1980年代、90年代の20年の間に運転された日本のイベントと臨時列車について、手元の時刻表はもとより、当時の鉄道ダイヤ情報やインターネット上の情報を参照しつつまとめてみました。
’80〜’90と過去分に限ったのは至極個人的な理由です。
私自身、鉄道に関して一番熱のあった時代ながら、今のような圧倒的な情報量と情報誌を購入する小遣いがなかったので、知らずにいままで生きてきた自身の半生を振り返る壮大な企画でもありますw。
第2回目は、往年のジャズシーンを追っている方には有名な野外音楽祭、マリンピアくろい・ジャズフェスティバルに関する臨時列車の運転履歴を追っていきます。
お祭り、催事の概要
マリンピアくろいジャズフェスティバル
会 期 |
毎年7月最終日曜日に実施された模様 |
会 場 | マリンピアくろい 現在の地名で、山口県下関市豊浦町大字涌田にあったレジャー施設。1977年に開業、バブル期の絶頂を迎えていますが、その後1997年に施設は閉鎖されています。 |
お祭り、催事の概要 | いまでは野外コンサートはロック、ポップスで盛んに行われていますが、かつてはフォーク、ジャズの音楽フェスが大人の夏のお祭り的に沢山開催されていました。マリンピアくろい〜もその一つです。 私は現地に足を運んだことがありませんので、当時の熱気を語るよしもなく。とはいえ、1992年のセットリストをまとめている方がおりました。こちらから。 |
そのジャズフェスティバルを収めたYoutubeを掘ってまいりました。1989年、サックスプレイヤーMALTAによるセッションですが、たしか1曲目が、告知CMで流れていた記憶がおぼろげにあります。そう、九州の人にとって、このジャズフェスは意外と有名だったようです。
そのほか、枚挙に暇がないのですが、MALTAのほか、松岡直也グループ、マリーン、原信夫とシャープス、カシオペア、ザ・スクエア(T-SQUAREの前身)、クライズラー&カンパニー、薗田憲一 & DIXIE KINGS、渡辺貞夫グループ、宇崎竜童、日野照正バンドなどが出演していた、バブル期を象徴するようなジャズフェスティバルだったようです。
臨時列車の運行概要
確認できているのは、1984年から1996年まで毎年、博多から最寄り駅黒井村駅まで、開催当日1日限りの臨時列車が運転されていました。
くろいジャズフェスティバルの臨時列車(1984〜1999年)
は前後年との違いがある箇所
1984 | 快速 ジャズフェスティバル号 博多〜黒井村、7月29日 のみ
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1985 | 快速 くろいジャズフェスティバル号 博多〜黒井村、7月28日 のみ
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1986 | 快速 くろいジャズフェスティバル号 博多〜黒井村、7月27日 のみ
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1987 | 快速 くろいジャズフェスティバル号 博多〜黒井村、7月26日 のみ
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1988 | 快速 くろいジャズフェスティバル号 博多〜黒井村、7月31日 のみ
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1989 | 快速 くろいジャズフェスティバル号 博多〜黒井村、7月30日 のみ
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1990 | 快速 くろいジャズフェスティバル号 博多〜黒井村、7月29日 のみ
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1991 | 快速 くろいジャズフェスティバル号 博多〜黒井村、7月28日 のみ
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1992 | 快速 くろいジャズフェスティバル号 博多〜黒井村、7月26日 のみ
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1993 | 快速 くろいジャズフェスティバル号 博多〜黒井村、7月25日 のみ
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1994 |
快速 くろいシーサイドサウンド号
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1995 | 快速 くろいシーサイドサウンド号
博多〜黒井村、7月30日 のみ
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1996 | 快速 くろいシーサイドサウンド号
博多〜黒井村、7月28日 のみ
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1997 | 時刻表に記載がないため(8月号)、運転なしと推察 ※施設が1997年に閉鎖されているので以降は運転はない? |
1998 | 時刻表に記載がないため(7月号)、運転なしと推察 |
1999 | 時刻表に記載がないため(7月号)、運転なしと推察 |
【共通項目】
- 全席自由席
- 1996年をのぞき、使用編成の特定はディーゼル列車であること以外は特定できていません。
当時の時刻表紙面での臨時列車
今回は、1993年くろいジャズフェスティバル号と、1995年くろいシーサイドサウンド号のダイヤの比較を門司→黒井村で行ってみました。
JTB時刻表1993年8月号より
JTB時刻表1995年7月号より
ご覧のとおり、下関発の時刻は両年とも10:03発ですが、停車駅も変わらないのに、黒井村着到着時刻が30分程度異なります。下り列車との離合が影響しているのかも?と確認したのですが、両年とも同じダイヤの2列車のみの離合で、所要時間が延びる要素が見当たりませんでした。
あくまでも推察ですが、イベントの開場時間に合わせた時間調整をおこなっていた、時刻表にない例えば貨物列車との離合がなくなったことで早着が実現できた、など、妄想は付きません。
本日は以上です。
まとめページはこちらから
参考資料 1984年〜1999年の交通公社時刻表、JTB時刻表、JR時刻表
参考ページ:マリンピアくろい(Wikipedia)