2.11の大阪の続きです。
早くも今年のベスト興行だと思ってしまったので…。
第6試合は、IWGPタッグ選手権試合。
王者のヒクレオ&エル・ファンタズモ組と挑戦者のKENTA&チェーズ・オーウェンズの試合。
これが許されるのは、ひとえにKENTAさんのお陰だろうと…思います。いて欲しいんです、この人に…。
普段、ふざけていても懐刀を隠し持ってるのが田口監督なら…
普段、悪ふざけしていても仕込み刀もってるのがKENTAさん。
おまけにこの日は、石森さんのおまけ付き。
取っちゃったよ、IWGPタッグ…。
これ、NEVER6人タッグもいけますよね…。
おまけのバックステージ
結果さえ良ければ、あとはどうでもいい…と。
「で…結局ね、何が言いたいかっていうと…今シリーズちょっとあの、キスすることにちょっと頼りすぎてなんか他のなんかこういろいろ文とか言葉とがいまいちなんか、いまいち出てこなかったってこと」
文とか言葉、待ってます。
セミファイナルの第7試合。
ブライアン・アダムスとザック・セイバー・Jrの試合なんですが…。
現時点の、今年のベストバウトです。
プロのレスリングとは、かくあるべき…もの
いろんな形のあるものがプロレスで、その門は狭くない、むしろ広い。でも、そこに到達できる者は、限られた者しかいない。
テクニック世界No.1決定戦の第2弾、新日ラウンド。
腕の…手首の…取り合い。
関節技への持って生き方、体を使った相手の押さえ方。
人の体の動きがわかっている。
レスリング虎の巻があるとしたら、進行形で今現在持ってるのは、この2人。
こういう技の攻防を、職人の技という。
意地の見せ方を、プロの技と呼ぶ。
腕折れたって、ギブアップしないんじゃないか…。
そもそも、折れる前に思いもつかない返し方が出てくる。
金を払ってみる攻防とは、こういうことなのだ…と。
レスリング技術、サブミッションの技術、打撃、受け身。
どれをとっても超一流。
何度も、もう終わりだろうと見えて、30分を超えた脳みそフル回転の試合は、最後は丸め込みで、ザックの勝ち。
ザックの、意地が勝つ。
敬意を込めたザックの握手。
現実を認めたくないブライアン。
しかし、最後は、ザックを認める。
この、物凄い試合を終えたザックのコメント
「2002年2月、ROHのイベントで、ブライアン・ダニエルソンがプロレス界を一変させた。
それまで、ハードコアなデスマッチなどのプロレスが支持されていて、プロレスにはアイデンティティがなかった。
俺は、日本のプロレスに夢中だった。
そんな俺を…あれほどインスパイアしたアメリカ人は、いなかった。
お前は、俺が一生を懸けて…キャリアでやり抜こうと思っていたことと、同じことをやっていたんだ。
プロレスに対する、尊敬…敬意…技術、そして名誉をもたらすこと。
プロレスは、スポーツだ。しかしエンターテインメントの要素も含まれていないといけない。しかしそれはあくまでも目的であり、実際は格闘スポーツだ。
2008年、イギリスの…ヒョロヒョロに痩せたティーンよりも痩せた20歳の俺が、不思議な縁で、世界一のテクニカルレスラー、ブライアン・ダニエルソンと試合が組まれた。
トリプルXレスリングのコヴェントリーでの大会だ。45人程と数匹のペットが観客だったと思う。
ブライアン…、お前は5分で試合に勝って、すぐにその場を去ることができたはずなのに、人生で一番のレッスンを与えてくれた。
俺のキャリアの方向が、そこで一変したんだ…その場で、その試合で…。
そしてブライアンは、また一歩先に、世界最大のプロレス団体に向かった。俺達のプロレスを、プロレスではないと拒否する団体だ。」
「ブライアンが、世界最大のプロレス団体で活躍し、億万長者なっていた頃、俺は…どのメジャー団体からのオファーも断り続けた。14歳からこのプロレス業界でキャリアを積み、人生の全てを捧げてきた俺には、異なる考えがあったからだ。
まだ成し遂げられていない、プロレスの未来へのビジョンがあったんだ。オレはこれからも人生の全てをこのスポーツに捧げるつもりだ。」
「2024年、俺はIWGPヘビー級王座を獲って、プロレス界を一変させてやる。1人でやるんじゃない。ここにいるアホどもと一緒にだ」
「コイツらが、TMDKだ。コイツらが…TMDKを、オーストラリアに、チャンスも何もないところから立ち上げ、始まったんだ。そして…何度も屈辱を味わいながら立ち上がり続け、ここまで成長させたんだ。
そして今、ここ新日本プロレスに揃って所属している。
なんて運命だ!マイティ・ドント・ニールだ!
何度挫けても、俺たちは立ち上がり続ける。俺たちは、アホだからだ。でも、俺たちは、それほどプロレスが大好きなんだ。」
これで、ザックさんは、春のNJCの本命になりました。
ついでにいうと、G1CLIMAX、久々の外国人優勝を勝ち取るでしょう。そして、その先に…IWGPのベルト。
ブライアンがこうバックステージで言ってます。
「30分以上ものプロレスをして、負けたことに、がっかりしていると思うだろう?
でもちょっと聞いてくれ。
俺が、ザック・セイバーJr.と初めて試合をしたのは2008年のこと、まだアイツがガキの頃だった。
そして今夜、俺は…アイツと再戦した。
ちなみに、俺の目は100%完治している。
俺の腕も、100% 完治している。
そして今夜、俺は魂を100%尽くした試合をした。
魂を100%尽くしたんだ!
それにも関わらず、アイツ…ザック・セイバーJr. は、俺に勝ちやがった。
俺はアイツと握手を交わし、リスペクトを見せることしか出来なかった。
そして、俺が持っていた称号を…譲るしかなかった。
『世界一のテクニカルレスラー』は、もう俺ではない。
それはザック・セイバーJr. だ。」
「日本のファンが、アイツの存在を価値あるものとして感謝をしていることを願うよ。
あのガキは…、いやいやいや…今のは言わなかったことにしてくれ。あの『男』は、特別なヤツだ。
今夜リングで、オレはそれを感じたよ。数多くのプロレスラーと試合を交えてきた俺が言うんだ。
ザック・セイバーJr. は、世界一のテクニカルレスラーだ。
ありがとう」
いえいえ、ありがとうを言うのは、こちらです。
ありがとうございます。
特別なものを見せて頂きました。
もうこの時点で満腹なのに、まだメインデッシュがあります。
第8試合、大阪大会のメイン。
「UNITED EMPIRE」と「BC WAR DOGS」、5vs5のドッグパウンドケージマッチ
なんでこんな試合形式を認めたのか…と、とても不思議に思います。
それだけ、オスプレイの新日に対する貢献度を認めてる…ということでしょう。
最初に、ケージに入るのは、フィンレー。
そして、オスプレイ。
次に、ドリラ・モロニー
次は、HENARE
クラーク・コナーズ、TJP、アレックス・コグリン、フランシスコ・アキラ、ゲイブ・キッド、ジェフ・コブ
全員入ったところで、ゲージに鍵がかけられます。
1人1つ、凶器の持ち込みが可能なので、中はもう…しっちゃかめっちゃか、です。
どこで、誰が、何をやってるのか、カメラ越しに見ている私たちは、さっぱりわかりません。
有刺鉄線、椅子、机、フォーク、竹刀、脚立…
挙句の果てには、有刺鉄線巻きつけた机、画びょう…
もう…血まみれで戦ってます。
こんなん…FMWか…
いや、画鋲があるから大日本か…
外国人同士だから、ECWか…
しまいには、リング状のマット剥がして、板張り状態…
あの板は固定してないので、釘の刺さってない縁側で試合してるようなもの…
オスプレイの新日所属最後の試合は、1vs5 状態で、オスプレイがマットに沈みました…。
ハッピーエンドならず…。
なんでこんな試合形式にしたんだろう…と。
母国から離れ、遠い異国の日本で、プロレスに身を捧げている外国人レスラーたちの意地なんだと…感じました。
だから、日本人レスラーを入れずに、外国人と…この地で呼ばれるレスラーたちだけで、この5vs5の戦いをやったんだと…。
こんな無茶苦茶な試合、一歩間違えれば、しらけて…目も当てられない試合になります。
LA道場、野毛道場、それぞれ新日の道場で切磋琢磨し、キャリアの途中から入ったものは、生え抜きに負けぬよう、そのスキルを伸ばし、言葉の通じぬこの国で戦っている。
そんな彼らの意地とプライドなんだと…。
私の、この試合のMVPは、フィンレーとコナーズとゲイブでした。
他の団体でもやってるデスマッチを、俺らが本気でやったら、こうなるんだと…。
最後は、この試合で新日を離れるオスプレイに…マイクを渡します。
「オオサカ…。…8年もの間、皆は俺のホームだった。
ヤングボーイから男に成長する過程を、見届けてくれた。
すべての人々に、感謝する。
またいつか、ここに帰ってくることを約束する。
だから、忘れないでくれ。
俺も、みんなのことを決して忘れない。…愛している。
新日本プロレスが創り上げたものを、世界に披露してくる。
俺が今日ここにいるのも、みんなのお陰だ。
必ず、帰ってくる。それまで…マタネ。
アリガトウゴザイマシタ!」
我々は、オスプレイの曲に合わせて、大合唱で…それこそ大合唱で、彼の名前を大声で叫んで、別れを惜しみ、送り出すことしか、出来ません。
「8年間の最後の日だ…。最初は22歳のガキで、俺は…日本が、めちゃくちゃ怖かった。自閉症とADHDを持っていて…。
大変だったと言いたいわけではない。
でも、22歳で日本に初めて来た時は痩せていて、日本語も全く分からなかった。…今もほとんど喋れないけどな。」
「AEWとの契約には、新日本プロレスとの試合も含まれている。ただ、それがいつになるか分からない。」
「でも、男の約束だ。俺は必ず戻ってくるよ。必ずだ。
本当に、みんなのことを愛しているんだ。
ここまで成長した、自分のことも好きでいられるのも、日本のおかげだ。ここでエチケットやマナー、全てを学んだ。
何度も、挫けそうになりながらも立ち上がり、鼓舞して前に進み続けた。」
「俺が、ここ新日本プロレスで、創り上げられてきたことに、光栄で誇りに思う。死ぬまで、その想いは刻まれている。」
(オスプレイの腕には、ライオンマークのタトゥーがある)
「最後に何か言うとしたら、ヤングボーイ…カラム・ニューマンっていう男がいるだろう?あいつは俺よりも…もちろん若いが、すでに俺よりも優れている。
俺が恐れているのは、俺たちがすごくよく似ていると言うこと。だからミスを犯すときもあるだろう。でも、そんな時は俺にやってくれたように、立ち上がる手伝いをしてやって欲しい。責任を感じているんだ。俺の時のように、助けてやって欲しいし、育てて欲しい。」
「これまでの時間、本当にどうもありがとう。
成長させてくれて、ありがとう。
心から、愛してる。
お別れではない、また会おうだ。マタネ。」
またね、まってるよ。
ありがとう…。
追記
子供の頃に一緒に写真を撮ってもらって以来のオスプレイファンの甥っ子は、深夜バスの往復で現地観戦。
東京に帰って来ている甥っ子と、深夜のLINE交換。
メインのMVPの意味を、10代のあいつはわかってくれました。