸し売りです。



当然そうなると、こちらも資金繰りは大変メラメラ



店にいるとイライラした母に怒鳴られますから、やむなく自転車で行商へ・・・



とにかく売り続けなくてはいけない状態ですあせる



これが本当の「自転車操業」ですかあせる



雨の日汗も雪の日結晶も風が吹こう風が寒かろうが寒い とにかく行商ですDASH!



もう、こうなるとつらいだとかイヤだとか言っていられません。



朝が来ると、本能的に自転車にまたがっていましたねひらめき電球



今思えば、この過酷な経験があったから、この歳まで商売をやっていられるのかもしれないです。




やっぱり人間一生に一度は過酷な経験をしないと成長しないのかもしれないですね・・・



まぁ、そんなに偉そうなことは言えませんけどねべーっだ!



では、また次回ネタは尽きませんので、お楽しみにビックリマーク



丁稚修行を終えて・・・

さぁ、皆様!ランドセルのまるいや 柳岡壮一 でございます!


本当に本当に久々に、私の丁稚時代のエピソードを再開したいと思います。



あんまり間が開き過ぎたんで、「おじさん、具合でも悪いの?」


何て心配してくれる人も居たりあせる


本当に有難いですね! 


私のはいつも元気いっぱいですからご心配なく。


まぁ、そうは言っても歳は70過ぎですから病院にはいつも出入りして、悪いところを早めに退治するようにしてますがねニコニコ


それが元気の秘訣かもしれません。




さて、東京の叔父のところへ丁稚へ出たわけですが、東京の歓楽街で遊ぶことを楽しみにしていつまでも叔父のところに居るわけにもいかなかったのです。


と言いますのも、故郷の茂木町では女手一つで店を切り盛りし修行から帰ってくる私を母がまだかまだか?と待っておりました。



私も跡継ぎの宿命ですから仕方がありません。



しかし、東京から茂木に戻った日のことは、いまだに忘れられませんね!


何といっても都会の生活に慣れてしまったところに、急に田舎に戻ったわけですから。。。


今から50年以上前の茂木町ですから、もちろんツインリンクなんてまだ狸たぬきに狐きつねが住む山ですし、


いまから想像も出来ないくらいの「ド田舎」です。



「一生、俺はこの少ない人口の、この町で商売を続けなければならないのか・・・」



・・・と思うと、自分の宿命とか将来を考えると涙が溢れてきたのが忘れられません。しょぼん


いっそのこと、また東京の叔父のところへ逃亡しようかと何度思ったことか焦る


しかし、いまさら母を見捨てて自分勝手なことは出来ません。



母の顔を見ると、どうしても東京に逃げることは出来ませんでしたね!


まさに「顔で笑ってニコニコ、心で泣いてしょぼん



ということで、この人口の少ない田舎で私の「行商」人生がスタートするわけです。



ここからは、もう滅茶苦茶な波乱万丈といいますか。。。


少しづつお話しますので、ぜひお楽しみに!


今度は、間は空けないようにしますね!