「安心して絶望できる人生」
"そだねー!"で一躍有名となった平昌冬季五輪カーリング銅メダリスト吉田知那美選手が好きな言葉です。
「浦河べてるの家」向谷地理事の著書を読んだことで
この言葉に出会ったといいます。
向谷地生良著書『新 安心して絶望できる人生-「当事者研究」という世界』の最後には、
向谷地教授と吉田知那美さんとの特別対談が収録されています。
北海道医療大学 向谷地教授は、1970年代から浦河でソーシャルワーカーをしていました。
町民の三割がアイヌ民族出身、アルコール依存症、昔ながらの貧しさ…
浦河で見た地域の現実と向き合い、「助けないという助けかた(非援助の援助)」
という発想にたどり着きます。
2001年、統合失調症を抱え、爆発を繰り返す一人の青年K君と出会いました。
「仲間と一緒に爆発をテーマに研究してみないかい?」…
回復という作業の主役は、ソーシャルワーカーではなく当事者自身だという
あたりまえのことに気づき、2001年からはじめたのが「当事者研究」です。
近年では、精神障がい者以外にも対象が広がっていて、
東京大学では「アスリートの当事者研究」も進んでいます。
今回の厚生常任委員会の「べてるの家」視察では、
過疎化が進む浦河町で、精神障がいを持つ当事者たちが、
自らの悩みや苦労を問い続けながら、
まちづくりとして起業や社会活動に挑戦している状況を目の当たりにしました。
この取り組みで私が感じたのが、仲間の力。
病気や不安など相談し、語り合うことで、
仲間同士みんなで克服するたくましさです。
吉田知那美選手「私は本当にカーリングをやめようと思って放浪していた時期もそうですし、
その後帰ってきてもう一度競技者になるって決めたんだから絶対に結果を残さないといけないっていう気持ちになっていたとき、
自分はなんでこんなに焦っていて、苦しくて、悲しくて、
こんな状態なのかわからなかったんですけど、
『安心して絶望できる人生』というフレーズとあの絵がすごいしっくりきて、これだって思ったんです」
「みんなこのチーム(ロコソラーレ)に来て『当事者研究』のような形で、
自分ってこんなような人間なんだ、このままでいていいんだっていうことが、
このままでいることを許してくれるのがこのチームで、本橋麻里ちゃんの考えだったんです」