前回は、Today’s Railways 2002年10月号に掲載されたMike Bent氏の特集記事「Spain’s high-speed network」をもとに、マドリード〜セビーリャ高速新線が誕生するまでの約150年にわたる歴史を振り返りました。

 

前回の続き、1988年、スペイン政府は新たに建設する高速新線を標準軌で整備する方針を決定し、長年構想段階にあったアンダルシアへの新ルートは、ようやく完成へ向けて大きく動き始めます。今回は、その歴史的な決断を経て誕生したAVEが、どのような設備や車両、サービスを備え、1992年4月21日の開業を迎えたのかを見ていきます。

 

第1章 世界水準を目指したAVE

 

1988年12月に標準軌採用が正式に決定すると、高速新線の建設だけでなく、その路線を走る列車や運転システムの整備も本格化しました。

 

記事では、スペイン初の高速鉄道はゼロから独自開発されたものではなく、当時すでに営業運転で実績を重ねていたフランスTGVの技術を積極的に取り入れながら建設が進められたと紹介されています。

 

営業最高速度は300km/h、電源方式は25kV・50Hz交流を採用し、従来の1,668mm広軌ではなく1,435mm標準軌の新線として建設されました。さらに、高速運転を支える列車制御システムには、ドイツで実績のあったLZB(Linienzugbeeinflussung)が導入され、300km/h運転に対応した設備が整えられました。

 

開業時に投入されたAVE100系電車は、GECアルストムを中心とした国際企業グループによって製造されたもので、基本設計はフランス国鉄(SNCF)のTGV Atlantiqueをベースとしています。ただし、スペインの運転条件や保安装置に合わせて各部に改良が加えられ、スペイン独自の高速鉄道車両として完成しました。

 

Fedekuki, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons

 

 

一方、高速新線そのものも、将来を見据えた設備が採用されています。最急勾配は12.5‰(パーミル)、最小曲線半径は4,000mを基本とし、将来的な速度向上にも対応できる線形とされました。橋梁やトンネルを多用することで急曲線を避け、高速運転に適したルートが選定されています。

 

筆者は、この新線について「単にマドリードとセビーリャを結ぶ新しい鉄道ではなく、スペインが初めて本格的な高速鉄道時代へ踏み出すためのインフラとして整備された」と位置付けています。

 

もっとも、高速鉄道は新線と車両だけでは完成しません。利用者を迎える駅についても、従来のターミナル駅から大きく姿を変えることになりました。

 

 

第2章 高速鉄道とともに生まれ変わった駅

 

高速新線の建設と並行して、マドリード、コルドバ、セビーリャの各駅でも大規模な改良工事が進められました。記事では、高速鉄道の導入は新しい路線や車両を整備するだけではなく、利用者を迎える駅そのものを近代化する事業でもあったと紹介されています。

 

 

マドリード・アトーチャ駅

マドリードのターミナル駅であるアトーチャ駅では、高速鉄道専用ホームの新設を含む全面的な改築が行われました。

 

19世紀に建設された歴史ある駅舎は保存され、その一方で高速鉄道に対応した新しい駅施設が整備されます。従来の駅舎は大規模なコンコースへと改装され、熱帯植物を配した空間へ生まれ変わりました。

 

新設された高速鉄道ホームは、従来の在来線ホームと明確に分離され、将来の列車増発にも対応できる構造となっています。

 

Luis García, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons

 

コルドバ駅

コルドバでは、従来の頭端式駅に代わり、新たな通過型駅が建設されました。記事にはコルドバ駅としか記載はありませんでしたが、おそらくコルドバ・フリオ・アンギタ駅を指していると理解しました。この駅の開業で、高速列車は進行方向を変えることなく運転できるようになり、市街地を分断していた鉄道施設も整理されることになります。さらに地下化された線路上部には新たな都市空間が整備され、高速鉄道建設は都市再開発の契機にもなったそうです。

 

Gzzz, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons

 

セビーリャ・サンタ・フスタ駅

セビーリャでは、従来中心駅だったプラサ・デ・アルマス駅に代わり、新たにサンタ・フスタ駅が建設されました。

 

この駅は1992年のセビーリャ万博開催を見据えて整備されたもので、高速列車だけでなく、スペイン各地を結ぶ列車の新たな玄関口として計画されています。記事では、新駅の完成によって、セビーリャの鉄道網そのものが再編されたことにも触れています。

 

Paul Hermans, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons

 

このように、マドリード〜セビーリャ高速新線では、線路や車両だけでなく、主要駅もあわせて整備され、筆者は、高速鉄道は単なる移動手段ではなく、駅や都市の姿そのものを変える事業でもあったことを紹介しています。

 

こうした新しい駅が整備されたことで、いよいよ利用者を迎える高速列車そのものの準備も整っていきます。

 

 

第3章 航空機との競争を意識した「AVE」というブランド

 

記事では、AVEは高速で移動するための列車としてだけでなく、航空機と競争できるサービスを提供することも大きな目的として計画されたと紹介されています。

 

マドリード〜セビーリャ間は約470kmと、航空機との競争が最も激しい区間の一つでした。そのため、高速化だけでなく、乗客が快適に利用できる車内環境やサービスにも重点が置かれました。

 

開業時のAVE100系には、最上級の「Club(クラブ)」、1等車に相当する「Preferente(プレフェレンテ)」、2等車に相当する「Turista(トゥリスタ)」の3つの座席クラスが設定されました。最上級のClubクラスは、ビジネス利用者を意識したゆとりある座席配置とし、Preferenteクラスでも食事などのサービスが提供されました。一方、Turistaクラスは幅広い利用者を対象とした標準クラスとして位置付けられています。

 

また、編成内にはカフェテリアや食堂車が設けられ、長距離移動でも快適に過ごせる設備が整えられました。記事では、こうしたサービスは当時のスペイン国内列車としては大きな変化であり、高速鉄道にふさわしい新たなブランドイメージの構築が図られたと説明しています。

 

一方で、この記事の筆者は車内サービスだけでなく、「AVE」という名称そのものにも触れています。

 

AVEはスペイン語で「鳥」を意味する言葉であると同時に、「Alta Velocidad Española(スペイン高速鉄道)」の頭文字を組み合わせた名称でもあります。高速で飛ぶ鳥を連想させる名称としたことで、新しい時代の鉄道を象徴するブランドとして広くアピールする狙いがありました。

 

Andreuvv, Public domain, via Wikimedia Commons

 

このように、マドリード〜セビーリャ高速新線では、線路や車両だけでなく、サービスやブランドイメージも含めて新しい高速鉄道が構築されました。

 

そして1991年から1992年にかけて、いよいよ営業運転へ向けた最終段階となる試運転と各種試験が始まります。

 

 

第4章 開業へのカウントダウン

 

1992年4月20日に開幕するセビーリャ万博(Expo’92)まで半年を切ると、高速新線では営業開始へ向けた最終段階が始まります。

 

1991年10月には、フランス・ベルフォールで報道関係者を対象にAVE100系電車が公開されました。翌11月には最初の編成がスペインへ到着し、高速新線で本格的な試験走行が開始されます。

 

試験では速度向上も順調に進みました。1991年11月には252形電気機関車が257.6km/hを記録し、スペイン国内の最高速度記録を更新します。さらに同年12月には、AVE100系がフランスのLGV Atlantiqueで310km/hに到達し、高速走行性能を確認しました。

 

年が明けた1992年1月には、スペイン国内でもAVE100系が330km/hを記録し、新線での高速試験は最終段階を迎えます。

 

一方、営業開始に向けた駅整備も進められ、1992年4月12日には全面改築されたマドリード・アトーチャ駅が供用を開始しました。

 

そして4月14日、マドリード〜セビーリャ高速新線の開業式典が開催されます。当時はバスク祖国と自由(ETA)によるテロ事件が相次いでいたことから、式典当日は約3,500人の兵士が沿線警備にあたり、記念列車は厳重な警備のもとアトーチャ駅を出発しました。

 

4月20日にはセビーリャ万博会場への支線も開業し、フアン・カルロス1世国王臨席のもと万博が開幕、翌4月21日午前7時、マドリード・アトーチャ駅を出発したAVEが、最初の営業列車となりました。この列車には329人が乗車し、最高速度300km/hで走行、セビーリャ・サンタ・フスタ駅まで2時間57分で運行されたそうです。

 

 

第5章 開業当初の運転体系

 

1992年4月21日の開業当初、マドリード〜セビーリャ間ではAVEが1日6往復運転されました。

 

最速列車の所要時間は2時間45分で、営業最高速度は250km/hに設定されていました。なお、シエラ・モレナ山脈からコルドバ方面へ下る曲線区間では、最高速度は210km/hに制限されていました。

 

その後、利用者の増加と車両の増備に合わせて運転本数は順次拡大されます。記事によれば、1992年5月には7往復、6月には8往復、8月には9往復へと増発され、開業からわずか数か月で輸送力の強化が図られました。

 

もっとも、高速新線を走っていたのはAVEだけではありませんでした。

 

1992年5月には、マドリード〜マラガ間でタルゴ・ペンデューラ(Talgo Pendular、下記の写真)の運転も始まります。この列車は高速新線を走行した後、コルドバで軌間変換装置を通過し、在来線へ乗り入れてマラガへ向かいました。さらに、パリ発のタルゴ夜行列車が万博期間中の週末にセビーリャまで延長運転されるなど、高速新線はさまざまな列車が共用する路線として活用されていました。

 

Falk2, CC BY 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/3.0>, via Wikimedia Commons

 

こうした運転を支えたのが、252形電気機関車(下記写真)です。

 

Falk2, CC BY 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/3.0>, via Wikimedia Commons

 

高速新線内では252形がタルゴ列車を牽引し、軌間変換装置を通過した後は、目的地に応じて269形電気機関車または333形ディーゼル機関車へ付け替えられました。

 

記事では、この運転方式によって、高速新線の整備と同時に、マラガやカディス方面など在来線区間への所要時間短縮も図られたことを紹介しています。

 

このように、1992年の高速新線は、AVEによる高速輸送だけでなく、軌間変換技術を活用することで在来線ネットワークとも結び付けられていました。スペイン独自の高速鉄道網は、この時期からすでに現在につながる運転形態を取り入れていたことが分かります。

 

 

第6章 開業から10年 ― AVEはどのように評価されたのか

 

1992年4月に営業運転を開始したAVEは、開業当初こそ万博開催による特需だったのではという見方もあり、記事によれば、万博閉幕までに約83万人が利用し、平均乗車率は90%を超え、定時運転率も99%以上を記録しました。

 

RENFEは万博終了後も利用者の定着を図るため、1992年10月のダイヤ改正で日帰り利用向け割引制度を拡充するとともに、新たにプエルトジャーノ〜マドリード間の高速シャトル列車を運転開始します。さらに営業最高速度も段階的に引き上げられ、1994年には300km/h運転を開始しました。

 

それらの施策も功を奏したのか、利用者は増え続け、1992年11月には累計100万人を突破します。記事では、こうした実績から、AVEは万博輸送という一過性に終わらず、スペイン国内の主要交通機関として定着していったことを紹介しています。

 

その象徴的な取り組みとして紹介されているのが、「5分以上遅れた場合は運賃を全額返金する」という制度です。

 

この制度は1994年9月に導入されました。開始直後には架線トラブルによる大規模な払い戻しも発生しましたが、その後も高い定時性を維持し続け、記事が執筆された2002年時点でも、RENFEは3分以内の遅れを「定時」と定義する高い運行品質を実現していました。

 

また、試験運転では1993年に356.8km/h、1998年には351km/hを記録するなど、高速鉄道としての技術開発も継続されていました。

 

一方、営業ダイヤも開業当初から大きく発展しています。

 

2002年にはマドリード〜セビーリャ間で平日18往復のAVEが運転され、朝7時から夜9時まで、おおむね毎時1本の運転体系が確立されていました。さらに、プエルトジャーノ方面への高速シャトル列車や、軌間変換装置を利用するTalgo200も引き続き運転され、高速新線はスペイン南部への幹線ルートとして定着していました。

 

この記事の最後で筆者は、1992年に開業したマドリード〜セビーリャ高速新線を、スペイン高速鉄道時代の第一歩として位置付けています。

 

もっとも、2002年当時は、高速鉄道網はまだ完成したわけではありませんでした。マラガやバルセロナ、バレンシア方面をはじめ、多くの路線はなお建設中あるいは計画段階にありました。

 

次回は、この記事で紹介されている各高速新線計画について、その後どのように整備が進んだのか、2026年現在の状況と比較しながら振り返ります。

 

参考資料:Today’s Railways 2002年10月号に掲載されたMike Bent氏の特集記事「Spain’s high-speed network」

カバー写真:Fedekuki, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons