城ケ島つるやP 「ビキニ被爆60周年 学びと祈りの集い」 | 石川巧オフィシャルブログ「すべては三浦のために」Powered by Ameba

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2014年3月1日、ビキニ被ばくから60年…
城ケ島つるやプロジェクトにおいて
「ビキニ被爆60周年 学びと祈りの集い」が開催されました。
若者世代、女性の問題意識から、ビキニ被ばくでも
三浦市三崎の被害に光を当て、過去から学ぶ場を企画したものです。
下記神奈川新聞さんの記事に詳細が掲載されています。


『神奈川新聞3.2「ビキニ水爆で三崎も被害、若い世代が学ぶ場つくる」』

「米国がマーシャル諸島・ビキニ環礁で行った
水爆「ブラボー」の実験から60年の節目を迎えた3月1日。
マグロの水揚げ基地として栄えた三浦市の三崎港周辺で
小さな「お話会」が開かれた。
静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の悲劇だけでなく、
「三崎の被害」にも光を当て、過去から学ぶ場をつくろうと
企画したのは若い世代だ。

城ケ島の古い食堂を改装したコミュニティスペース
「つるや食堂」に、若い親子連れを中心に約50人の姿があった。
会場では、ビキニ事件当時、三崎でマグロの放射能検査にあたった
坂野薫三崎保健所長の娘、小島晁子さん(73)と、
約20年前に三浦市が発行した「ビキニ事件三浦の記録」をまとめた
ライターの森田喜一さん(79)が当時の様子を振り返った。

つるや食堂を運営するメンバーの一人で企画の中心となった
石橋匡光さん(35)が2人に質問していった。

当時中学2年生だった小島さんは、学校から帰ると
人だかりで玄関から家に入れず、裏から入った記憶を語りだした。
玄関はたたかれっ放し、電話は鳴りっ放し。
「何でマグロを捨てるんだ」と抗議された。
「(放射能に汚染された)マグロが市場に出回ったらどうなるか、当
時は情報はなかった。父は分かってもらうのに大変だったようです」
と説明。「『これは命がけだ』と言っていた」

森田さんは当時、三崎の漁業関係者は「飛ぶジェット機を落とす勢いだった」
とマグロの町の隆盛ぶりを表現。
そうした中で検査にあたった坂野さんについて「抗議がものすごかったが、
強い指導力をもって検査にあたった」とたたえた。
被害を表に出したくない漁業関係者と、
廃棄を指示する検査側とで町には葛藤があった。
ただ、「廃棄すべきマグロを裏で流通させたのはただの一匹もない」。
後に魚価が戻り、再び三崎は最盛期を迎える。森田さんは、
背景には漁業関係者や坂野さんの労苦や努力があったことを強調した。

地元でマグロの加工や流通にも携わる石橋さんは、
「(三崎の被害を)知った上で仕事をしなければならないなと思う。
歴史は繰り返される可能性もあり、過去を知り、伝え、
またエラーがあったときには何ができるかを学んでいく必要がある」
と訴えた。そして、「それがマグロ屋としてもう一つの仕事」と締めくくった」

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