「三浦半島青年団体交流会」山下泰裕氏講演会 | 石川巧オフィシャルブログ「すべては三浦のために」Powered by Ameba

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「三浦半島青年団体交流会」
『夢への挑戦!』山下泰裕氏講演会に出席しました。

横須賀三浦の青年団体が、垣根をこえて集い、
地域の将来を考えていく交流会です。

ロサンゼルスオリンピック柔道無差別級金メダリスト、
国民栄誉賞の山下泰裕氏。

柔道を始めたきっかけは…小学校4年生の時、
山下さんが怖くてクラスメイトが登校拒否してしまった…。
数々の悪行に困って、両親からすすめられた。


柔道との出会い、素晴らしい恩師との出会いで、
今の自分がある。
昨年不祥事を起こした柔道界だが、
自分の出会った頃のような柔道界に戻ししたい。


過去に何を成したかよりも、
これから何を成そうとしてるかが大事。


スポーツ界で過去に活躍された方が
過去の栄光にこだわり過ぎて新しい挑戦が出来ていない。
柔道で学んだことをこれからの人生に活かすことが大事。

28歳で柔道を引退した時がポップ、
去年までがステップ、今年からがジャンプだと思っている。

スポーツのフェアプレーの精神は、
日常において発揮すべきものである。
日常生活でも「フェアプレー」、これでいじめを無くしたい。

恩師白井先生の心に残る言葉
「みんなの中から将来、日本チャンピオンが生まれたらいいな。
大きな夢を持って日々の練習頑張ってくれ!
でも、どんなに強い世界チャンピオンになろうとも、
人生は柔道着を脱いでからの方が長い。
引退してから、日常生活でチャンピオンにならなければ駄目だよ。
挨拶や先輩への敬意、
道場で学んだことで人生を生きていくことが大事、
目指すのは人生の勝利者だ」

東海大佐藤先生には、言葉よりも
生きる姿に影響を受けた。
教室、道場、ありのままの人生、
家庭に対する姿勢、生徒に対する姿勢…
先生の生き様が勉強になった。
先生のように、背中で生き様を伝えられる人間になりたい。


子どもの頃東京オリンピックをテレビで見て、
日の丸を仰ぎ見ながら君が代を聞く姿に憧れた。
夢だったオリンピック出場は、三度目の挑戦だった。
カナダモトリオールでは補欠、
19歳のモスクワオリンピックは、
日本辞退で出場出来なかった。

ロサンゼルスオリンピック、
二回戦で右足肉離れしてしまう…。
決勝の相手はエジプト選手、
10回やっても、1回しか勝てないような
偶然の勝ち方で、夢が現実になった。

2020年東京オリンピックが決まった。
自分が夢みたように
オリンピックを通して、
子どもたちに夢や希望や感動を与えてほしい。

過去は振り返らない主義だか、
夢を実現した瞬間だけは忘れられない。
金メダルが獲れたのは、
回りの稽古仲間、支えてくれた人たち
みんなのおかげで夢が現実になった。


夢を実現したい、という思いが大事。


1985年、現役を引退し、
ポップからステップへ、指導者の道を歩む。
必ず日本一のチームを作れる自信があった。
自分の経験が当てはまらないことの方が多く、いっぱい失敗した。


大学柔道部の監督三年目、
やる気の見えない4年生の選手がいた。
岡山県の白血病患者の子どものお母さんから電話があった。
治療には多くの血液が必要だったが、
なかなか血液が集まらなくて
藁をもすがる思いで相談してきたのだ。
100名の柔道部員にA型の学生20名の中に、
先ほどのやる気のない学生がいたが、
実は、彼は白血病患者の子どもの病院に
何度もお見舞いに行っていた…。
強豪柔道部でレギュラーになれない彼にとっては、
始めて褒められた、認められた瞬間だった。
自分はいつも陽のあたる場所にいて、
彼の気持ちを理解することが出来なかった。
指導者として、レギュラーを支えている選手への思いが至らなかった。

「教育」に携わる人の基本中の基本、認めることの大切さ。
人を見る時に多面的に見てあげなくてはいけない。
私こそが主体、自分が人一倍
回りに認めてもらいたい人間であることに気が付いた。
それ以降、学生が主体となった。
相手の状況を考えて行動するようになった。
誰にでも素晴らしいところがある、
誰にでも苦手なことがある。

エデュケーションとは、引き出すこと。
良いことを引き出すのが教育、
今の日本に足りないのではないか?