時刻表紙面から確認できる国鉄(JR)⇔私鉄線の乗り入れがあった記録を残しております。現在も現役路線もさることながら、すでに廃止された地方私鉄への乗り入れを優先して取り上げてゆこうと思います。

 

長野電鉄線

 

今回は、長野県の長野電鉄を取り上げます。長野電鉄は現存の長野線のほか、かつて存在した河東線、屋代線があり、いづれの路線にも国鉄からの乗り入れが実施されていました。

 

Nagano Electric Railway Linemap

ButuCC, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, ウィキメディア・コモンズ経由で

 


 

紙面からうかがえる「乗り入れ」の様子

 

国鉄からの片乗り入れは、首都圏からの観光客向けの列車のみ確認できました。乗り入れ先として、河東(木島)線の木島駅、長野線の湯田中駅でした。そして乗り入れにあたっての渡り線は現在の国鉄(現:しなの鉄道)屋代駅構内に存在していました。

 

定期列車の乗り入れ


1982年11月15日のダイヤ改正をもって長野電鉄線への定期列車の乗り入れはなくなっていますが、それまでに存在した様々な乗り入れ列車をピックアップしてみました。

 
1962年秋の時刻表の紙面
上野から信越本線経由で長野まで運行されていた急行志賀号、急行丸池号。1962年3月1日から乗り入れ開始しており、これが長野電鉄への優等列車の乗り入れの”はしり”とのこと。
 どちらも屋代で長野電鉄乗り入れ編成を併解結していました。この乗り入れ編成の長野電鉄内の始終着は湯田中です。列車番号から分かる通り、この当時は信越本線内で非電化区間が存在していたため、長野電鉄は電化済ながらキハ57型2両によるディーゼル列車での乗り入れが行われていました。
急行志賀号(301D) 上野発 7:10 →屋代で分割→ 湯田中着 12:16
     (304D) 湯田中発12:26 →屋代で併結 → 上野発 17:28
急行丸池号(303D) 上野発12:40 →屋代で分割→ 湯田中着 17:40
     (306D) 湯田中発17:47→屋代で併結 → 上野発 22:45 
 
交通公社発行全国時刻表 1962年 10月号より
 
 
1967年夏の時刻表の紙面
1963年7月、信越本線長野までの電化開業をうけて、同年10月1日から165系電車での急行電車運行が始まり、長野電鉄線内には165系3両編成で乗り入れが行われていました。
急行第一志賀号(1301M) 上野発 6:57 →屋代で分割→ 湯田中着 11:35
       (1302M) 湯田中発12:10 →屋代で併結→上野発 17:24
急行第二志賀号(1303M) 上野発10:55 →屋代で分割→ 湯田中着 15:46
       (1304M) 湯田中発17:45→屋代で併結→ 上野発 22:42 
交通公社の時刻表 1967年7月号より
 
 
1968年秋(ダイヤ改正)の時刻表の紙面
この年の10月に実施されたダイヤ改正は、使用車両が165系から169系に変更され、列車名も志賀号から信州号に変わっています。
急行信州1号(1301M) 上野発 6:48 →屋代で分割→ 湯田中着 10:59
急行信州4号(1305M) 上野発12:30 →屋代で分割→ 湯田中着 16:41
急行信州4号(1308M) 湯田中発12:50 →屋代で併結→上野発 17:25
急行信州7号(1310M) 湯田中発18:05→屋代で併結→ 上野発 22:40 
ちなみに、この急行信州号の名称ですが、翌年1969年には湯田中発着のみ急行志賀号に改名されています。乗客からの誤乗の要因になるとクレームあったことが原因のようですが。。
交通公社の時刻表 1968年 10月号より
 
 
1982年秋の時刻表の紙面
1969年10月以降、急行志賀号は長野電鉄乗り入れ列車を指す名称として運行され、末期には2往復中一往復が季節列車化されながら、1982年11月15日のダイヤ改正まで活躍しました。
なお、上野から屋代までのパートナーとなる列車は、急行妙高号(妙高高原行)、急行信州号(長野行)と異なっていました。
急行志賀1号(1301M、長電内4301M) 上野発 7:53 →屋代で分割→ 湯田中着 12:22 ※上野→屋代間 妙高3号と併結
急行志賀3号(1305M、長電内7305M) 上野発12:53 →屋代で分割→ 湯田中着 17:14 ※上野→屋代間 信州3号(定期)と併結、季節運転
急行志賀4号(1308M、長電内4308M) 湯田中発13:21 →屋代で併結→上野発 18:23 ※屋代→上野間 妙高4号と併結
急行志賀7号(6302M、長電内7302M) 湯田中発18:20→屋代で併結→ 上野発 22:53 ※屋代→上野間 信州10号(季節)と併結、季節運転

交通公社の時刻表 1982年 9月号より

 

 

冬季限定 スキー列車の乗り入れ

 

志賀高原、または野沢温泉方面への観光客の脚として、夏、冬を中心に臨時列車が運転されていました。

ここでは数多運行されたスキー列車名を追跡してみようかと思います。詳細は不明な列車もありますので、まずは足跡のみ。

 

準急信越スキー号

1963〜64年スキーシーズンの臨時列車です。列車番号を見ると客車になっていることがわかります。

3309列車 上野発 21:47発 →屋代で関山行と分割、長野電鉄乗り入れ→信州中野着 5:16

3326列車 信州中野発 21:16発 →屋代で関山からの編成と併結→ 上野着 4:36

交通公社の時刻表 1964年 2月号より

 

その他にも、多数のスキー列車の運行実績を確認しました。

信越雪国号(木島行、1968年)

木島信州号(木島行、1969年)

野沢スキー号(木島行、1977年など)

志賀スキー号(湯田中行、1977年など)

木島行は、野沢温泉スキー場の最寄り駅として、直通列車が運行されていたようです。

 

今回は以上です。

 

なお、過去のシリーズをまとめたページがあります。よろしかったらバックナンバーもご覧ください。

 

 

参考資料:交通公社の時刻表、鉄道ピクトリアル 2021年1月号、日本鉄道旅行歴史地図帳6号 北信越

参考サイト:長野電鉄河東線、屋代線、長野線(ともにWikipedia)

本文内写真:路線図:ButuCC, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, ウィキメディア・コモンズ経由で