時刻表紙面から確認できる国鉄(JR)⇔私鉄線の乗り入れがあった記録を残しております。

 

しばらくぶりですが、今回は24回目、かつて岩手県に存在した松尾鉱業鉄道線の乗り入れ実績について。

 

今回は1967、68年の時刻表と新潮社の日本鉄道旅行歴史地図帳でたまたま見つけた臨時列車を備忘として残そうと、久しぶりにこのシリーズの続編を執筆しました。

 

 松尾鉱業鉄道線

松尾鉱業鉄道線については、Wikipediaページを参考にしました。

 

Wikipedia情報によるこの鉄道線の略歴です。

1948年月 3月15日  地方鉄道として開業                  
1969年12月12日 旅客営業廃止
1972年10月10日 全線廃止

 

全線単線の12キロあまりの鉄道ながら、松尾鉱山からの鉱物(硫黄)輸送を担うため電化された鉄道です。このシリーズでは国鉄線乗り入れの略歴をまとめていますが、今回は入手できる情報が限られているため、ピンポイントな紹介となります。

 

この鉄道線への国鉄旅客列車の乗り入れ目的として推察できるのは、

観光目的 岩手県と秋田県にまたがる高原である、八幡平(はちまんたい)への観光客輸送

鉱山労働者とその家族の帰省 全国各地から移住してきた鉱山労働者の帰省等

です。

今回紹介する秋に運転されたのは観光目的とほぼ断定できますが、参考文献で確認できた列車には1962年7月運転の上野発臨時急行はちまんたい号が存在しており、仮にお盆の時期の運転もあったなら、鉱山労働者の帰省も含まれていたのかなど妄想するばかりです。充分な情報がないため推察の域をでませんが、当時の乗り入れに関する情報をお持ちの方がおられましたら、コメントいただけますと幸いです。

 

 

 紙面からうかがえる「乗り入れ」の様子

1967年10月号紙面より。下記画像中程に「定期列車111D急行[くりこま]の延長運転」との記事、ご覧になれますでしょうか。このくりこま号は盛岡行のディーゼル急行列車であり、東北各地を結ぶ急行列車が多数「ぶら下がる」多層建て列車でした。

(以下に続く)

交通公社の時刻表 1967年10月号より
 
(上欄より)下りは急行くりこま号に併結されていた松尾鉱山線乗入れ車両が盛岡で切り離しされ、臨時の普通列車として単独で松尾鉱業線に乗入れ。上りは松尾鉱業線大更で大館発の花輪線定期列車と併結されて盛岡到着後に切り離され、次は急行くりこま号にさらに併結されています。盛岡〜東八幡平間の時刻概要は下記の通り。
下り:912D〜9121D 盛岡発11:05 → 東八幡平着12:27
上り:1336D(大館発定期) 東八幡平発16:45 → 盛岡着18:06
運転日:いづれも 1967年10月1、7、8、10日運転
使用車両:キハ52形ディーゼル列車 編成両数は不明

 

 仙台からの乗り入れ実績は、上記以外にも1968年10月でも確認できました。パターンは前年同様ながら、併結対象となる列車が異なります。

 下りは秋田行急行たざわ号に併結されていた松尾鉱山線乗入れ車両が盛岡で切り離しされ、普通東八幡平号として単独で松尾鉱業線に乗入れ。上りは普通東八幡平号として松尾鉱業線大更で花輪線定期列車(大館発)と併結。盛岡到着後に切り離され、次は青森始発の急行くりこま2号・さかり号(多層建て列車)にさらに併結されています。盛岡〜東八幡平間の時刻概要は下記の通り。

下り:8811D 盛岡発10:15 → 東八幡平着11:24
上り:1936D(大館発定期) 東八幡平発16:45 → 盛岡着17:55
運転日:いづれも 1968年10月5、6、10〜13日運転
使用車両:キハ52形ディーゼル列車 編成両数は不明

 

今回は以上となります。

 

関連図書のご紹介

↓カラー写真が珍しかった時代の記録が一冊にまとまっている写真集のようです。私は未購入ではありますが、ご興味のある方いかがですか?ちなみに著者ジェイ・ウォーリー・ヒギンズさんは、かつてアメリカ空軍の軍人だったようです。いろいろ思うところありますが、彼の作品が多数著作として残っている自体貴重であり、後世に残る素晴らしい遺産になると思います。

 

 

なお、過去のシリーズをまとめたページがあります。よろしかったらバックナンバーもご覧ください。

 

参考資料:交通公社の時刻表、日本鉄道旅行地図帳 2号東北 新潮社

参考サイト:松尾鉱業鉄道(Wikipedia)