まるいや社長 柳岡壮一の ひとりごと通信 -19ページ目
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いよいよブログスタート!~ひとりごと通信VOL1~

 このたび、まるいやもいよいよ現代の利器「ホームページ」と「ブログ」を開設することになりました。

私も歳はとっても、心と体は20代の気持ちでピンピンです!

いまどきホームページも無いのは商売では大きなハンデですし、IT世代のお客様にも失礼なことに。。。

と思っていた次第です。

しかも、私には大きな戦力となってくれるホームページ作成と販売の協力者が居てくれていますので元気500倍です!

あとで、詳しくご紹介しますのでお楽しみに。

さて、私は毎日相変わらず、ランドセルの販売に一軒一軒、お客様のお宅へ訪問させて頂き頑張っているわけですが、思えば早いものでこの茨城県へ来てから丸14年になり、お陰さまでお得意様も年々全国へ(笑)増えております。

 ここまで来れましたのも、お客様皆様の強いご支援とご協力のお陰だな~と本当にしみじみと毎朝の散歩で感じでおります。

(毎朝、8000歩の散歩が元気の源です!まだまだ若い衆には負けませんよ~)

まず、今回は初回ですから私の生い立ちから現在までを簡単にご紹介しましょう。

私は栃木県の小さな町(茂木町・・今じゃツインリンク茂木が全国区ですが。。。)の呉服屋の四番目の長男として生まれました。

昭和20年。私の父が他界。母は6人の子供を育てるかたわら呉服屋を切り盛り、毎日必死でした。

その母の後ろ姿を見て私は、「どうしても母を助けなければ・・・」との思いに駆られました。

当時12歳の私は旧制中学(戦前のお話ですよ。当時の名前は栃木県立真岡中学校。現在の県立真岡高校)1年生でした。

旧制中学5年生(当時は中学生が5年生)のとき、新制高校に切り替わりました。

新制の真岡高校に進学すべきか?5年で卒業すべきか?当時決断に迫られました。

その当時、私の同級生には私も含めて3人が母子家庭でした。その時、母に強く言われたのを覚えています。「家業のために、日本橋の叔父さんのところへ丁稚に行って、早く仕事を覚えておくれ!」と・・・

当時、私の叔父は東京日本橋で繊維問屋を経営してました。

その頃は、今のように「就職」なんて洒落た言葉は無かったんですよ~「丁稚 デッチ」です。。。

それから約2年間、あっという間に丁稚修行は終わり、いよいよ故郷の家業を継ぐことになりました。

まずは当時の“高級車“自転車で行商のスタートです!

しかし、しかし。栃木県の茂木町は“山”ばかり!ご存知の方も多いかと思いますが。。。

自転車での行商は堪えましたね~でもこの頃の“自転車行商”が強靭な私の足腰を造ってくれたんだと感じてます。まさに健脚商売人!

その後、自転車から「オートバイ」になった時は、その快適さに本当に涙がこぼれる思いでしたね~

(実は私がオートバイ“暴走族”の走りなんじゃないでしょうか・・・嬉しくて“ブンブン”走り回ってましたから(笑)

その次は、“自動車”!こっちは「屋根付き」「冷暖房付き」!今じゃ「当たり前!」でしょうけど、やっぱり今はこのような「ありがたさ」「感動」があんまり感じられなくなったのも問題なんでしょうね?どう思います?これを読んでる、そこのお母さん?

時代も高度成長時代。家業の売り上げも順調に伸びて来ましたが、茂木にも大型ショッピングセンター出店の波が押し寄せて来ました。

そうなると、テレビドラマでもお馴染みのパターンですが、商店街は急速に廃れてしまい、お客様も激減。

お店で待っていてもお客様は来ない時代になってしまいました。。。商売もどん底でした・・・

 ちょうどそんな時でした。全くの偶然に、この「ランドセル」との出会いがあったんです!

14年前は、全然分からない茨城県で苦労の連続でしたが、お客様皆様の応援で今まで来れました!

まさに商人冥利に尽きる!とはこのことですね!

この上ない“幸せ”を毎日感じています。

昭和7年生まれ 申年 今年75歳の若輩者。

心も体も現役バリバリでございます!

今後とも「ひとりごと通信 ブログ」コーナーをお楽しみに!

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