フード左翼とは? 食と政治 | 石川巧オフィシャルブログ「すべては三浦のために」Powered by Ameba

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一期一会を大切に、神奈川県議会議員石川たくみのブログです。
<私の目指す政治活動>
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 ○一人でも多くの三浦ファンを ○より身近な市政に

本日三浦市議会では、「議会基本条例策定等特別委員会」
「財政問題等特別委員会」が開催されます。


最近、食で政治を考える本を読みました。

『フード左翼とフード右翼~食で分断される日本人』速水健朗 著



「どう食べるかは政治的なことである」
『美味しい革命』アリス•ウォーターズ



「日本人は自分たちでルールをつくり自分たちで守ること、
いわゆる「自治」というものが大の苦手である。
吉田茂も、日本人は器用な民族だが、民主主義だけは苦手だと考えていたようだ。

…食で日本人がひとつになれた時代は、
いま終わりの時期に差し掛かっている。
…消費社会的な“〝食”〟の在り方が行き着く最先端は、
自然志向、健康志向の「地産地消」「スローフード」的な方向と
「メガマック」「メガ牛丼」といった
「下流」に向かう方向との二極分化だ。

…〈食の分断はいろいろなところで起こっている〉
現在の日本で何が起こっているのかは、
(フードジャーナリスト)畑中三応子の言葉を借りると
「いわゆる『勝ち組』が野菜中心の低カロリー食品を好むのに対し、
所得の低い『負け組』は健康面に関心が薄く、
低価格で高カロリーを摂取できる食品を選ぶ傾向が強い」ということになる。

「食で結びついた国民性」が、ここ数年で急速に崩れ始めている
というのは容易に理解できる話に見えてくる。
安全への意識、環境保全への意識、グローバリズムへの価値の置き方、
そして単純に懐具合(もっといえば階級意識?)…
こんな項目において日本人の食べ方が大きく分断されている。
現代のアメリカにおいて「買うという行為の意味は膨張し続けている」という。
公的な組織やコミュニティーの機能が衰退する一方、
企業を主体とした経済活動が課す役割が脹らんでいるのが現代の先進国だ。
その代表であるアメリカでは、消費行動が政治選択と限りなく接近しているという。
例えば 、スターバックスという企業は、
自然環境保護やフェアトレードといった政治に関わるメッセージを積極的に発信する。
つまり、スターバックスのコーヒーを買うという消費行動は、
それらの政治的な立場への賛同の意も含むことになる。
人々は、コーヒーを消費することで、同時に投票に近い政治選択を下しているということになる。
本書では、「食」というテーマにおける、右と左について考えていく。
つまり、それは「フード左翼」と「フード右翼」を見つける作業である。
まずは単純に右側にグローバルを、左側に地域主義といった具合に横軸を置いてみよう。
生産地と消費地の距離を示す指標である。
そして縦軸の上には健康を、下にはジャンク(安さ•量重視)を置いてみる。
健康志向の高い低いを示す指標だ。
地域主義で健康志向の側に位置付けされる人々が「フード左翼」だ。

アメリカ農務省の調査によると、アメリカ国内のこうした生産者と消費者が直接結ばれる
「ファーマーズマーケット」の数は、2012年の時点で7864件にのぼる。
この10年で2.5倍増だという。

現代において、社会を動かすのは政治よりも企業による経済行動や一般人の消費である。

「環境問題の解決に貢献するのが消費者の役目で、
より大きな環境対策は、彼らがモノを買っている大企業が担うべき」
つまりアメリカ人は、政治運動で政府を
動かすよりも、買うことで企業を動かし、社会の問題をなんとかしようと考えている。
消費は社会的意思を示す新しい運動である。

「フード右翼」とは、産業化がすすんだ食のユーザーのことであり、
一般に流通する食のユーザーということになる。
彼らは安全や美味しさ以上に、価格の安さやお手軽さを優先する。
「21世紀はアルチザン(職人)の作品と工業製品の闘いになる」
フランス料理のスター ポワラーズ

世界においても食の二極化構造は存在しているのだ。
もちろん、圧倒的に勝利しているのは「工業製品」としての食の世界である。
個々人に政治思想であるというつもりはなくとも、
何かを選びとるということは、何かを拒否することでもある。

それ自体が小さな政治選択なのである。

何を選び、何を食べるのか。それはこの国、いやこの世界の未来への一票なのだ。

(環境•エネルギー等)「行き過ぎたテクノロジー」は、
人々の生活を悪い方向に導く存在になりつつると捉えられるようになった。
そのため、「新しい社会運動(アラン•トゥレーヌ)」は、
テクノロジーを疑問視する傾向を持つようになったのだ。
「競争」「効率」「発展」というものを押しとどめ、
そうしたものがつくった世界ではなく、
もっと身の丈に合ったシンプルで本質的な生活を送りたい。
地域主義の健康志向、それが「フード左翼」のイデオロギーである。
「フード左翼」は、消費というかたちで参加できる政治運動である。

20世紀でもっとも影響力を持った「フード左翼」な運動のひとつが、
(イタリアピエモンテ州から生まれた食文化の保護)「スローフード運動」である。

今後、(土地効率の悪い)有機農法の割合を増やしていくことは、
健康的で美味しい食生活を求める地球上のトップ2パーセントの
消費の満足度を増やすことにはなれど、世界の食糧事情を改善してはくれない。
残りの98パーセントの人々にはなんら寄与しないどころか、
生命の危機をももたらすことが明らかな食糧生産方式ということになるのだ。
ここに「フード左翼」のジレンマがある。
政治における左翼の定義にある「下層階級の代表者」は
「フード左翼」には当てはまらない。
そして、「平等」や「弱者寄り」という姿勢までも崩れてしまう。


それぞれの人々の食への向き合い方やこだわりの延長線上に、
その人ならではの生活の在り方が見えてきて、さらにそこを突き詰めると、
それは政治意識というものになる。そして、その人の行動そのものが政治に結びつくのだ。

【フード左翼とは?】地域主義の健康志向で、消費というかたちで参加できる政治運動である。
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