1987年からTEEの後継としてはじまったユーロシティの歴史を振り返っていく企画を立ち上げました。ドイツから取り寄せた、Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegendenの翻訳を通じて、ユーロシティーの一端を知る、文字通り「備忘録」としたいと思います。

 

まとめの対象ですが、前述の書籍内では1987〜1993年の間に運転開始されたユーロシティを扱っており、その中の列車名ごとに歴史や仕様がまとめられているページとします。書籍の紹介順に倣って、70回目は、アントニン・ドヴォルザークを取り上げます。

EC Antonín Dvořák

 

(この写真が参考文献に掲載されているわけではありません)

 

(以下原文訳、一部表現、短縮名称等をブログ筆者で補足)

アントニン・レオポルド・ドヴォルザーク(1841~1904)チェコの作曲家

 

1991年6月2日、チェコスロバキアでもEC 8/9 アントニン・ドヴォルザーク号(プラハ〜ウィーン)が最初のユーロシティに連結された。運行開始初年度、ÖBB-1146型電気機関車の後ろにÖBB(オーストリア国鉄)座席車4両とČSD(チェコスロヴァキア鉄道)食堂車1両で編成された列車は、EC 8としてウィーン南駅(東ウィング)発7:17で、ホーエナウ経由でチェコスロバキア国境のブジェツラフに8:14着/8:23発の停車中に機関車をČSD-363型電気機関車に交換し、そこからブルノ(9:03着/9:08発)を経由してプラハ(ホレショヴィツェ駅着12:15)まで旅が続く。405㎞の運行距離で、EC 8の所要時間は4時間58分(表定速度82km/h)。一方、逆方向のEC 9は若干速い(プラハ17:09発→ウィーン着22:00、表定速度84km/h)。次のダイヤ改正では、アントニン・ドヴォルザーク号が若干加速される(EC 8:ウィーン発7:15→プラハ着11:57/EC 9:プラハ発17:16→ウィーン着22:00)。その後の数年間は、時刻位置や所要時間に変更はほとんどなかった。1993年5月23日(チェコとスロバキアの分離独立の年)からは、客車6両編成となった。

 

その後の変更は1997年6月1日まで行われない: 今年、ユーロシティのもう1つの列車であるスメタナ号が、ウィーン〜プラハ間のサービスを強化し、アントニン・ドヴォルザーク号の列車番号を70/71に変更した。チェコ国内にあるコリーンとハヴリーチクーフで途中停車駅が増え、所要時間が若干増加する(EC 70:ウィーン発7:10→プラハ着12:18/EC 71:プラハ発17:39→ウィーン着22:48)。1999年5月31日からは、ČD(チェコ国鉄)が1等車を提供し、所要時間も再び競争力を持つようになる(EC 70 ウィーン発7:25→プラハ発12:11、EC 71 プラハ発17:43→ウィーン発22:33)。 これにより、表定速度もそれぞれ85km/hと84km/hに向上する。

 

2000年5月28日からは、ウィーン〜プラハ線に3本目のユーロシティ ヨハン・グレゴール・メンデル号が投入される。同時に、アントニン・ドヴォルザーク号の所要時間はさらに改善され、パルドゥビツェとチェスカ・トレボヴァにも途中停車するようになりEC 70は、全区間で4時間26分しかかからなくなった(ウィーン発6:55→プラハ着11:21/91km/h)。EC  7はさらに速く、92km/hで走破する(プラハ発18:39→ウィーン着23:03)。つまり、最初の旅から10年後、ユーロシティー アントニン・ドヴォルザーク号は、速度面でユーロシティの最低品質基準である90 km/hを満たしていることになる!

翌年(=2001年)からは、アントニン・ドヴォルザーク号はEC 132/133  スロヴェンスカー・ストレラ号(プラハ〜ブラチスラヴァ)と併結してプラハ〜ブジェツラフ間を運行され、時刻表に若干のずれが生じた(EC 70:ウィーン発6:25→プラハ発10:50/EC 71:プラハ発17:58→ウィーン発22:28)。2年後(2003年12月14日)、この併結運行は廃止され、代わりにアントニン・ドヴォルザーク号がEC 105/106 ソビエツキー号(ウィーン~ワルシャワ)と共にウィーン~ブジェツラフ間を運行するようになった。また、ホレショヴィツェ駅の代わりに、プラハ本駅で発着するようになった(EC 70:ウィーン6:34発→プラハ着11:08/EC 71:プラハ17:26発→ウィーン着22:02)。

 

(2004年12月12日〜)ユーロシティ アントニン・ドヴォルザーク号(EC 76/77)とスロヴェンスカー・ストレラ号(EC 136/137)によるプラハ〜ブジェツラフ間の併結運転は、わずか1年後(=2004年)に2年間のみ復活し、プラハの発着駅も変更された。この列車には、EC 72/173 ヴィンドボナ号(ハンブルク・アルトナ駅〜ウィーン南駅)(DB AGの1等コンパートメント客車Avmzを連結したČD編成の2日ローテーション)が併結された。また、2008年夏には、プラハ〜ブジェツラフ間で3両編成の客車(ZCG(モンテネグロ国鉄) クシェット客車:バール〜プラハ間、ČD クシェット客車:テッサロニキ〜プラハ間、ČD 2等コンパートメント客車:ブダペスト〜プラハ間)も運行した。

 

2008年12月14日から2009年12月12日まで、チェコ区間ではアントニン・ドヴォルザーク号がスーパーシティ(SC 16/17)に格上げされ、ÖBBでは引き続きユーロシティとして同じ列車番号で運行される。SC/EC 16/17(EC 17:プラハ発10:57→ウィーン着15:02/EC 16:ウィーン発15:58→プラハ着20:01)の全区間所要時間は4時間05分または4時間03分となり、これはアントニン・ドヴォルザーク号が初めて(そして残念ながら唯一)表定速度100km/hを超えることを意味する。

 

(2009年12月13日〜)EC 76/77 アントニン・ドヴォルザーク号からチェコの新型列車が撤退し、ÖBB-1216型機関車牽引に置き換えられ、ダイヤが大幅に変更された。EC 77はプラハ本駅発10:39で、パルドゥビツェ、チェスカ・トレボヴァ、ブルノ、ブジェツラフ、ウィーン・ジメリング駅、ウィーン・マイドリング駅を経由して新しい終着駅ウィンナー・ノイシュタット着15:55。逆方向のEC 76はウィンナー・ノイシュタット発18:04→プラハ着23:21(452kmの旅程、表定速度85km/hまたは86km/h)。その後、ユーロシティ アントニン・ドヴォルザーク号が最終的にČD レイルジェット編成に変更される2014年9月1日まではしばらく分単位の時刻修正が続いた。その後2014年12月13日までは "RJ "と "EC "の両方として並行運転され、2014年12月14日からは名称はそのままにRJ 76/77(グラーツ中央駅〜プラハ本駅)としてのみ運行される。2018年12月9日以降、RJ 76/77は、この路線を走る他のレイルジェットとともに、ヴィンドボナ号という名称が与えられた。

 

 

  編成例(書籍内イラストから)

 

1991年夏ダイヤ 

1等・2等のコンパートメント車、食堂車(チェコ)、途中での増解結なし。オーストリアとチェコの車両のみ。

 

今回は以上です。

 

 

参考資料:

・Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegenden /Jean-Pierre Malaspina, Manfred Meyer, Martin Brandt

・Thomascook European Timetable/Thomascook

参考ページ:

Datenbank Fernverkehr (Database long-distance trains)

Harrys Bahnen

ページ内写真:Flickr(引用元は写真とセットで明記)