まるいや社長 柳岡壮一の ひとりごと通信 -18ページ目

ランドセルの価格について、ご注意を!

9月に入って2学期がスタート。地域によっては8月末から2学期というところもあるようですね!



さて、私も9月になると商売も忙しくなり始める時期です。

そこで、今回は特別にランドセルの値段について秘密をお話しちゃいましょう上げ上げ
(このブログをご覧の方は、きっと得をする内容です汗



よく店頭やホームページなどで「メーカー希望価格¥00000」と目にすると思います。


しかし、ご注意ください!


この「メーカー希望価格¥00000」と言うのは、あまり当てにならない価格なんです汗


ランドセルを売っている私が暴露してしまって良いものか?迷いましたが、

2007年は原油高の影響で材料の革の値段が高騰してしまい、ランドセルの価格も全国的に
値上げされるようです。


そこで、お客様が良い買い物ができるようにと願いを込めて、業界の裏話をしようと決心しました!!



実は、メーカー希望価格には基準は無いのです。


ですから、はじめから割引率を決めておいて、元の価格は高く設定している場合が多いのです。


たとえば・・・


最高級のコードバンランドセルなどは、メーカー希望価格12万円が 特別価格5万9800円!

と半額になっていることもあります。


普通なら、「おおっ!半額」と思いますね?


しかし、冷静に考えると半額なんて、オーバーな感じがしませんか?


そうなんです、基準がないので高価なコードバンなら10万円位・・・ということでメーカー希望価格12万円が決められている場合がほとんどでしょう。


業界の相場から言えば、コードバンランドセル特別価格5万9800円!は普通の値段ですね・・・

(ここだけの話、卸価格は3~4万円位)


結局、何が言いたいかと言いますと


表示されている「メーカー希望価格」と「実売の価格」を比べた割引率に惑わされないように気をつけて下さい!と言うことです。


ですので、「工場直販価格」や「当社の販売価格」と表示されているものが「実売の価格」と思ってください。


特に2007年は原料の革の価格が2000~6000円くらい高騰してしまっているので実売の価格も値上げせざるを得ません。


だから、すこしでも割引率が大きく見えるようにメーカー希望価格を値上げ表示して、割引率を高く見せるところがあるでしょう。


でも、それに惑わされないようにしてくださいね!


しかし、そうは言っても商売ですから、販売店はみんな利益を出さなくてはいけませんビックリマーク


では、どうやったら良い買い物ができるのか?


それはもう、ランドセルの品質をじっくりと確かめるしかありません。


それも秘密を言っちゃいましょう!!


「ランドセルのカブセの裏」を見て下さい。


ここに革が張ってあるランドセルは、まず丈夫!たとえ5万円以上しても安いくらいです。。。


他にもありますが知りたい方は、私のホームページ でお問い合わせしてみてください。

ここでは控えておきます念のため汗



要は、見えないところを削って利益を出しているのです。



ここまで言っちゃって、じゃぁ まるいやさんはどうなの?


と言われそうですが、確かに私も商売ですから適正な利益は頂きます。


しかし、ここまで言ってしまった以上は変なことはできません!


「適正で良心的な価格でご提供する」 という信念と自信がありますので、あえて言ってしまいました。

(同業の方は、お気を悪くしてしまうかもしれませんねガーン



私は、お客さんに満足して、良い買い物をしてもらいたい。


ただそれだけの気持ちです。


この秋以降、ランドセル選びも最盛期に入ります。ぜひ参考にしてください。




今回は、ここまでにしておきますDASH!




なんと!あの昭和の名優「勝新太郎」とケンカ!?丁稚時代のエピソード

お盆も過ぎれば夏休みもあと僅か。お子様の宿題はもう終わりましたか?



まだまだ暑いですが秋は少しづつ近づいて来ます。

9月になれば運動会の季節かと思いますが、夏休みが終わったばかりですぐに運動会とは忙しいですね!



最近では学校5日制なので、夏休みが短いところもあるそうで。。。


私の個人的な意見ですが、やっぱり土曜日も午前中だけは学校で勉強した方が良いような気がしますね。


時間を効率的に使えるじゃありませんか?休みだとどうもダラダラとして過ごしてしまうお子様が多いなんてお客様からよく聞きますね。


何でもそうですがダラダラは良くありませんね!集中して勉強して、あとはスッキリと遊びましょうね!



では、今回は私の「東京丁稚奮闘記」です。



長かった戦争も昭和20年の8月15日にやっと終わり、戦後の復興の時代に入りました。(もう62年も前なんですね!)


亡くなった父は呉服屋を営んでいましたが、その父が亡くなってからは私の母は6人の子供を抱えて休む暇も無いほど忙しく苦労の連続でした。



私は姉3人、弟2人の4番目の長男。


母は呉服屋で生活を支え子供を育てるのがやっとの状態です。


そこで私は「長男として何とか母親を支えねば!」との決意から旧制中学校卒業(今で言えば高校です)と同時に東京へ上京することにしました。



当時、私の叔父は東京の日本橋で繊維問屋を大きく経営していました。(身内ながら私の大変尊敬する叔父です、そのお話は後ほど。。。)


あの当時はまだ「就職」なんて洒落た言葉は無くて「丁稚奉公」と言われてました。



そして東京に到着。初めて見る大都会に見るもの聞くものすべてが新しいものばかりでしたね!今みたいな大きなビルはあの当時はなかったですが


茂木町で山ばかり見ていた私にはどれもこれも新鮮そのもの!日曜日になると盛り場に行って映画に娯楽にと遊んでいましたね。



若造の私のは本当に夢のような世界でした。


最初はとても不安でしたが、毎日こう楽しくては実家のことなどすっかりと忘れて仕事と遊びと夢中でした。



そんなある日の休日、隣の人形町(当時の私は久松町に住み込みしていました)の本屋さんに行ったときのことです。


どこかで見慣れた人物が私の方に近づいて来ました。


よ~く見ると誰あろう「勝新太郎」ではありませんか!



※知らない人のために・・・


勝新太郎


昭和の人気俳優。奥さんは今もテレビで人気の中村玉緒


お兄さんは同じく人気俳優の若山富三郎。ヤクザの親分役なんてかなり迫力がありましたね!


勝新太郎は「座頭市」がはまり役。 今から10年前に残念ながら亡くなってしまいました。



その勝新太郎が私の顔をジロジロと見ていました。


勝新太郎をご存知の方は分かるでしょうが、あの目つきは鋭く、顔も厳ついものです。


後ろを振り向いても誰も居ないので、どう考えても私をにらんでいると思ったので


「俺に顔(ガン)つけやがったな!この野郎!少しばかり男振りが良いからってのぼせやがって!何か文句あんのか!こっちに来やがれ!」


と、私も当時は血気盛んな10代の若造。なりふり構わずこう怒鳴ってしまいました。。。


その頃の勝新太郎と言えば、映画「座頭市」で人気が登り始めて来た頃。


町で若い衆とケンカなんてことになったら人気に支障が出ると考えたかどうかは分かりませんが


私の剣幕に当の勝新太郎は何も言わずに後ろ姿を見せてその場を立ち去って行きました。


今思えば、あの若い当時は世間体などは全く頭に無く、自分の思うがままの振る舞い。。。のぼせていたのは自分の方。。。


本当に恥ずかしい思い出ですね。



お父さん、お母さん。お子さんの反抗期は必ずあります。


衝突があって当然ですよ~あんまり気にせずにしっかりと受け止めてあげましょう。


くれぐれも私のように街中で馬鹿なことはしないように。。。




では、次回のお楽しみに!
















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夏の思い出

 今年の夏は最初は猛暑が続くなんて予想がありましたが、雨ばかりで梅雨は明けないんではないか??なんて感じさせるお天気が続きました。でも8月に入ってやっと真夏のお天気になりましたね!

しかし連日の猛暑は堪えます(;^_^A


人間は現金な者で雨が続くとお天道様が恋しくなるが、あんまり暑いとすぐに雷様と雨が恋しくなる。。。

クーラーの効いたお部屋にこもるのも良いですが、太陽の栄養を体に浴びるのも悪くはありませんよ~

あくまでホドホドですが。。。浴び過ぎにはご注意を!熱中症にはご注意くださいね!

さぁ、夏と言えば私の世代は「大東亜戦争」が浮かんできます。今回はそのお話でございます。

大東亜戦争も末期の頃、だんだん日本の敗戦の雰囲気が色濃くなってきて世間では「いよいよ本土決戦か!」なんて話も聞く時期でしたね。


そんな昭和20年7月12日 宇都宮空襲を経験しました。

その当時、私は旧制中学の1年生(今の小学6年生位かな?)。

アメリカ空軍のB29という大きな戦闘機が栃木県の宇都宮市を爆撃!夜空は真っ赤に燃え上がり、そこから30キロ離れた私の住む茂木町にもまるで花火のようによく見えた記憶が鮮明に残っています。

その夜のことでした・・・悲しい別れがありました・・・

私の父は「脳溢血」で倒れ帰らぬ人なってしまいました。享年は52歳。

今じゃ若い歳ですが、当時は人生50年なんて言われていた時代です。信じられないでしょう!?

母は当時45歳。

父のそばで必死に看病。病床の枕元で母は「子供たちは必ず私が育てますから、あとのことは私に任せてください。

あなたは天国に行ってゆっくりと休んでください」と・・・

当時は薬もなく、医者はみんな戦争に駆り出されてしまい、私たちはただただ神様に祈るしかなかったのでした。

子供の私はただ黙って見守るしかなく、どうすることも出来ずに涙を必死にこらえて父を最後まで看取った母の姿を見ていました。

いつも暑い夏になると思い出します・・・


時代は変わって、今の時代はとてもとても恵まれていますよ!

病院もすぐに行けるし医者もたくさん居る。薬もすぐに手に入りますし爆弾も落ちてきません。

少々の困難なんて問題じゃぁありませんよ!大丈夫大丈夫!元気に笑いましょう!

お父さん、お母さん。

夏休みの宿題を忘れても爆弾は落ちて来ませんから、子供たちにはおおいに遊ばせてあげてくださいね!

大自然と触れ合う遊びは良い経験になりますから。

でも川で溺れる、ヘビに噛まれる、なんかには十分に気をつけてですがね!

では、次回からは

激動の戦後  柳岡壮一・丁稚奮闘記 です

お楽しみに!