1987年からTEEの後継としてはじまったユーロシティの歴史を振り返っていく企画を立ち上げました。

 

ユーロシティは2022年現在でも現役の列車種別(コンセプト)であり、集大成の資料が存在しているわけではありません。そのためドイツから取り寄せた、Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegendenの翻訳を通じて、ユーロシティーの一端を知る、文字通り「備忘録」としたいと思います。

(いつかはユーロシティの辞書的なものを作りたい野望はありますが。。。)

 

まとめの対象ですが、前述の書籍内では1987〜1993年の間に運転開始されたユーロシティを扱っており、その中の列車名ごとに歴史や仕様がまとめられているページとします。書籍の紹介順に倣って、9回目は、シュトゥットガルトとスイス、イタリア北部の都市を結ぶ3つのユーロシティ、ヘルマン・ヘッセ号、バルバロッサ号、シュヴァーベンラント号を取り上げます。

 

EC Hermann Hesse, Barbarossa und Schwabenland

 

(以下原文訳、一部短縮名称等をブログ筆者で補足)

・ヘルマン・カール・ヘッセ(1877年~1962年)、ドイツ・スイスの作家、詩人、画家、ノーベル文学賞受賞者。

・フリードリヒ1世は、バルバロッサ(イタリア語で「ロットバルト」、1122年頃〜1190年)と呼ばれたローマ・ドイツ帝国の皇帝である。

・シュヴァーベン 西は黒い森、東はレヒ、南はボーデン湖、北はハイルブロン・フランケン地方南部で区切られた歴史的な地域。

 

 ユーロシティ創成期の列車には、EC 82/83 ヘルマン・ヘッセ号、EC 84/85 バルバロッサ号、EC 86/87 シュヴァーベンラント号も含まれており、シュトゥットガルトとチューリッヒ、キアッソ、ミラノを結んでいた。それまで国際特急列車(スイスやイタリアではインターシティに分類される場合もある)でしか利用されていなかったドイツのゴイ線に新風が吹き込んだ。ユーロシティ ヘルマン・ヘッセ号シュヴァーベンラント号は新設だったが、既存のD481(旧シュヴァーベンラント号1987年夏ダイヤからミュンヘン~チューリッヒのユーロシティに変更)とD 388はバルバロッサ号と改称された。なおこの名称も、以前はD383/382(ニュルンベルク~シュトゥットガルト~ミラノ~セストリ・レヴァンテ間)に付与されていた。

 

南行の始発ユーロシティはEC83 ヘルマン・ヘッセ号は、ユーロシティ シュヴァーベンラント号の編成と共通利用する運用に組み込まれた。シュトゥットガルト発6:48で、ベーブリンゲン、ホルブ、シンゲン(8:40着/8:46発、ドイツ鉄道(以下、DB)111型電気機関車からDB-218形ディーゼル機関車に交換と方向転換を実施)、シャフハウゼン(DB-218型ディーゼル機関車からスイス連邦鉄道(以下、SBB)Re4/1 Ⅰ型電気機関車に交換)、チューリヒ中央駅(9:47着/10:07発、SBB Re6/6型電気機関車に交換し、方向転換)、ツーク、ゲッシェネン、ベリンゾーナ、ルガーノ、キアッソ(イタリア国鉄(以下、FS)の電気機関車に交換)、コモ・サンジョバンニ駅を経由して、ミラノ中央駅に14:35着(土曜のみシャフハウゼン停車)。つまり、ヘルマン・ヘッセ号は530kmの走行距離を所要時間7時間47分で走行し、表定速度はわずか68km/hにとどまる。

 

シュトゥットガルト~チューリッヒ~ミラノ間のいづれのユーロシティ列車について、所要時間のハンディキャップの要因にはゴッタルド峠の山越えだけではなく、頻繁な方向転換や機関車交換が含まれており、極めつけは1989年までシンゲン~シャフハウゼン間は非電化だったのだ。そのため、この路線を通過するユーロシティと長距離急行列車は、この短い非電化区間を通過するためだけにDB-218型ディーゼル機関車に都度交換、牽引される必要があった。

 

南行2番のユーロシティはEC85 バルバロッサ号。シュトゥットガルト中央駅発12:39で、EC83(=ヘルマン・ヘッセ号)と同じ途中停車駅に加えて、ロットヴァイルとトゥットリンゲンに停車。終着ミラノには20:30着。

 

南行最終のユーロシティは、EC87 シュヴァーベンラント号。シュトゥットガルト中央駅発16:41で終着キアッソに23:29着。ゴイ線経由でのスイスやイタリアへの移動にあたっては、そのほかの長距離急行列車とセットで完結する。

 

 一方、北行の始発となるユーロシティはEC86 シュヴァーベンラント号。チューリッヒ発7:00で、シャフハウゼン、シンゲン、ツットリンゲン、ロットヴァイル、ホルブ、ベブリンゲンを経由してシュトゥットガルト中央駅着10:09。北行2本目はEC84 バルバロッサ号。ミラノ発8:30発、途中コモ・サン・ジョバンニ駅、キアッソ(SBB-Re 6/6型電気機関車に交換)、ルガーノ、ベリンツォーナ、ゲッシェネン、ツーク、チューリッヒ中央駅(12:53着/13:13発、SBB-Re 4/4 II型機関車に交換)、シャフハウゼン(DB-218型ディーゼル機関車に交換)、シンゲン(DB-110型電気機関車に交換)、トゥットリンゲン、ロットワイル、ホルブとベーリンゲンに途中停車しシュトゥットガルト着16:20。北行最終のユーロシティは、EC82 ヘルマン・ヘッセ号(キアッソ発15:30、シュトゥットガルト着22:11、土曜のみシャフハウゼン終着)で一巡するが、スピードアップのためトゥットリンゲン、ロットヴァイルでの停車は省略された。

 

シュトゥットガルト発着のユーロシティは、他のユーロシティと異なる点がいくつかあり、そのひとつとして、他列車との車両交換が多いのは注目すべき点だ。

 

- EC83はシュトゥットガルト - クール間で直通車両(DBのABm)を併結(E3693 シンゲン - コンスタンツ間の直通車両、さらに626列車と2905列車からの直通車両を併結)。

- EC85とEC87は、ボーデンまで急行列車で続く直通車両を併結している(DBのABm+Bm)。

- EC84と85にはコンスタンツからの直通車両が、EC86にはヴェンティミリアからの直通車両(前日の20:12から)が併結、FSの座席車2台とクシェット車1台で構成された。

 

 シャフハウゼン以北区間では編成両数が著しく短くなり、SBB客車3両(EC82、83、86、87ではAvmz1両+Bpmz2両)またはFS客車4両(EC84、85ではAvmz1両+Bmz3両)と減車されていた。座席車と食堂車はシャフハウゼン以南のみの連結となるため、食堂車はシュトゥットガルトまで走らない。さらに、EC82とEC83には、もうひとつの特長があった。今回初めて、シュトゥットガルトとチューリッヒを3時間以内(正確にはそれぞれ2時間58分、2時間59分)で結ぶことができた。しかし、この記録はロットヴァイルとツットリンゲンを通過するという代償の結果であり、シュトゥットガルト - シンゲン区間で3組の列車すべてにユーロシティ追加料金を課したのと同じように、すぐに抗議を受けることになった。その後ユーロシティとしてのバルバロッサ号はシャフハウゼンまでとなり、その以北はD484/485(1989年5月からD 82/83、1990年5月からシャフハウゼン以南はIC486/487)として運行され、列車名自体も1993年5月22日まで残り、その後復活した1998年5月から1999年5月まで短期間でも再び列車名がついた(スイスとイタリア区間はIC380/381として)。

 

1988年5月からEC82と83はロットヴァイルとツットリンゲンにも停車するようになったものの、3時間以内の所要時間を維持している。これは短編成による牽引重量を軽くしたことと111形電気機関車の使用がこれを可能にしている。この時からEC82も(これまでのキアッソから)ミラノ始発になった(14:18発)。

 

1988年夏ダイヤから、朝のEC86 シュヴァーベンラント号 チューリッヒ〜シュトゥットガルト間の客車は、ヴェンティミリアからの座席車とクシェット車を連結しているため、特に注目された。SBBのオレンジ色の空調付き客車3両(Avmz1両+Bpmz2両)に続いて、濃い赤と銀色のFSクシェット客車、UIC-Z1型空調付き座席車(オレンジと「グランコンフォルト」カラーリングの2両)が登場する。編成後尾にはコンスタンツからの直通車両を従えていた。Avmz(赤/ベージュまたはプロダクトカラー)、Bpmz(オーシャンブルー/ベージュまたはプロダクトカラー)、そして日によってはBm(オーシャンブルー/ベージュ)です。

そして「連なる峰々の飾り物」。3つの鉄道管理局から提供された極めてカラフルな客車群は、予定通りシュトゥットガルトのDB-110型電気機関車(スチールブルーやコバルトブルーが多い)に牽引される。これほどまでにカラフルなユーロシティはない。DBインターシティ車両は、夕方のEC87でコンスタンツに戻る。

 

 しかし、「イージーカム、イージーゴー」。バルバロッサ号同様、シュトゥットガルト - シャフハウゼン区間に残る2本のユーロシティ(ヘルマン・ヘッセ号、シュヴァーベンラント号)は、1989年夏ダイヤでシンゲン - シャフハウゼン区間の電化が完了したにもかかわらず、ダイヤ改正締め切り直前に長距離急行列車(以前の列車番号を残したまま)に格下げされた。ユーロシティ基準への適合性の問題(特にシャフハウゼン以北で不経済とされる食堂車が未連結)、極端に低い表定速度(最高時速72km!)、ユーロシティ追加料金の徴収による顧客の反発が決め手となったのだろう。このため、EC82/83 ヘルマン・ヘッセ号はDBネットワークではD82/83となり(所要時間はほぼ同じ)、シャフハウゼン以南ではユーロシティの列車種別が残った。しかし、1990年5月27日からは、シャフハウゼン以南でもIC382/383となった。1993年ヘルマン・ヘッセ号の名称は消滅したが、1999年5月30日から2002年12月13日まで、シュトゥットガルト - チューリッヒ間の一部の接続を振り子技術が装備された415型のICE電車(ICE-T)に変更する際に、短期間ながらその名前を取り戻した。2002年12月から2006年12月9日までは、同じダイヤで、チザルピーノのETR470電車を使用したCIS 158/159に置き換えられた。

1993年5月23日から、DBとSBBはEC154/155 キレスベルク号とEC158/159 ユトリベルク号でユーロシティに挑戦したが、SBBの旧TEE電車によるこの試みもわずかな期間で不名誉な終わりを迎えることになるのだが、これは別の話である...。

 

 

  編成例(書籍内イラストから)

 

ヘルマン・ヘッセ号(1987年夏ダイヤ) 

食堂車非連結、1等・2等合造コンパートメント車(クール発着)、1等コンパートメント車、2等オープン座席車をそれぞれ連結、途中でのシンゲンで増解結。ドイツ、スイスの車両。

 

 

シュヴァーベンラント号(1987年夏ダイヤ) 

食堂車非連結、1等・2等合造コンパートメント車、1等、2等コンパートメント車、2等オープン座席車、クシェット車をそれぞれ連結、途中でのシンゲンで増解結。ドイツ、スイス、イタリアの車両。

 

 

バルバロッサ号(1989〜90年冬ダイヤ) 

食堂車、2等オープン座席車非連結、1等・2等合造コンパートメント車、1等、2等コンパートメント車をそれぞれ連結。途中でのシンゲンで増解結。ドイツ、スイスの車両。

 

今回は以上です。

 

参考資料:

・Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegenden /Jean-Pierre Malaspina, Manfred Meyer, Martin Brandt

・Thomascook European Timetable/Thomascook

参考ページ:

welt-der-modelleisenbahn.com

Datenbank Fernverkehr (Database long-distance trains)

ページ内写真:Flickr(引用元は写真とセットで明記)