1987年からTEEの後継としてはじまったユーロシティの歴史を振り返っていく企画を立ち上げました。ドイツから取り寄せた、Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegendenの翻訳を通じて、ユーロシティの一端を知る、文字通り「備忘録」としたいと思います。

 

まとめの対象ですが、前述の書籍内では1987〜1993年の間に運転開始されたユーロシティを扱っており、その中の列車名ごとに歴史や仕様がまとめられているページとします。書籍の紹介順に倣って、68回目は、レハール号を取り上げます。

EC Lehár

 

(この写真が参考文献に掲載されているわけではありません)

 

(以下原文訳、一部表現、短縮名称等をブログ筆者で補足)

フランツ・レハール(1870~1948)ハンガリーにルーツを持つオーストリアの作曲家

 

1979年5月27日夏ダイヤ以来、オーストリア・ハンガリー間は、新しい列車 D 1460/1461によって接続されている。レハール号と名付けられた列車は、オーストリア(ÖBB)・ハンガリー(MÁV)両国鉄が、ウィーンからブダペストへの朝の接続と、その反対方向では夕方の接続を提供し、ブダペストでの十分な時間滞在することができた。レハール号は当初、夏ダイヤ中と冬の週末のみ運行で、1985年9月29日からは全面運休となった。しかし、これは一時的なもので、1987年5月31日からは、運行日数の制限もなく、以前と同じ時刻表の位置でEx 340/341として復活した。その1年後、1988年5月29日夏ダイヤから、レハール号はユーロシティ(EC 40/41)に格上げされた。これにより、当時まだ存在していた鉄のカーテンを越えた最初のユーロシティとなった。EC 41はウィーン南駅発7:45で、ブルック・アン・デア・ライタでの途中停車を経て国境駅ヘゲシャロム着8:28。ここでの越境手続はわずか10分だった(1980年代初頭は30分ほどかかった)。牽引機はÖBB-1146型電気機関車2両を使用し、2国間の電力系統が異なっても、通常は機関車の付け替えは不要だった。その後、ギョール経由で終点ブダペスト南駅着10:33。レハール号はMÁVのプルマン型1等客車と食堂車、ÖBBの2等車による編成だった。復路はEC 40としてブダペスト発18:30で、ウィーン南駅着21:18で戻る。252kmの運行距離で所要時間2時間48分(表定速度90km/h)。

 

1991年6月2日より、所要時間が若干変更された: EC 41はウィーン南駅発7:15(ブダペスト南駅着10:03)、EC 40はブダペスト発19:10→ウィーン着21:58。1994年夏ダイヤからは、ウィーン到着が5分早くなっている。1995年夏ダイヤでは、レハール号はほぼ運行開始当初と同じダイヤ(EC 40:ブダペスト発18:37→ウィーン21:22着/EC 41:ウィーン発7:16→ブダペスト着10:01)に戻っている。

 

1996年6月2日からは、さらに大きな変更があった: MÁVのプルマン型1等車が1等コンパートメント車に置き換えられ、ブダペストの始終着駅が東駅となる。これによる所要時間への影響はないが、EC 41の時刻が若干変更された(ウィーン南駅発7:00→ブダペスト東駅着9:45)。1997年以降、261kmの運行距離の所要時間は2時間32分に短縮され、レハール号は表定速度103km/hとなった(EC 41:ウィーン南駅発6:46→ブダペスト東駅着9:18/EC 40:ブダペスト東駅発6:54→ウィーン南駅着9:26)。

 

1999年5月30日から2000年5月27日まで、レハール号はブダペスト発9:35でフュセサボニー経由でミシュコルツ(11:30着)まで183キロ運行区間を延長された。日曜日には、シャートラルヤウーイヘイが始終点(12:55着、セレンチュとシャーロスパタクに途中停車)することもあり、その際は延長区間の84キロはディーゼル機関車で牽引も行われた。日曜日のEC 40 シャートラルヤウーイヘイ発15:15→ミシュコルツ発16:40で、ブダペスト東駅着18:37、17分間で方向転換と機関車交換を行いウィーンに向かう。EC 41のウィーン始発時間が早すぎるとの批判が多く、2000年夏ダイヤからはウィーン発7:15→ブダペスト着9:48。EC 40はブダペスト発18:55→ウィーン着21:26で結び、所要時間はわずか2時間31分、表定速度は104km/h。

 

ÖBB客車とMÁV食堂車という編成のレハール号の所要時間が再び大幅変更されるのは、2006年12月10日からである: EC 41のウィーン発車時刻は再び6:45に繰り上げられ、ウィーンでの始終着が南駅から西駅になった(新中央駅の建設工事開始による)。旅はブダペスト東駅着9:48で終了し、EC 40はブダペスト東駅発19:10→ウィーン西駅着22:10。このため、所要時間はちょうど3時間または3時間02分となり、表定速度は90km/hと再び低下。2008年12月14日以降、ユーロシティ レハール号はÖBBレイルジェット(RJ 40/41)に置き換えられる。2009年12月13日からは、分単位の微細な変更を除き、その後2年間はダイヤに変更なし。2014年12月14日からは、MÁV-1047型電気機関車が牽引するMÁVの5両編成で、ほぼ同じ時刻(EC 149:ウィーン西駅発7:48→ブダペスト東駅着10:49/EC 148:ブダペスト東駅発18:10→ウィーン西駅着21:12)で定期運転に復帰。2015年冬ダイヤでは、レハール号の列車番号はEC 145/148となり、EC 145はウィーン中央駅(旧南駅の跡地に建設)発14:42→ブダペスト東駅着17:19。EC 148はブダペスト東駅発18:40→ウィーン中央駅着21:18。所要時間は2時間37分と2時間38分で、ウィーン〜ブダペスト間のレイルジェットによる等間隔ダイヤに完全統合され、表定速度は再び100km/hに達し、この点でも1990年代の水準に戻った。

 

 

  編成例(書籍内イラストから)

 

1989年夏ダイヤ 

1等オープン座席(プルマン)車、2等のコンパートメント車、食堂車、途中増解結なし。オーストリアとハンガリーの車両。

 

今回は以上です。

 

 

参考資料:

・Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegenden /Jean-Pierre Malaspina, Manfred Meyer, Martin Brandt

・Thomascook European Timetable/Thomascook

参考ページ:

Datenbank Fernverkehr (Database long-distance trains)

Harrys Bahnen

ページ内写真:Flickr(引用元は写真とセットで明記)