「日本のイベントと臨時列車(80、90年代)」をひたすら取り上げてみようという長期企画です。手元の時刻表はもとより、当時の鉄道ダイヤ情報やインターネット上の情報を参照しつつまとめてみました。
第16回目は、毎年5月に広島県広島市で開催される、ひろしまフラワーフェスティバルに関する臨時列車の運転履歴を追っていきます。
お祭り、催事の概要
ひろしまフラワーフェスティバル
会 期 |
毎年5月3〜5日 |
会 場 |
平和記念公園、平和大通り など(JR最寄駅:広島駅) |
お祭り、催事の概要 |
1977年から開催されているお祭りであり、5月の大型連休で開催される日本全国のお祭りの中でも、最大級の動員を誇る。パレードやステージによる各種催しを中心に構成されている。 |
私個人、このお祭りについて明るくないのですが、広島の方にとっては大変有名なお祭りなのでしょうね。公式サイトの情報を見るだけでもワクワクしますね。ちなみに2023年はG7サミット開催の影響をうけて、6月実施に変更されたようです。
臨時列車の運行概要
ひろしまフラワーフェスティバル関連の臨時列車(1980〜99年)
今回の調査対象である1980年以降、1989年まで毎年設定されていました。設定区間は西は岩国(一部の年度で柳井)、東は三原と広島を結び、主に祭りへの行き、祭りからの帰りの時間帯となる朝夕を中心に設定されていました。
設定本数では、1986年の下り13本、上り15本をピークに、概ね上り下りとも2本程度の設定でした。広島エリアでは、1982〜86年にかけて国鉄末期に行われた「シティー電車」のいち早い導入があり、高頻度・等間隔運転の素地が敷かれたサービス体制化のイベント列車の設定であり、多客時対応の一方で、イベント開催のPR色も強かったのではと推察します。
最後に、このフラワーフェスティバル号が1989年を最後に、以降運転を取りやめた理由は明確ではありませんが、1990年以降の山陽本線広島エリアに「ナイスホリデー」と銘打った行楽列車が多数設定されるようになったタイミングと、このフラワーフェスティバル号が消えたタイミングが奇妙にも一致することから、JR西日本の営業方針の変更が一因ではないかと推察しております。
【凡例、備考】
・列車番号、発車時刻等は割愛。
・下記以外にも、イベント開催期間にあわせた無名の臨時列車、ならびに定期列車の運転区間の臨時延長あり
1980 |
普通 フラワーフェスティバル号 下り 2本:広島→岩国 1本、三原→大野浦 1本 上り 4本:広島→三原 1本、岩国・大野浦→広島 3本 運転日パターン:期間中毎日、3日のみ、4・5日のみ
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1981 |
普通 フラワーフェスティバル号 下り 2本:広島→岩国 1本、三原→広島 1本 上り 2本:広島→三原 1本、岩国→広島 1本 運転日パターン:期間中毎日
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1982 |
普通 フラワーフェスティバル号 下り 2本:広島→岩国・大野浦 各1本 上り 2本:広島→三原 1本、岩国→広島 1本 運転日パターン:期間中毎日
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1983 |
普通 フラワーフェスティバル号 下り 2本:広島→岩国 1本、西条→広島 1本 上り 2本:広島→三原 1本、岩国→広島 1本 運転日パターン:期間中毎日、3・5日のみ
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1984 |
普通 フラワーフェスティバル号 下り 2本:広島→柳井 1本、三原→広島 1本 上り 3本:広島→白市 1本、柳井→広島 1本、岩国→三原 1本 運転日パターン:期間中毎日、3・5日のみ
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1985 |
普通 フラワーフェスティバル号 下り 2本:三原・白市→広島 各1本 上り 2本:広島→白市・三原 各1本 運転日パターン:期間中毎日、3・5日のみ
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1986 |
普通 フラワーフェスティバル号 下り 13本:広島→大野浦・岩国・南岩国、白市→広島、三原・安芸中野→大野浦 上り 15本:広島→安芸中野・白市・三原、南岩国・岩国・大野浦→広島、大野浦→白市 運転日パターン:期間中毎日、5日のみ
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1987 |
普通 フラワーフェスティバル号 下り 6本:三原・白市→広島 上り 7本:広島→白市・三原、南岩国→広島 運転日パターン:期間中毎日、5日のみ
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1988 |
普通 フラワーフェスティバル号 下り 2本:松永・糸崎→広島 上り 3本:広島→本郷・糸崎、柳井→広島 運転日パターン:期間中毎日、3・4日のみ、5日のみ
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1989 |
普通 フラワーフェスティバル号 下り 2本:白市→広島 上り 1本:広島→白市 運転日パターン:期間中毎日、3・4日のみ
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1990 |
当該月時刻表では設定確認できず(4月号) |
1991 |
当該月時刻表では設定確認できず(4月号) |
1992 |
当該月時刻表では設定確認できず(4月号) |
1993 |
当該月時刻表では設定確認できず(4月号) |
1994 |
当該月時刻表では設定確認できず(5月号) |
1995 |
当該月時刻表では設定確認できず(4月号) |
1996 |
当該月時刻表では設定確認できず(4月号) |
1997 |
当該月時刻表では設定確認できず(4月号) |
1998 |
当該月時刻表では設定確認できず(4月号) |
1999 |
当該月時刻表では設定確認できず(4月号) |
使用された車両について(推察含む)
こちらのkaz.様のブログで、大変多くのフラワーフェスティバル号の写真が紹介されていました。当時ファンの間では、フラワー臨と呼ばれたようですが、写真を見る限り、115系4〜6両という、当時の山陽本線広島エリアで定期運用にはいっていた車両が使用されたようです。多くは車両屋根に冷房装置が見られますので、国鉄末期ながらサービス向上に取り組んでいた様子を垣間見ることができます。
当時の時刻表紙面での臨時列車
1986年4月号、山陽本線下りの紙面より。この年は下りだけで1日に最大13本のフラワーフェスティバル(以下、FF)臨時列車が運行されています。この時期はすでに広島シティ電車のコンセプトのもと、広島〜大野浦・岩国間で高頻度(といっても15分間隔)運転が実現したものの、短編成化の結果だったので1本あたりの定員は減るため、多客時には加えて臨時列車が必要だったという見立てをしました。その証左ではありませんが、1987年以降の日中普通電車の運転間隔が日中10分おきと輸送力強化が行われた結果、FF臨の設定意義が薄くなり、ぐっと運転本数を減らしています。
交通公社の時刻表 1986年4月号より
本日は以上です。
まとめページはこちらから
参考資料 1980年〜1999年の交通公社時刻表、JTB時刻表、JR時刻表
参考ページ:ひろしまフラワーフェスティバル(Wikipedia)、kaz.様のブログ