今回もヨーロッパを走る名列車の歴史にフォーカスを当てます。2007年当時、ユーロナイトとして活躍していたヤン・キェプラ号。2024年現在には運転されていない列車です。この列車はかつて、東西急行(Ost-West-Express、オスト・ウエスト・エクスプレス)という名称で、長い間トーマス・クックの国際列車欄に君臨していました。私も小学生の頃から知っていた列車です(小学生が読める英単語で構成されていた急行列車!)。

 

入手したドイツ語雑誌(バックナンバー)に、その東西急行の歴史を紐解いた寄稿を発見しましたので、備忘を兼ねてブログにまとめました。この列車に見覚えのある方はぜひご覧ください。

 

ちなみに、ヤン・キェプラとは、20世紀中頃のポーランドで活躍したオペラ歌手だそうです。

 


 

ユーロナイト(EN) ヤン・キェプラ号の歴史は1960年代初頭に遡ることができる。この列車はモスクワからパリまで客車を運び、途中駅となるドイツとベルギーの国境駅アーヘンでD375/376 パリ・スカンジナビア・エクスプレス(コペンハーゲン〜パリ間)と車両交換を行った。

 

1969年、この列車は東西急行(イースト[オスト]・ウエスト・エクスプレス)と名付けられ、1971年には新しい列車番号240/241が付けられた。 1976年からは、東西急行はパリ行の単独列車として夏季に運行され、10年後の冬季はモスクワ〜ケルン間に運転区間が短縮され、パリ行寝台車はドルトムントでIC40/41 モリエール号に併結される形でバトンタッチされた。その後もこの列車は寝台車を従えて、モスクワ〜ブリュッセル〜オーステンデ・ホーク・ファン・ホランド間で運行されている。

 

1992年からはモスクワ〜パリ間が通年運行となり、深夜帯となるアーヘン〜フランクフルト(オーデル)間は通過した。1993年からは、ワルシャワまで連結されていたクシェット車は非連結となり、1994/95年、運行ルートはモスクワ〜ブリュッセル間に変更されている。それ以降、パリ行の寝台車はなくなり、代わりにウクライナのキーウとロシアのサンクトペテルブルクからブリュッセル行の寝台車が増結されている。なお、東西急行と並行して運行されていた244/245列車(モスクワ〜ケルン間)は1994年に廃止されている。

 

1998年、東西急行はEN248/249 ヤン・キェプラ号となり、ケルン〜ワルシャワ間の新ルートとモスクワおよびミンスク行きの寝台列車が設定された。2001年、再び急行列車(D248/249)に格下げされ数年間運行された。2004年12月からはENに再格上げされ、同時に列車番号がEN348/349に変更、モスクワ〜ブリュッセル間とミンスク〜ブリュッセル間の寝台車に加え、ワルシャワ〜ブリュッセル間の直通車両も新たに併結されるようになった。2006年ダイヤ改正からは、フランクフルト(マイン)中央駅が新しい発着駅となった。

 

2007年12月にはEN346/347としてアムステルダム〜ワルシャワ間の新ルートで運転開始し、その列車にはミンスクとモスクワ行寝台車併結は残った。この列車はエメリッヒ~デュイスブルク~デュッセルドルフ~ケルン~ヴッパータール・ハーゲン・ドルトムントを経由した。編成にはポーランド国鉄所有の近代的な寝台車、食堂車はじめドイツ鉄道(DB)のクシェット車が存在していた。

 

なお、夜行便の再編成(およびさらなる合理化)の一環として、このヤン・キェプラ号にはアムステルダム〜コペンハーゲン間とアムステルダム〜プラハ間の客車を併結しており、ハノーファーでEN482/483(ミュンヘン〜コペンハーゲン間)と、ベルリン東駅でEN378/379(ベルリン〜プラハ間)とそれぞれ車両交換を行うことで運行された。これらの車両交換を行う夜行列車グループは以前、1448/1449列車(ハーゲン〜オストゼーバート・ビンツ間)として運行されており、今回のダイヤ改正で変更された。また、ハノーファーでのEN482/483(ハンス・クリスチャン・アンデルセン号:ブログ筆者註への乗り換えを可能にするため、EN346/347(ヤン・キェプラ号)が1448/1449列車の時刻表位置で運行された。その結果、この列車はワルシャワ到着が45分遅く到着し、反対方向へは45分繰り上げて出発した。

 

さて、ヤン・キェプラ号としては、バーゼル~ワルシャワ間とミュンヘン~ワルシャワ間のクシェット車と、バーゼル・ミュンヘン~モスクワの寝台車が追加連結された。バーゼル編成はEN352/353(バーゼル~ドレスデン~プラハ、オリオン号:ブログ筆者註)にフルダまで連結、フルダからハノーファー間はさらにEN482/483と併結/分割され、両編成がハノーファーでEN346/347(ヤン・キェプラ号)と併結/分割された。

 

ブログ筆者註:ヤン・キェプラ号はその後、2016年12月のダイヤ改正をもって廃止。おそらく以降の記事はヤン・キェプラ号に関連した夜行列車の運行実績について

 

ミュンヘン〜ワルシャワ間の夜間接続は、1988年から1993年にかけて、D464/465で実績があり、その運行ルートは何度か変更されている。

1988年からはレーゲンスブルク~ホーフ~ゲルリッツ~ブロツワフ経由、

1990年からはニュルンベルク~プロプストツェラ~ライプツィヒ~ゲルリッツ経由、

1991年からはニュルンベルク〜マルクトレッドヴィッツ~ホーフ経由

とぞれぞれ運行されていた。1991〜1993年は、ミュンヘン〜キーウ間の寝台車も往復の列車に併結されていたものの、1993年にその連結は廃止された。

 

なお、寝台車スイス〜バーゼル経由〜モスクワ間の運行は、1993/94年ダイヤで最後となった。 1980年代にはベルリンで車両交換が行われた実績や、1991年からはフランクフルト(マイン)から(後年にはエアフルトから)450/451列車でフランクフルト〜ゲルリッツ〜ワルシャワ間を運行した。1991年から1993年にかけては、マドリード〜モスクワ間で寝台車も運行されていた。

 

参考資料:Eisenbahn-Revue International 11/2007 Vom Ost - West-Express zum „Jan Kiepura"、対象運行年のThomascook European timetable、European Rail Time