近所の薬局で洗剤を買った時、レジに置いてあった白色ワセリンを見つけ、買いました。
乾燥してムケムケになりがちな唇に塗ってみたところ、ことのほか調子がよいです。
なお、目の周りは隈取状態進行中です。(笑)
現日本国の総理が、インドに原発を売り込みに行っているようですね。
原発をやめる気は、現政権にはさらさらないのだろうなぁ…と思ったりしています。
(原発の稼働が現実的に必要だとしても、核のゴミ問題が宙ぶらりんな中で稼働を急ぐとするなら、正直それは、どうなのだろうと思います。CO2でも厄介なのに、それよりもはるかに厄介な気もするのですが)
安保法が改正になってからは武器輸出がある程度可能となったようですし。
現政権のバックには大きなスポンサーがついていて、その意向をかなえるべく、いろんな施策をぶったり法改正とかしているんだろうなと、そんな印象を覚えます。
もちろん大きなスポンサーがバックについていたとして、投票権は国民にあります。
スポンサーの意向をかなえるには、まずは票を伸ばすように国民対してアピールするのが、(良いか悪いかは別として)流れとしてはまっとうなやり方なのではと。
そうすると票を取りたい人たちは、国民に受けのいいマニフェストみたいなのを、宣伝するのじゃないでしょうか。
ただ、少し冷静に考えると思うのですが、誰もが票を取りたいので、誰もが国民受けのいいマニフェストを前面に押し出すんじゃないでしょうか。
冷めた見方をするならば、どの党が政権を取っても、その部分はあまり変わらないんじゃないかとも。
国民受けの良いマニフェストを前面に押し出し、受けの悪そうなものはあまり目立たなくするようなことも、十分考えることができますよね。
だからどの党に投票するのかを考える場合、いちど各党の出しているマニフェストを、すべて箇条書きみたいに羅列してみるよよいと思うのですよ。
そうすると、その党が前面に押し出しているかどうかにかかわらず、その党が政権を取った際に何が起こるのかが、見えてくるんじゃないですかね。
(安保法案の事で、そのことに気づいた方々もいらっしゃるかと)
前面に押し出しているかどうかにかかわらず、国民に反対される種類のマニフェストがあったとしても、「それを選んだのはあなたがただ」と、平然とした顔で言う方もいらっしゃることですし。
(↑意見には個人差があります)
地方から東京に出てながいこと暮らしていると、だんだんと、「条件付きで信じる」ということが習慣づいてきます。
「100%信じている」と、裏切られた時のダメージが大きいです。
逆に「100%の不信」は、物事の正しさを見誤らせることがあります。
(具体的にはですが誰かに対して、「こう言う面は任せて安心だが、別のある面では不安だ」といった、考えてみれば単なる健全な判断ということではあるのですけれどもね)
なによりそうすることで、誰かとか何かとかへの信頼を完全に失うということは、避けることができますしね…。
これから社会に出てゆく若い人たちにとっては、ネガティブに受け取られがちなメッセージかもですが、今の社会を人への信頼を失わずに生き抜くには、身に付けておくべきスキルなのじゃないかとも、思っています。