たとえばフィンランドの子育てから | 手仕事人まるひげのブログ

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先週末のTBS「世界ふしぎ発見!」を見て、”男友達”(※)みたいなシングルマザーサポートが、羨ましすぎました。

(※ボランティアの青年男性がシングルマザーに育てられている男の子の友達になって一日を一緒に過ごすことで、大人の男性と過ごす体験を援助するという、公的サービスみたいなやつ)

日本でもそんなサービスがあったら、友だち役を買って出たいです。


消費税率が24%というだけあって、公的サービスの充実しているフィンランド。

50%という離婚率の高さは、シングルでも子育てができるだけの、公的制度が充実しているからとのこと。


そもそも北欧は、皆で意見を出し合って物事を決めるという、いわば民主主義的な在り方のルーツみたいな地域だという話を聞いたことがあります。

そう言うのもあるのでしょうか。

われわれ日本人だと、税金と言ったら年貢とかと一緒で、お上に搾取されるという感じなのかもしれませんが、フィンランドですと、自分たちのために自分たちから支払うといった、より主体的なものなのかもしれません。



我々の住む日本は、現在、子供の六人に一人の割合で、家庭が相対的な貧困状態(標準的な家庭に対して経済力が低い状態)にあるとのこと。

就学援助を受けていても、給食費や修学旅行の積立が支払えなかったり。

満足に食べるものもない、飢餓に近い状況に追い詰められている家庭も存在しているとか。

さらに、国の経費の節減のために、学校の先生が事務的な仕事も兼任しているので、子供たちのケアをする余裕がなかなかないという、学校の過酷な労働環境。


人を大切にしたり思いやれる気持ちは、そもそも子供たち自身の中に、”自分が愛され、大切にされている”という実感なくしては、生じ得ませんよね。

”自分が愛されている”という実感がないとき。

あるいは、”親や保護者に認められる行為をしないと愛してもらえない”と子供たちが感じているとき。

子供たちが大人になったとき、「人を思いやらなければならない」意味が分からなくても当然ですし、あるいは「何らかの決まり事を守れない者は、ひどい目に合っても当然である」と、そう思ってしまったとしても、仕方がないことなのかもしれません。



苛めや学級崩壊などが生じるクラスの中の、何らかの理由があって不満を抱いている生徒を見出し、適切にケアできることで、そういう問題が解決に向かう、ということがあるそうです。

子供たちの心の中にある不満を解消できることによって、たとえ小規模なものであっても、争いの芽を、摘み取ることができるということなのではないでしょうか。

そう考えてみるとき、紛争の多い地域において、子供たちの心が満たされるような、そのような援助(いわゆる人道支援)を行うことは、そういった地域から争いの芽を摘み取る、優れたやり方の一つなのだと思うのです。


争いがグローバルに広がる現在、私たちの身の回りにおいても、子供たちが自然に”愛されている”と実感が持てるようになれることが、必要なのではないかと思われます。

たとえば学力だけが最優先にされる教育なのではなく、一人一人の子供たちの心が満たされるような、そういう教育の制度が、国を豊かにしたり、世界に平和をもたらすようになることに、繋がってゆくのではと思うのです。

(もちろん、心の充実と学力の向上の二兎を追えるならば、それがベストなのだと思いますし、不可能ではないのではとも思えます)



世界から悲しい、痛ましい出来事が、少しでもなくなってゆけるように。