植物と神秘学 | 手仕事人まるひげのブログ

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植物の軽力」に続いてのオカルトっぽい話題。

今回はもう少し踏み込んで、神秘的な事柄についてです。

 

「植物の軽力」でお話した踊りに係るこの感覚は、五感の中には数えられていない、”運動感覚”と呼ぶことのできる種類のものだと思います。

(物質的な組織としては、小脳から全身に至る神経組織にも関係していそうです)

本来、哲学が行う種類の認識の厳密さを通して、内的な感覚を省みると、これまで五感に数え上げられなかった感覚を、意識することが出来ます。

(通常この感覚はすでに「運動神経」等と呼ばれてるので、特に新しいものではないのですけれども。内的な感覚を見出してゆくのは、心理学的な認識の一つと言えそうですが、他にも哲学の手段を通して、心魂の様々な性質を認識できます)

 

このほかにも、”生命感覚”と呼ぶことのできそうな感覚も、見出すことが出来ます。

生き生きとしたものや、逆に元気のないものを知覚したりする感覚ですが、同時に芽吹くものへの”萌え”と言い得るような、「キュンとする」と表現できる感覚も、生命感覚の一つと言えるのかもしれません。

(この「キュンとする」感覚は、生理学的には内分泌などに対応している気がします)

 

今の季節にこの感覚を通して見出せるものですが、芽吹き初めのまだ柔らかい新芽や、(貝殻のような)双葉の間から芽吹く初めての芽に対して”萌え”的な感情を持つことが出来るとき、そこにアフロディーテあるいはヴィーナスと神話で呼ばれる存在が、見出せるように思います。

 

(個人的な事ですが、それまで何年も「ヴィーナスというのはいったいどういう存在なのだろう」と、惑星も観察しながら考え続けていて、ある日、双葉から芽生える新芽の写真を見た時、雷に打たれたように「これはヴィーナスだ」と思いました。植物と神話の神々との関連が見出せるようになることで、ヴィーナスに関する神話の内容も、根拠があると思えるようになりました)

 

それはおそらく現代持たれているであろう、アフロディーテやヴィーナスのイメージとは異なり、成熟した女性というよりも思春期を迎えたばかりの女性という印象ですが、これについては天動説が地動説になった時代に、ヴィーナスとメリクリウスとが取り違えられた影響も大きいのではと、考えます

(あのギラギラの、日本語で言うところの金星は、かつてはメルクリウスあるいはヘルメスと呼ばれていました。太陽の傍で臆病で恥ずかし気に見え隠れする水星が、かつてはアフロディーテやヴィーナスと呼ばれていました)

 

他にもアポローンは、ギラギラ輝く太陽ではなく、新緑が若々しく育ってゆく様子の中に観られます。

(新緑の中にアポローンがいると直感した時は、その意外性に自分でも驚いたと同時に、なぜアポローンがあのような若くて快活な姿に描かれているのか、合点がいきました)

互いに勢力を競い合い、旺盛に繁殖し拡大しようとする植物の成長力や生命力には、アレースまたはマルス(つまり火星)の力を、見出せるように思います。

この、植物の成長は無限ではなく、種子をつくることによって、そのサイクルの終焉を迎えるのですが、ここにクロノスまたはサートゥルヌス(サターン)を見出せるようです。

それはいわばアレースの旺盛な繁殖力が刈り取られる事であり、同時に種子の中に、植物の全情報が巻き取られる事でもあります。

クロノスによって、旺盛な(男性的)生命力はいわば刈り取られ、大地に落ち、水の力に取り込まれ新たに芽吹きます。

これは、ビーナス(アフロディーテ)の誕生を、思い起こさせます。

 

目に見える世界として存在する世界から、それを通して表現されている世界へと意識の焦点を移すとき、語り継がれているような神秘的な世界が見いだせるという事のについての具体的なことを、お話してみました。