1987年からTEEの後継としてはじまったユーロシティの歴史を振り返っていく企画を立ち上げました。ドイツから取り寄せた、Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegendenの翻訳を通じて、ユーロシティーの一端を知る、文字通り「備忘録」としたいと思います。

 

まとめの対象ですが、前述の書籍内では1987〜1993年の間に運転開始されたユーロシティを扱っており、その中の列車名ごとに歴史や仕様がまとめられているページとします。書籍の紹介順に倣って、19回目は、コメート(コメット)号を取り上げます。ちなみにコメートはドイツ語で「彗星(すいせい)」の意味です。日本にもかつて「彗星号」という優等列車がありましたね。

 
EC Komet

見合う写真を見つけられ次第アップします

 

(以下原文訳、一部表現、短縮名称等をブログ筆者で補足)

1954年5月15日の夏ダイヤから、西ドイツ国鉄(以下、DB)はハンブルク・アルトナ駅〜チューリッヒ中央駅間をFt 49/50 コメート号で夜行運転され、夜行列車向けの連接車のプロトタイプであったVT10.551形が運用に就いた。1編成しかないため、コメート号は南行(=ハンブルク発)は日、火、木の夜のみ、チューリッヒ発は月、水、金の夜という運行スケジュールだった。土日に定期点検が行われたものの、故障による機関車牽引の客車列車への交換がしばしば行われた。そして、1958年6月1日、ついにVT10.551形ディーゼル列車は定期運行から撤退し、コメート号は機関車牽引の客車編成となった。その編成はDSG(註:Deutsche Schlafwagen- und Speisewagen-Gesellschaft mbH)所有の寝台車、クシェット車に加え、DB所有のAR4ümg半室食堂車、1〜2両の自動車輸送貨車(DPwüm)で構成された。その自動車輸送貨車の1両はハンブルク〜バーゼル間を、もう1両は週2回、キアッソまで延長運転していた。1960年5月29日より、コメート号はキアッソ発着はなくなり、バーゼルSBB発着のみとなった。1963年5月26日からはD49/50となり、自動車輸送貨車は夏ダイヤ中毎日、冬ダイヤではキアッソ発着で週2回の運行も行われた。そして結局コメート号1970年5月31日からはD470/471として、ハンブルク〜バーゼルSBB駅間で運転となった。その後17年間運行され、1987年(註:5月31日)にコメート号は以前の列車番号、時刻表、運行区間を踏襲し、EC470/471としてユーロシティ初の夜行列車のひとつとなった。

 

コメート号は、DB-103型電気機関車が寝台車とクシェット車含む編成が牽引する列車であり、南行EC471は、ハンブルク・アルトナ駅発21:52、ハンブルク・ダムトール駅、同中央駅、リューネブルクを経由してハノーファー中央駅(23:46着/0:03発、ここが南行の最終乗車駅)、ブレーメン中央駅では寝台車とクシェット車各1両(D2885 ブレーメン〜ハノーファー間)がコメート号に併結されて南下を再開。カッセルとダルムシュタットで2駅途中停車後、早朝5:10に最初の降車駅カールスルーエ中央駅に到着。ここでは、前日の夕方にハンブルクから併結したE3585(キール〜ハンブルク間)、D921(ヴェスターラント〜ハンブルク、週末のみ)を切り離し、D2471としてシュトゥットガルトまで運行された。その後、コメート号はオッフェンブルク、フライブルク・イム・ブライスガウ、バーゼル・バディッシャー駅を経由して、バーゼルSBB駅着7:33。しかし、それで終わりではなく、編成の一部が急行列車D1959としてクールまで運行された(バーゼルSBB駅発7:58、ブルック、バーデン、チューリッヒ中央駅(9:00着/9:10発)、タルヴィル、ヴェーデンスヴィル、ファフィコーン、ジーゲルブリュッケ、ザルガンス、バードラガッツ、ランドクアート、クール着10:41)。1987年6月5日から同年9月25日まで、コメート号はさらにキアッソ(週2回、D253でバーゼルSBB駅発8:08)とブリーク(週1回、ハンブルク発金曜夕方およびブリーク発土曜夕方、D715でバーゼルSBB駅発8:00)に向かうクシェット車を2両併結した。

 

対向列車はD1994から旅は始まる。クール発19:19、バーゼルSBB駅着22:02。ここでD1994に加えて、キアッソ(D1690から)、ブリーク(D208から)からの各クシェット車編成が本体のコメート号に併結され、EC470としてバーゼルSBB駅発22:45でハンブルク・アルトナ駅着8:19。所要時間は北行きが9時間34分、南行きが9時間41分、走行距離884km、表定速度はそれぞれ92km/hと91km/h。カールスルーエで北行コメート号で車両交換する列車(シュトゥットガルト→キール/ヴェスターラント間)の内訳について、E3022 シュトゥットガルト→カールスルーエ間、D898 ハンブルク→キール間、D920 ハンブルク→ヴェスターラント間(土日のみ)、そして、ブレーメンへの直通車両 D2880 ハノーファー→ブレーメン間がそれぞれ運行されており、特筆すべき点として挙げられる。

冬季は、週1回ハンブルグ〜ブリーク間でクシェット車、寝台車が増結された。キアッソ発着の座席車は冬季は運休の一方、ブレーメン〜バーゼルSBB駅間の編成は、往路となる金曜日のブレーメン発クール行編成(復路は土曜日にクール発ブレーメン行)は運行継続された。その後のコメート号について、南行EC471の編成とダイヤは全く変更されなかったが、北行EC470はハンブルク・アルトナ駅の到着時刻が変更された(1988/89年ダイヤでは8:12、1989/90年と1990/91年の各ダイヤでは8:16)。

 

1991年6月1日に施行された夏ダイヤをもってコメート号はユーロシティから急行列車に格下げされ、D470/471としてバーゼル〜ハンブルク間を運行された。 1995年5月28日からは運行区間がチューリッヒ中央駅まで延長運転された上で「ユーロナイト(EN)」に昇格、他列車との車両交換はなくなった。1998年5月24日からは、新しいコンセプトの「シティナイトライン」に組み込まれCNL 470/471として全く新型車両で運行。その後2003年12月14日から列車番号をCNL 408/409に変更し、ケルン、ドルトムント、ブレーメン経由に変更。2007年12月9日から2008年12月13日まで1年間に限ってレッチュベルク線経由のブリーク発着となったが、2010年年間ダイヤ(2009年12月ダイヤ改正)から再びチューリヒ中央駅が発着駅(CNL 478/479)となった。2016年12月10日のDBによる夜行列車全廃に伴い、ついにその輝かしいキャリアに幕を下ろした。 2016年12月11日からはÖBB(オーストリア鉄道)がチューリッヒ〜ハンブルク〜ベルリン間の夜行列車接続を「ナイトジェット」(NJ 470/471)という名称で引き継ぎ、ヒルデスハイムで車両の増解結を行っている。

 

 

  編成例(書籍内イラストから)

1987年夏ダイヤ バーゼル時点での編成

座席車・食堂車連結なし、寝台車、クシェット車がそれぞれ連結

途中増解結はバーゼル、ハノーファーで実施。ドイツの車両のみ。

 

今回は以上です。

 

 

参考資料:

・Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegenden /Jean-Pierre Malaspina, Manfred Meyer, Martin Brandt

・Thomascook European Timetable/Thomascook

参考ページ:

Datenbank Fernverkehr (Database long-distance trains)

Harrys Bahnen

ページ内写真:Flickr(引用元は写真とセットで明記)