以前私のブログ内でTrans Europ Express(TEE)を、当時のトーマス・クック鉄道時刻表の紙面から振り返る企画がありました。その後続として、1987年からはじまったユーロシティの歴史を振り返る企画を立ち上げました。

 

ユーロシティは2022年現在でも現役の列車種別(コンセプト)であり、集大成の資料が存在しているわけではありません。そのためドイツから取り寄せた、Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegendenの翻訳を通じて、ユーロシティの一端を知る、文字通り「備忘録」としたいと思います。

(いつかはユーロシティの辞書的なものを作りたい野望はありますが。。。)

 

まとめの対象ですが、前述の書籍内では1987〜1993年の間に運転開始されたユーロシティを扱っており、その中の列車名ごとに歴史や仕様がまとめられているページとします。書籍の紹介順に倣って、1回目はレンブラント号を取り上げます。TEE時代については、下記ブログをご覧ください。

 

EC Rembrandt

(写真は参考文献の掲載とは関係ありません)

 

(以下原文訳、一部短縮名称等をブログ筆者で補足)

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン(1606〜1669)は、バロック時代の最重要かつ、最もよく知られたオランダ人画家の一人である。

 

アムステルダムとミュンヘン、チューリッヒを結ぶTEE 11/12には、1966年にフライブルクで開かれたヨーロッパ時刻表会議でオランダ国鉄が申請し、17世紀の有名なオランダ人画家レンブラント号の名が付けられた。1980年6月1日よりアムステルダム中央駅〜シュトゥットガルト中央駅で運転開始。1982年9月、パリで開かれた国際時刻表会議で、この路線に2等車連結が認められ、その結果、TEEレンブラント号1983年5月29日からインターシティに格下げ(IC 122/123)、運転区間もアムステルダム中央駅〜フランクフルト中央駅に改められた。そこから2年後の1985年6月2日に再度路線と列車番号の整理が行われ(IC102/103 )、運転区間がクール〜アムステルダム中央駅間(チューリッヒ、バーゼル、マンハイム、ケルン、エメリッヒ経由)となった。1986年夏ダイヤレンブラント号は再度列車番号が変更され、IC2/3というインターシティで最も若い列車番号を付与する特権を得たのである(ただし、TEEのミストラル号が長年持っていた「1」という番号は割り当てられなかったことに注目)。

 

1987年5月31日からは、従来の運転区間と列車番号を継承してユーロシティに格上げ。クール〜アムステルダム間の途中停車駅は、スイス国鉄のチューリッヒとバーゼルSBB駅の2駅、ドイツ鉄道のバーゼル・バディッシャー駅、フライブルク、バーデン・バーデン(EC2のみ)とオッフェンブルク(EC3のみ)、カールスルーエ、マンハイム、マインツ、コブレンツ、ボン、ケルン、デュッセルドルフ、デュイスブルク、オーバーハウゼン、エメリッヒの13駅、オランダのアルンヘムとユトレヒトの2駅と、合計17駅に停車した。

 

客車編成について、TEE、インターシティ、ユーロシティ各時代とも、ドイツ鉄道(以下、DB)が提供しており、走行距離993kmを所要時間10時間38分(南行)、10時間40分(北行)で運行され、表定速度は93km/hを達成している。

 

EC2はクール発9:19で、チューリッヒで1回目(10:50着/11:00発)、バーゼルで2回目(12:02着/12:17発)の方向転換を行い、バーゼルからは機関車が付け替えられ、DB-103型電気機関車に牽引されて北への旅を続ける。その後、マンハイム(14:28着/14:33発)、ケルン(16:54着/16:57発)等を経て、国境駅エメリッヒ(18:22着/18:32発)でDB-103型電気機関車からNS-1600型電気機関車に交換。終点アムステルダム中央駅には19:59着。対向列車EC3については:アムステルダム発8:55、エメリッヒ(10:23着/10:55発)、ケルン(12:00着/12:03発)、マンハイム(14:25着/14:33発、ここでEC2と離合交換)、バーゼルSBB駅(16:43着/16:58発)、チューリッヒ(18:00着/18:10発)で終着クールに19:33着。所要時間は、ユーロシティでの15年間、ほとんど変わらない。しかし、1991年6月2日以降、北行EC2の運行時刻は約1時間遅く設定され、クール発10:23、アムステルダム着20:51となり、編成担当もEC2/3ともにSBB(スイス国鉄)に変更された。しかし当時SBBは最高速度200km/h認可の食堂車を非所有であったため、WRmh132をSSG(スイスの食堂管理会社)運営としてDBからレンタルしていた。1年後の1992年からは、SBB1等車展望車も連結されるようになり、レンブラント号の編成を豊かにしている(残念ながら1年間限定の連結だった)。

 

1993年5月23日から、北側の始終着駅がアムステルダム中央駅からアムステルダム・スキポール空港駅に変更(EC3 8:38発、EC2 21:16着)され、オランダ区間での走行距離が19km延長された。1994年5月29日より、北行レンブラント号は再び1時間繰り下げたダイヤとなり、終着がアムステルダム中央駅に変更され(クール発11:15、アムステルダム中央駅着21:51)、スキポール空港発着は始発のEC3のみとなった。1995年夏ダイヤよりその後EC3も始発駅がアムステルダム中央駅に戻される。それ以外のEC3の運行時刻は1997年6月1日まで変わらず(1時間繰り上げ、アムステルダム中央駅発8:00、クール着18:44)。以後、ドイツ内の牽引機はDB-103型電気機関車から新型DB-101形電気機関車にバトンタッチ。そして、1988年§夏ダイヤから、展望車連結が復活した。

§:本文には1988年、と記載されているが、文章の流れからすると1998年の誤りではないかと推察

 

ユーロシティ レンブラント号2002年12月14日のラストランまで、時刻表位置はほぼ変わらずSBB担当だった。2002年12月15日以降、別のユーロシティであるベルナー・オーバーランド号が列車番号と元の時刻表の位置を踏襲し、レンブラント号の名称は消滅。EC2/3(ベルナー・オーバーランド号)の運転区間はアムステルダム中央駅〜インターラーケン東駅に変更された。

 

 

  編成例(書籍内イラストから)

 

1987年夏ダイヤ

食堂車連結、1、2等車ともにコンパートメント/オープン座席車の混成編成、全区間走破する基本編成6両、付属編成はエメリッヒ増解結分とスイス国内限定のみ増結

 

今回は以上です。

 

 

参考資料:

・Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegenden /Jean-Pierre Malaspina, Manfred Meyer, Martin Brandt

・Thomascook European Timetable/Thomascook

ページ内写真:Flickr(引用元は写真とセットで明記)