「祭について〜なぜ神輿を担ぐのか?」海南神社青年会講演会 | 石川巧オフィシャルブログ「すべては三浦のために」Powered by Ameba

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「祭について~なぜ神輿を担ぐのか?」
講師は、海南神社禰宜の米田郷海君。

講演内容は、音声データをUPしました。
下記URLもしくはQRコードから
ダウンロードしてお聞き下さい。
約50分のMP4データになります。
海南神社禰宜米田郷海氏
「祭について~なぜ神輿を担ぐのか?」
音声ファイルダウンロード
http://urx.nu/784L
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人類は狩猟民族、農耕民族の二つに
分かれていて、国柄は国旗に表れている。
狩猟民族は移動のために星を信仰し、
農耕民族は太陽を信仰した。
日本の国旗は太陽信仰からくる。
日本人は稲作を中心に栄えてきた。
稲作は一人ではできない、
共同体、集落が必要であり、
自然に対する畏敬の念が必要だった。
「精霊信仰アニミズム」
神を祀ることにに繋がっていった。

神への畏敬の念、そして
五穀豊穣への感謝を込めて「祭」となった。

神様は目に見えない、
どこに神様を見出すか?
山や大木等に神が宿ると考えた。

各集落に神様をお祀りしてきた。
祭場は毎回撤去してきたものが、
一箇所に決めてお社(やしほ)を
作るようになり、その後神社となった。
社会とは、お社が集まったもの

「神輿」は歴史のどこから出てくるのか?
奈良時代、東大寺建立している時に、
大分の宇佐神宮八幡神が
紫の御輿に乗って参ったことが起源。
お神輿は、巡行、行幸といった
特別な時に使われるものだった。

比叡山延暦寺の僧兵が、
朝廷に強訴(デモ)する時
御輿を激しく揺らして抗議した。

魂を震わすことで神威が増す。
神社で鈴を振ることも、
神輿を揺することも、神威が増す意味。

平安の頃より、神輿の装飾も
派手になり、山車も出るようになった。
各集落にお社が引き継がれてきた。

日本人は調和を大切にしてきた。
自然の恵みを大切にして、
モノに対する感謝、祈りから
お祭りをやるようになった。

小泉進次郎衆議院議員は
必ず各地の神社にお参りに行く。
記者にそれは何故か?と聞かれて、
「各地の氏神さまにお参りするのは、
日本人だから当たり前のことです」
と答えた。

勤労感謝の日は新嘗祭の日。
農耕社会にとって、
自然の恵みへの感謝の日です。

お祭りは、お祓い、直会、鉢払い
とあって、鉢払いは、神前に備えたものを
祭の後にみんなで食べて
器(鉢)を片付ける意味がある。

三崎のお神輿には、静と動、
侘び寂びがある。
渡御している時はゆっくり静を、
神輿を差して(高く差し上げる)、
激しくねって、動となる。

人と神を、人と人を繋ぐのがお祭り

伝統は守るだけではなく、
時代に合ったものが必要。

古事記日本書紀といった神話、
日本の生い立ちを知ってほしい。

八雲祭とは?
八雲祭(やくもさい)の御祭神は
素戔嗚尊(スサノオノミコト)。
荒ぶる神で天上界を追放されて
悔い改め、神となった。
クシナダヒメを妻として迎えた時の歌が
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 
八重垣作る その八重垣を」で、
日本最初の和歌と言われる。

素戔嗚尊(スサノオノミコト)と
仏教由来の牛頭天王(ゴズテンノウ)の習合からなっている。だから
「お天王さま」、とも呼ばれる

疫病退散の神様、梅雨の時期、
神様の力を借りて厄払いをした。
大祭の前にすす払いをして、挑む意味がある。
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