私の故郷、九州でかつて存在していた国鉄線について、廃線間際の時刻表を中心に取り上げ、振り返ろうという企画をやっています。

 

12回目は、前回の漆生(うるしお)線と密接な関係だった、上山田線を取り上げます。ちなみに、漆生線の項でもふれましたが、上山田線の上山田〜豊前川崎間は1966年に油須原線計画(未成線)のもと開業した経緯があります。

 

ブログ筆者の体験ですが、上山田線のさよなら列車にブログ筆者は乗りにいきました!!

 

あの当時はいろいろ自由な感じでキハ58の運転台の右側のスペースに座っていた記憶が鮮明にあります。いまならそんな勝手なことをしようものならSNSにさらされたりして大変です。そして、どこか駅で、さよならきっぷも購入したのですが、どうしたものか、手元には残っておりません。。。

 

上山田線 路線概要 

 

線 名 上山田(かみやまだ)線
距 離 25.9 km
区 間 飯塚 〜 豊前川崎
開業日/会社/開業区間 1895(明治28)年4月5日/筑豊鉄道/飯塚〜臼井
全線開業日/会社 1966(昭和41)年3月10日/国鉄 ※漆生〜嘉穂信号所〜下山田の延長開業
貨物取扱 あり ※1980(昭和55年)3月31日貨物営業廃止
※新平恒〜平恒間に貨物線あり(1898.3.29〜1939.5.29)
廃止日 1988(昭和63)年9月1日
廃止理由 特定地方交通線第二次対象線として承認されたため
運行された旅客列車 SL+PC、DL+PC、DC
※無煙化達成 1973(昭和48)年9月 という記事を発見したので明記しておきます。(サイト名:国鉄路線別無煙化日(暫定版)より)

 

 

時刻表 (昭和61年3月3日改正) 

 

漆生線廃線前の上山田線ダイヤを提示します。飯塚〜漆生線〜豊前川崎の列車( の列車)が、上山田線直通列車( の列車)の数を上回っている点は、この線が「未成線」油須原線の「痕跡」を感じさせます。また、上山田〜豊前川崎間の運転本数は飯塚〜上山田間と比較して、雲泥の差ともいえます。上山田〜豊前川崎間の開業時期が筑豊炭田で閉山が続く状況下でしたので、沿線の利用者は相当する少なかったのでしょう。

駅名の読み方、上から、いいづか、ひらつね、うすい、おおくま、しもやまだ、かみやまだ、くまがはた、まさき、ひがしかわさき、ぶぜんかわさき

 

上山田線の運転系統とは他の特徴として、運行に使用された列車が、ディーゼル列車(●●D)と客車列車(数字だけの列車番号)が混合だったことです。ここで運行されていた客車列車については、50系客車。俗にレッドトレインと呼ばれていました。

※2738D、740Dは上山田で列車番号が変更されるが、同一列車

 

 

当時を偲ぶ動画(ブログ筆者が選びました) 

 

冒頭臼井駅からスタートしていますが、駅の扉に「JR九州」のステッカーが貼りつけがあることからも、民営化後の廃止であったことがわかります。動画の最後には、DE10のプッシュプル牽引の客車列車(セキ3両+50系4両)が映っています。

 

 

廃線の跡をたどった動画(ブログ筆者が選びました) 

 

 

動画内にはキャプションもありませんが、手作り感があり、動画の手ブレも臨場感を演出していますw。

  • 下山田駅跡 山下団地(?)という信号機標識が見えました。当時は木造の大きな駅舎があったのですが、今は団地化されています。
  • 上山田駅跡 踏切のモニュメントと当時の歴史が記された銘板があるようです。当時はコンクリート製のモダンな(無機質な)駅舎でしたが、それ自体は残っていないようですね。
  • 第1・第2山田川橋りょう 1:36が第一、4:00が第二でしょうか。どちらもくたびれた姿の鋼製橋が残っていますね。

 

 

当時の駅はここにありました(Powerd By Googleマップ) 

 

今回は、大隈駅跡について。現在は「交通公園」として当時のホーム、駅名標、レールなどの設備の一部が残っているようです。

 

今回は以上です。

 

 

 

参考資料 日本鉄道旅行地図帳 12号九州沖縄 新潮社、時刻表、国鉄の車両18 九州各線 保育社、

参考サイト 上山田線、油須原線(ともにWikipedia)、動画 Youtube、地図 Googleマップ