Trans Europ Express(TEE)を、当時のトーマス・クック鉄道時刻表の紙面から振り返る企画です。
16回目は、ガンブリヌス号(Gambrinus)号です。
列車名の由来は?
ガンブリヌスとは、ヨーロッパに伝わる伝説に登場する文化的英雄です。伝統的な歌や詩、物語では、フランドル地方やブラバント地方(どちらも現在のベルギー付近)の王、公爵、伯爵として描かれています。俗にビールを創造した神様など言われているところから、どことなく親しみを感じる神様です。
運行されていた国 西ドイツ
運転時期と区間
1952年にドイツ国内の急行列車(F-Zug)として運転開始
1978年5月28日
ハンブルク − ブレーメン − ミュンスター − ドルトムント − エッセン − ケルン − シュトゥットガルト - ミュンヘン
1979年5月27日
ハンブルク − ブレーメン − ミュンスター − (ゲルゼンキルヘン ※無停車) − エッセン − ケルン − シュトゥットガルト
1980年9月28日
ブレーメン − ミュンスター − ゲルゼンキルヘン − エッセン − ケルン − シュトゥットガルト
1981年5月31日
ミュンスター − ゲルゼンキルヘン − エッセン − ケルン − シュトゥットガルト
※金曜のブレーメン行、月曜のブレーメン発はともにはハンブルク・アルトナ駅発着に変更
1982年5月23日〜1983年5月29日
ドルトムント − ボーフム − エッセン − ケルン − シュトゥットガルト
その後、インタシティとしてハンブルク〜シュトゥットガルト間で運転
一連の流れを下記のチャートで整理してみました。TEEとして運転開始当初のハンブルク〜ミュンヘンから、経由地ゲルゼンキルヘンに、発着駅をシュトゥットガルトに変更。その後運転区間をさらに短くしつつ、最終的にはかつてのドルトムント経由と運転開始当時に戻るという変遷を経てきました。
上記図:各種資料を参考にブログ筆者が作成
使用された車両、編成
客車
【西ドイツ】
ラインゴルト型客車
編成両数について、TEE時代のなかで遷移をたどってみましたが、運転開始1978年当時はミュンヘン〜ハンブルク間の通しは7両だったのが、TEEとして晩年を向かえる1983年にはドルトムント〜シュトゥットガルト間通しが4両と減車されています。しかしながら、インタシティー化された直後の通常期の編成数は1等車2両、2等車5両、食堂車1両を擁する堂々の8両編成と、長さだけを見ると「再成長」しています。要は、減っていたのは1等車のみの列車の需要で、ドイツ各都市間のビジネス客需要は依然活発であったといえますね。
牽引機
【西ドイツ】
103型交流電気機関車
実際の時刻表紙面
今回は以上です。
参考資料:
・Cooks Continental Timetable August 1969 ほか
・Das Grosse TEE-Buch 40 Jahre Trans-Europ-Express /Jörg Hajt/HEEL 1997年
参考サイト:TEE、インターシティー(ドイツ)、Gambrinus (train)(ともにWikipedia)、welt-der-modelleisenbahn.com
ページ内写真:Flickrのリンクより
カバー画像:Deutsche Bahn AG, converted by , Public domain, via Wikimedia Commons