今回の知られざるシリーズですが、記録に残しておきたいヨーロッパの列車運行会社の短命ぶりをまとめました。それは、リンクス(以下、Linx)と呼ばれる列車(ブランド名)です。

 日本語サイトで充分な情報が集められなかったため、現地語(スウェーデン、ノルウェー語)の関連ページ、ドイツの鉄道雑誌の記事と可能な限り参照してまとめてみました。

 

 

 北欧2カ国の国鉄による合弁会社の目的とは?

Linxは2000年5月に設立されたスウェーデン国鉄(SJ)とノルウェー国鉄(NSB)の合弁の国際列車運行会社。収支の合わない国際列車の運営から手を引きたいの両国鉄の思惑が合致した結晶がこの会社であり、スカンジナビア3国の首都間を高速列車で接続することで国際列車で収益化を図ろうとしていました。

 

 なお、Linx設立の前史として、2000年1月10日からのマルメ〜エーテボリ間を民間会社Sydvästen AB(シドヴェステン社)による旅客列車運行を挙げておきます。この会社、2000年4月28日に破産を申請しているため、わずか3ヶ月あまりの短命会社でしたが、フランスのVIA GTIが51%、イギリスのGoAhead Groupが29%、スウェーデンのBK Tågが20%といづれもグローバルに公共交通サービスを展開する会社による出資だったが故に、スウェーデン鉄道(SJ)の落胆はどれだけだったでしょうか。

 

 Linx前史の黒歴史を背景に運行開始しますが、開始当初は機関車牽引のインターシティ列車(おそらくスウェーデン製Rc6機関車と80年代の客車)、通常のX2000列車、マルメ〜オスロ間の夜行列車など、国際列車を中心に雑多な種別の運用に携わっていたようです。

 

 

 運転区間や運用車両

 また運転区間について、最初は2001年1月からエーデボリ〜コペンハーゲン間、同年6月からはオスロ〜ストックホルム間、オスロ〜エーデボリ間に拡大。しかし不採算となっていた夜行列車は徐々に廃止され、最終的にはLinxがSJから調達、改装したX2000列車7編成を中心に運行されるようになりました。また車内サービスとして、乗客にブロードバンド・ワイヤレス・インターネット・アクセス(BWA)を提供する世界初の列車であるとされています。

 

 なおX2000の乗り入れ国については、デンマークには2000年のエーレスンド海峡開通時からSJの列車として乗り入れていましたが、ノルウェーへの初乗り入れはLinxブランドによって2002年6月16日、ストックホルム〜オスロ間で行われ、ノルウェー〜デンマーク間の運行も2003年(詳細時期不明)からコペンハーゲン〜オスロ間で行われました。

 

 

Linxの運転区間をThomascook European Timetable で拾ってみました。

  • ストックホルム〜ヘルスベリ〜カルルスタード〜オスロ →スウェーデン・ノルウェー間(ストックホルム〜オスロ間は2004年1月時点で1日3往復、曜日によって便数の増減あり)
  • オスロ〜エーデボリ〜コペンハーゲン →デンマーク・スウェーデン間、またはスウェーデン・ノルウェー間(2004年1月時点のオスロ〜エーデボリ間は1日2往復ながら、週末は日曜日は南行1本のみ、土曜日は北行1本のみと減便されていた)

 なお、一部の区間ではLinxブランドながら、X2000未使用の機関車牽引の客車列車も運用についていたようです。Thomascookの列車種別から判別するところではオスロ〜エーデボリ〜コペンハーゲン間、ストックホルム〜ヘルスベリ、カースルタード間など。

 

 下記はTable750 ストックホルム〜カルルスタード〜オスロ線の主要列車を掲載した時刻表。わかりにくいのですが、同じLinxがクレジットされた列車でも太字と細字が存在しており、列車番号の400番代が付与されたものがおそらくX2000使用列車(食堂車も連結)であり、細字のLinx(バーのみ連結)は機関車牽引の客車列車ではないかと推察します。

ThomasCook European Timetable July 2003 より

 

 

 ミイラ取りがミイラになる良い例となってしまう

 Linx衰退の原因となるのが、競合の航空会社との熾烈な乗客の奪い合いでした。それでもオスロ・ガーデモエン空港とストックホルム・アーランダ空港間のスカンジナビア航空便より廉価な料金で対抗している時期もあったようです。

 しかしながら、2003年9月1日からはノルウェーのLCCであるノルウェー・エアシャトルが両都市間で運航を開始、Linxとの直接的な競合相手となった。同年10月27日からはノルディック・リージョナル・エアリンクも同空港間での「競争」に参画。空港と市内中心部の移動時間を鑑みてもLinxと同等となり、鉄道と飛行機の運賃がほぼ同等になったことで、飛行機が両都市間のシェアを奪い始めた。記事によるとLinxの乗客は最大4割減ったということです。

 そのような環境の変化(悪化)により、Linxは2004年5月、収益性の悪さを理由に会社を清算、運行も2005年1月9日(史料によっては2004年12月31日と明記)をもって終了した。2004年の損失は数百万クローネに上ったと言われています。

 新たな市場での成功を狙ってスタートしたLinxが、結局他の交通機関にシェアを奪われるという、「ミイラ取りがミイラになる」を地で行く歴史がスカンディアビア半島の鉄道に存在したという話でした。

 

参考ページ:Linx(Railway Company)(Wikipedia日本語、英語、ノルウェー語、スウェーデン号)

参考書籍:年鑑日本の鉄道’03(鉄道ジャーナル社)、Eisenbarn-Revue International(2000.6、2000.7、2002/11)、European Rail Timetable、Today’s Railways 2004.January