見慣れた当たり前の日常の中にも、よくよく考えてみたら、不思議があります。
わたしたちが傘を使った後って、閉じてからこうクルクルッとしてしまうじゃないですか。
順番としては、開いて、閉じて、クルクルまとめる。
傘を作る時も、開いた状態でつくってから、閉じてクルクルまとめます。
ところが植物の場合順番が逆で、クルクルとまとめられた状態でつくられて、その後開いて、しぼんでゆきます。
ヒルガオなんですけど、ちょうど傘がたたまれた状態で、出てくるんですよね。
まるで、開いた花の情報だけの形状を、キレイにたたんでぎゅっと小さく圧縮したものが先ずあって、その情報を逆再生するように、物質的に表現しているような。
(南国系の観葉植物とかで、扇子がたたまれた状態から開くのとかもあります)
種子の中にはぎゅっと小さくたたんで圧縮された花の形状の情報のみならず、葉やその他いろんな情報が、ギュギュっと詰め込まれているわけです。
ヒルガオの種子には、将来花開くヒルガオ全体のイメージが、効率よく、詰め込まれているわけです。
(DNAにおけるAGCTの単なる組み合わせではない訳です)
よくよく考えたら不思議なのですけど、きっと、伝わりにくいと思います。
(余談ですけど、植物全体のイメージや情報を種子に収めて詰め込む働きや力を「土星」と言い、種子を生命の働きにじんわりと取り込んで目覚めさせる力を「月」という事もできるようです)
身の周りの世界の中には、よく見てよく考えてみると、まだまだ不思議がたくさんあります。
こう言うことに気づけないので、身の周りに退屈してしまい、身の周りではない、何か他のことをいろいろと、現代人は求めちゃうんじゃないかな。
身の周りの不思議に気づけるようになると、妖怪や妖精や、そんな目に見えない存在に気づけたり、いろんな神さまのことを発見できたり、植物が耳に聴こえない天体の音楽を奏でているのに気づけたり、するのですけれども。