1987年からTEEの後継としてはじまったユーロシティの歴史を振り返っていく企画を立ち上げました。ドイツから取り寄せた、Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegendenの翻訳を通じて、ユーロシティーの一端を知る、文字通り「備忘録」としたいと思います。

 

まとめの対象ですが、前述の書籍内では1987〜1993年の間に運転開始されたユーロシティを扱っており、その中の列車名ごとに歴史や仕様がまとめられているページとします。書籍の紹介順に倣って、38回目は、フランツ・リストを取り上げます。

EC Franz Liszt

(この写真が参考文献に掲載されているわけではありません)

 

(以下原文訳、一部表現、短縮名称等をブログ筆者で補足)

フランツ・リスト/リスト・フェレンツ(1811年 - 1886年)

ハンガリーの作曲家、ピアニスト、指揮者、劇場監督、音楽教師、ドイツ語を母国語とする作家

 

ユーロシティ レハール号登場から1年後、1989年5月28日から2番目のユーロシティ、EC20/21 フランツ・リスト号(ブダペスト〜ドルトムント)がハンガリーと西ヨーロッパの隣国を結んだ。いわゆる超大国間の政治的「雪解け」が始まったにもかかわらず、長きにわたるヨーロッパの東西分断がまだ克服できないこの時点で、これは非常に驚くべきことである。しかし、早くも1989年9月、ハンガリーとオーストリアの国境が正式に開かれた後、フランツ・リスト号はドイツ民主共和国(東ドイツ)からハンガリーに逃れてきた人々をようやく自由へと導いた列車の一つであった。

 

ドイツ連邦鉄道(以下、DB)の客車で構成されるEC20は、ブダペスト東駅発6:45で、ハンガリー国内では、ギュール、ヘジェシュハロム(ヘゲシャロム)(ここでMÁV-ÖBB機関車交換も行われる)に停車し、ウィーン西駅(10:07着/10:15発、ここで方向転換、DB-103形電気機関車に交換)、ザンクト・ペルテン、リンツ、ヴェルスに停車し、ドイツとの国境駅パッサウ(13:09着/13:12発)、プラットリング、レーゲンスブルク、ニュルンベルク、ヴュルツブルク、アシャッフェンブルクを経て、EC20はフランクフルト中央駅(17:37着/17:47発、ここで方向転換と「103型→103型」と同型同士で交換)、フランクフルト空港、マインツ、コブレンツ、ボン、ケルン、デュッセルドルフ、デュイスブルク、エッセンを経由し、ようやくドルトムント着21:16。所要時間14時間31分、2回の機関車と方向転換、走行距離1,366km、94km/hの表定速度を実現した(対向列車EC21 ドルトムント発6:42→ブダペスト着21:20)。

 

フランツ・リスト号の時刻表は、1991年夏ダイヤが実施されるまでの2年間は不変であった。1991年6月2日からは、新しい列車番号EC24/25で運行され、EC24は従来より約2時間繰り下げた時刻となった(ブダペスト発8:30→ドルトムント着23:20)。ブッルク・アン・デア・ライタ、ノイマルクト、カルハム、シェルディング、ボーフムでの途中停車と、フランクフルト〜ドルトムント間での多客時の客車増結により、所要時間は14時間50分(表定速度92km/h)に延びた。対向列車EC25は時間的な位置づけは変わらないものの、停車駅が追加(ウィーン・ヒュッテルドルフ駅)され、ドルトムント発からブダペストまでちょうど15時間かかった。また、1993年夏ダイヤでは、フランツ・リスト号のDBのWRmh132形(食堂車)がMÁV(ハンガリー国鉄)の食堂車と交換されていることも特筆に値する。1995年5月28日より、EC24/25が再び大幅にスピードアップされた。すでにブダペストからÖBB(オーストリア国鉄)-1014形複電圧機関車が牽引するEC24は、ブダペスト東駅発8:47(従来より22分遅く出発)だが、ドルトムントには以前よりさらに1分早く、23:19に到着、EC25はドルトムント発6:39でブダペスト着21:11で28分加速された。つまり、EC24は14時間32分で、1989年の初期値とほぼ同じになる。このスピードアップの主な要因として、ブダペスト〜ウィーン間のÖBB機関車への切り替えが大きい。そのÖBBの新形複電圧電気機関車は、ヘジェシュハロムでの機関車交換を不要にしたため、翌年の1996年ダイヤでは、EC24はさらに7分加速された。

 

1997年6月1日夏ダイヤからは、ユーロシティ フランツ・リスト号の使用編成はほぼにMÁV車両に変更され(ただし、平日のいづれかにはDBのAvmzとBmが運用に入る)、ブダペスト 〜ウィーン間でさらに24分、ウィーン〜フランクフルト間でさらに9分加速された(ブダペスト発9:18→ドルトムント着23:20、所要時間14時間02分、表定速度97km/h)。対向列車EC 25は6分延び(ドルトムント発6:38→ブダペスト着20:46)、翌年には2時間繰り上げらた(ドルトムント発は4:38(!)→ブダペスト着18:52)。

 

1999年5月30日から、ケルン中央駅が最北の発着駅となった。ブダペストとウィーン間の牽引機は従来のÖBB-1014型電気機関車から、新たに納入されたDB-101型高性能電気機関車が牽引するようになった。EC24はブダペスト発9:12、ケルン中央駅着22:00で所要時間12時間48分、走行距離1,249kmとなり、EC25の時刻表位置(ケルン発5:49→ブダペスト着18:52)も維持された。このにより、表定速度はそれぞれ98km/hと96km/hが実現する。

 

2002年ダイヤ改正では、EC24は12時間40分(ブダペスト発9:20→ケルン着22:00)、EC25は12時間56分(ケルン発5:47→ブダペスト着18:43)と、さらに所要時間が短縮された。これらはEC44/45 バルトーク・ベーラ号、EC46/47 センメルヴェイス・イグナーツ号との共通運用になった。

 

2002年12月14日に施行された2003年年間ダイヤでは、この日からÖBB-1116型電気機関車を「サンドイッチ(=挟み込み、プッシュプル)」されたÖBB客車に変更されるEC24/25が、フランツ・リスト号の名での最後の走行となった。この列車は再び加速され(主に終着駅のウィーン西駅とフランクフルト駅での方向転換時間が短縮)、12時間26分(EC24:ブダペスト発9:40→ケルン発22:06)、12時間40分(EC25:ケルン発5:48→ブダペスト発18:28)しかかからない。表定速度101km/hのEC24は、このように初めて100km/h制限を超えた。

 

2003年12月14日より、EC24/25は、他の多くのユーロシティ列車と同様に、その名称を失うことになった。ここで1998年のルートが復活、時間短縮されたダイヤで運行(EC24 ブダペスト発9:35→ドルトムント着23:21/EC25 ドルトムント発4:33→ブダペスト着18:28)となり、その後、順次所要時間が延び、最終的には1993年の水準に到達した: 

 

2005年は13時間50分(EC24)、14時間(EC25)

2006年は14時間ちょうど(EC24/25)

2007年は14時間10分(EC24)と14時間14分(EC25)

 

 2007年12月9日、ユーロシティ フランツ・リスト号は、EC42/43として、ブダペスト〜ウィーン間という従来よりも短縮されたルートで、MÁVの客車とMÁV-470型複電圧電気機関車牽引で再登場。EC42はブダペスト東駅発7:10、ウィーン西駅着10:08(対向列車はEC43 ウィーン発5:25→ブダペスト着8:23)。これらはEC44/45 バルトーク・ベーラ号、EC46/47 ゼンメルヴェイス・イグナーシュ号と共通運用です。273kmのルートでの途中停車は従来通りジェールとヘジェシュハロムであり、表定速度は従来通り92km/hだった。

 

ウィーン - ドルトムント間では、従来のEC24/25がDB/ÖBB共同所有のICE-T 411型電車(ICE23/26)に置き換わる。2008年12月14日より、新列車番号EC960/961のフランツ・リスト号は、EC961が大幅に遅い時間帯のダイヤ(ウィーン発11:50→ブダペスト着14:49)となるため、1日での共通運用されるローテーションに変更となった。しかし、2009年12月13日からは、ÖBBレイルジェットが、EC960/961の時刻表を引き継ぎ、フランツ・リスト号の決定的な終焉を意味した。

 

 

  編成例(書籍内イラストから)

 

1995〜96年冬ダイヤ 

1等・2等のコンパートメント車、1等・2等オープン座席車、食堂車(ハンガリー国鉄)、増解結なし。食堂車を除いてドイツの車両。

 

今回は以上です。

 

 

参考資料:

・Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegenden /Jean-Pierre Malaspina, Manfred Meyer, Martin Brandt

・Thomascook European Timetable/Thomascook

参考ページ:

Datenbank Fernverkehr (Database long-distance trains)

Harrys Bahnen

ページ内写真:Flickr(引用元は写真とセットで明記)