これからしばらく、福岡県の北九州市にある城野から、大分県日田市になる夜明までの日田彦山線でかつて運行されていた優等列車の足跡をたどる備忘録にお付き合いください。

 

先の私のブログ内でも取り上げましたが、線路被災の影響でBRT化されてしまった添田〜夜明(日田)間ですが、実際にBRTと列車の両方で乗車経験から掻き立てられた気持ちから、かつては鉄路で接続されて、かつあまたの優等列車が運行されていた事実をまとめることにしました。

 

日田彦山線の歴史について、1915年の小倉鉄道として開業した石田〜香春間からはじまり、その後複雑に延伸、編入を繰り返し、私達の知る日田彦山線の形になったのは1960年でした。今回は1962年時刻表での優等列車の運転概況です。

 

 

新設された列車名

準急あさぎり号

日田彦山線の優等列車の歴史は、1959年5月1日に門司〜天ヶ瀬間で設定されたあさぎり号からスタート。その後1966年3月5日に実施された急行への格上げが行われます。あさぎり号といえば、御殿場線でも同様の列車が存在しておりましたので、この九州のあさぎり号の認知度は低いのかもしれません。同じ自然現象の朝霧ながら、富士山麓ではなく、大分の日田盆地で発生する現象から名付けられています。

 

準急ひこさん号

あさぎり号に続いて設定されたのは1960年8月1日から運行されたひこさん号。沿線の英彦山が命名という由来のわかりやすい列車でしたが、それよりもこの列車を有名にしたのは、通常の定期列車が往路・復路で1往復設定されるのが一般的だったのが、ひこさん号は由布院発のみの片道設定だった点。それも設定から1980年10月ダイヤ改正での廃止までほぼ同じ形で運転されました。

 

 

優等列車の運転概況 

運転区間をチャート化してみました。車両の運用面では、両列車ともキハ55系ディーゼル列車(2両?)が使用され、あさぎり号は一日の起点で1往復、ひこさん号は夕方に由布院を発って小倉・鹿児島本線経由で博多に向かうダイヤでした。利用客からみると、北九州から久大本線沿線の温泉地に一泊旅行しようとすると、あさぎり号で往復するか、由布院で少し長い滞在をしたときには、ひこさん号が便利な列車でした。各種書籍で指摘されている通り、ひこさん号の小倉→博多間については、回送兼ねた運転だったとみなすのが自然なようです。

 

運転時刻表のサマリー、1962年10月号時刻表から抜粋。

準急あさぎり号 

天ヶ瀬発10:27→門司港着12:34/同発13:30→由布院着16:26

準急ひこさん号

由布院発17:10→博多着20:52(小倉・鹿児島本線経由)

 

表定速度を比較してみました。日田〜小倉間では両列車とも50km/h。停車駅が続く田川市街、ならびに添田から彦山に向けての25‰(パーミル)程度の勾配区間以外ではプラス4km/h程度スピードが上がっています。

 

日田彦山線内の優等列車停車駅について、あさぎり号、ひこさん号ともに伊田(現:田川伊田)、後藤寺(現:田川後藤寺)、添田、彦山でした。小型時刻表に未収録の豊前川崎ですが、不確定ながら通過だったのだろうとと推察します。豊前川崎は1966年に上山田線が開業するまでは接続線は存在していなかったためです。

 

国鉄監修交通公社全国時刻表1962年10月号を参照して作成、列車時刻の右側に付記している数字は当該区間の表定速度(km/h)

 

 

参考資料:国鉄監修交通公社全国時刻表1962年10月号、国鉄・JR列車名大事典/寺本光照著/中央書院

参考ページ:日田彦山線(Wikipedia)