1987年からTEEの後継としてはじまったユーロシティの歴史を振り返っていく企画を立ち上げました。ドイツから取り寄せた、Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegendenの翻訳を通じて、ユーロシティーの一端を知る、文字通り「備忘録」としたいと思います。

 

まとめの対象ですが、前述の書籍内では1987〜1993年の間に運転開始されたユーロシティを扱っており、その中の列車名ごとに歴史や仕様がまとめられているページとします。書籍の紹介順に倣って、36回目は、ヨハネス・ケプラー号を取り上げます。

EC Johannes Kepler

(以下原文訳、一部表現、短縮名称等をブログ筆者で補足)

ヨハネス・ケプラー(ラテン語 loannes Keplerus、Kepplerとも、1571年から1630年)は、自然哲学者、数学者、天文学者、占星術師、光学者、プロテスタントの神学者。

 

第2章で述べたように、オーストリア連邦鉄道(以下、ÖBB)では、1991年から4010系電車の初期型が、更新修繕・アコモ改造されて運用に復帰した。この電車だが、フランクフルトとニュルンベルクを結ぶIC660/661 プリンツレジェント号 フランクフルト - ミュンヘンの以前のダイヤを引き継いで、1991年6月2日からリンツとフランクフルトの主要駅を結ぶ、EC120/121 ヨハネス・ケプラー号として赤と明るい灰色のツートンで塗装された1編成目が運用に入った。

 

南行EC121はフランクフルト発6:20、アシャッフェンブルク、ヴュルツブルク、ニュルンベルク、レーゲンスブルク、プラットリング、パッサウ、ヴェルスでの途中停車を経てリンツ着12:07。この終着リンツでウィーン、ブダペスト方面に向かうEC63 ベラ・バルトーク号と接続した。対向の北行EC62から、EC120がリンツ発17:53で、フランクフルト着23:39で運行された。このため、始発と終着駅の間の561キロメートルの所要時間は5時間46分/47分となり、EC120/121の表定速度は98km/hだった。

 

1993年5月23日からは、EC120/121が双方向で2分ずつスピードアップするが(EC121 フランクフルト発6:22/EC120 フランクフルト着22:37)、この時点で既にこの列車の終わりが告げられてた。わずか1年後の1994年5月28日のダイヤ改正で、DB(ドイツ鉄道)インターシティ(IC720/721)に置き換えられ、終着駅もパッサウに変更された。ユーロシティ ヨハネス・ケプラー号は、その短命にもかかわらず、フランクフルト - ニュルンベルク間の最期のダイヤで、朝のEC121がÖBB編成の最後尾にオーシャンブルー/ベージュまたはグリーンのカラーリングのDB郵便車を連結したことは、引退後も多くのドイツの鉄道ファンの記憶に残っている。

 

 

  編成例(書籍内イラストから)

 

1991年夏ダイヤ 

オーストリア国鉄4010系電車使用

1・2等合造コンパートメント車、コンパートメント車(2等のみ)、オープン座席車(1等・2等)、途中の増解結なし

 

今回は以上です。
 

参考資料:

・Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegenden /Jean-Pierre Malaspina, Manfred Meyer, Martin Brandt

・Thomascook European Timetable/Thomascook

参考ページ:

Datenbank Fernverkehr (Database long-distance trains)

Harrys Bahnen

ページ内写真:Flickr(引用元は写真とセットで明記)