私の故郷、九州でかつて存在していた国鉄線について、廃線間際の時刻表を中心に取り上げ、振り返ろうという企画をやっています。

 

10回目は、志布志線にひきつづき、鹿児島県大隅半島に存在したローカル線、大隅(おおすみ)線を取り上げます。

 

軽便鉄道開業時代だと大正時代まで遡ることができる歴史を有しますが、全線開業後は15年で廃止になるという「短命」となっています。大隅線開業までの古江東線、古江西線、そして古江線という名称は延伸開業を重ねてきた歴史の証とも言えます。

 

 

大隅線 路線概要 

 

線 名 大隅(おおすみ)線
距 離 98.3 km
区 間 志布志 〜 国分
開業日/会社/開業区間 1915(大正4)年7月11日/南隅軽便鉄道/高須〜鹿屋間(ナローゲージで開業)※狭軌化 昭和13年10月10日
全線開業日/会社 1972(昭和47)年9月9日/国鉄 ※古江線から大隅線に改名
貨物取扱 あり ※1982(昭和57年)11月15日 貨物取扱廃止 
廃止日 1987(昭和62)年3月14日
廃止理由 特定地方交通線第二次対象線として承認されたため
運行された旅客列車 SL+PC、DC
※無煙化達成 昭和49年12月20日

 

 

 

時刻表 (昭和61年11月1日改正) 

 

廃止前最後のダイヤ改正後の時刻です。全線を踏破する列車は5往復※1 というローカル線。その他は垂水、鹿屋での折返し運転が中心のダイヤ。運転頻度は志布志側に偏っていたのは意外でした。沿線人口から自然なものだったんでしょうか。
※1 625D→3625Dを1本とみなした場合の本数
 
優等列車は、快速列車大隅号、佐多号が運行されており、ともにかつて急行列車でした。とくに快速大隅号は、運行時間帯から鹿屋を中心に組まれたダイヤであるように見えます。鹿屋エリアのビジネス客が県庁所在地である鹿児島市へのアクセスを考慮したダイヤ。このような「企業努力」も結果道半ばとなり、全線開業から15年で廃止になってしまいました。

黄色塗りは列車交換が発生した駅、列車

※駅名の読み方、上から、しぶし、ひしだ、おおすみおおさき、さんもんじ、ひがしくしら、くしら、しもおばる、おおすみこうやま、ろんじ、あいら、ながのだ、おおすみかわにし、かのや、おおすみのざと、おおすみたかす、あらひら、ふるえ、しんじょう、すわ、くぬぎばる、はまびら、たるみず、かいがたおんせん、おおすみふもと、おおすみへた、おおすみふたがわ、おおすみさかい、おおめぐり、おおすみふくやま、しきね、どうた、こんごうじ、こくぶ

 

 

黄色塗りは列車交換が発生した駅、列車

 

 

 

当時を偲ぶ動画(ブログ筆者が選びました) 

 

今回は2つご紹介します。
【1】廃線間際での乗車記録ということで、映像内の情報からすると、国分発志布志行の626Dのようです。ちなみにこの列車は途中4回の列車交換が行われています。626Dは(キハ40単行)。映像はところどころカットされていますが、映像内では確認できる列車交換ですが、垂水での快速大隅号(キハ58系)のみが確認できました。

 

【2】作り込まれた動画ですね。SLが活躍していた映像も入っていますね。映像内で登場する、さよなら大隅線のヘッドマークをつけた列車は、当時鹿児島局で活躍してたジョイフルトレイン「らくだ」だと思われます。

 

 

廃線の跡をたどった動画(ブログ筆者が選びました) 

 

さすが100キロ弱の路線長だけあって、上がっていた動画も3本、2時間半近くありまして(映画か!!)。今回はご紹介だけ。

この動画でのハイライトをあえて挙げれば、パート1の30分前後に登場する、錦江湾を臨む眺望のある線路跡。この線路は風光明媚な路線だったことを物語ります。

 

 

 

 

 

 

当時の駅はここにありました(Powerd By Googleマップ) 

 

沿線主要駅であった鹿屋駅をGoogleマップで追ってみました。鹿屋駅の敷地は広かったようで、鹿屋市役所本庁あたりにかつての鹿屋駅があり、その側に鉄道記念館が立っているようです。ちなみに各種資料と突き合わせてみると、市役所から円弧状の道路は、かつての鉄道線跡のようですね。意外に大隅半島の鉄道の歴史は興味深いなと感じました。

今回は以上です。
 
まとめサイトはこちらから

 

 

参考資料 日本鉄道旅行地図帳 12号九州沖縄 新潮社、時刻表、国鉄の車両18 九州各線 保育社、交通公社の時刻表 1987年2月号

参考サイト 大隅線、鹿屋駅(ともにWikipedia)、動画 Youtube、地図 Googleマップ