Trans Europ Express(TEE)を、当時のトーマス・クック鉄道時刻表の紙面から振り返る企画です。

 

7回目は、TEEの代名詞とも言える列車、ラインゴルト(Rheingold)号です。

 

 

列車名の由来は?

ドイツ語で「ラインの黄金」という意。中世ドイツの叙事詩で登場するライン川の底に沈められたニーベルンゲン族の財宝に由来するようです。

 


運行されていた国 オランダ、西ドイツ、スイス、※オーストリア(一時期のみ)

※ラインゴルト号に併結された直通列車は含みません

 

 

運転時期と区間

 

1928年にオランダ・西ドイツ・スイス間の国際急行列車として誕生。

 

1965年5月30日〜 

 アムステルダム/フーク・フォン・ホラント 〜 ユトレヒト 〜 ケルン 〜バーゼル 〜 ジュネーブ

 

1979年5月27日〜

 アムステルダム 〜 ユトレヒト 〜 ケルン 〜バーゼル 〜 ジュネーブ

 

1982年5月23日〜

 アムステルダム 〜 ユトレヒト 〜 ケルン 〜バーゼル

 

1983年5月29日〜1987年5月30日

 アムステルダム 〜 ユトレヒト 〜 ケルン 〜バーゼル/ミュンヘン

※1985年、86年夏期に限り、オーストリアのザルツブルクに延伸運転

 

それ以降は、列車名は引き継がれることなく消滅。

 

TEE発足した1957年当時は、ラインゴルト号はTEEではありませんでした。しかしながら、当時からオール1等車編成で運転されており、車両スペック、サービス面では昇格間違いはずが、後述する頻繁な併結合がTEE委員会の眼鏡に叶わなかったようすです。

 

 

使用された車両、編成

客車

【西ドイツ】

ラインゴルト型客車

ラインゴルト用に製造された客車は、その後の西ドイツ国鉄のTEE、インターシティの標準車両となっています。

1978年1月号紙面情報での編成は客車9両(オープン座席、コンパートメント混在)、食堂車(42席)、バー。定員は461名。車内販売はDSG(ドイツ寝台車食堂車会社)が担当。写真はその編成内に組み込まれてた「ドームカー(ADm101型)」の側面写真。200km/h対応していない理由で、1976年夏ダイヤで編成から外れているようです。

TEE Rheingold Dresden pic01 2007 04 23

Henry Mühlpfordt, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons

 

先に申し上げておきますが、このラインゴルト号は、ルート上の主要駅(特にデュイスブルク、バーゼル)で他のTEE、国際列車と客車入れ替えを頻繁に行っていた有名な列車(日本でいう多層階列車)でした。これが「スピードアップの障害」と判断され、TEE委員会からは、発足後もしばらくの間は仲間入りさせてもらえなかった様子。

 

 

牽引機

【オランダ】

1100型直流電気機関車 ほか

時期によって1100型、1300型、1600型と担当が変わっていたようです。写真は1100型ですが、オランダの機関車でTEE専用塗色は見たことがありません。

 

 

【西ドイツ】

103型交流電気機関車 ほか

時期によって、V200.1型ディーゼル機関車、111型、112型電気機関車が担当していました。

 

 

【スイス】

Re410型交流電気機関車

写真は、イベント運転された様子ですが、Re410型の後ろにはDB103型が連結されています。

 

 

実際の時刻表紙面

1969年8月号より

TEEラインゴルト号のダイヤながら、接続列車の情報が多分に掲載されているため、どこからどこまでが「ラインゴルト号」なのか、最初は全くわかりませんでしたw
 
10列車 アムステルダム発7:38(フーク・ファン・ホラント発7︙06) → ジュネーブ着18︙49
9列車 ジュネーブ発11:34 → アムステルダム着22:35(フーク・ファン・ホラント着22︙58)
 
この紙面を読み解くためのポイントです。
  1. ロンドン〜フーク・ファン・ホラント間はあくまでも接続列車(船)の情報が乗っているだけ。
  2. アムステルダム/フーク・ファン・ホランドの両方からの列車はオランダのユトレヒトで解併結されます
  3. ドイツのドルトムントからのTEEラインプファイル号と、デュイスブルクで接続し、ラインゴルト号と編成の一部を入れ替える作業を行います。例えば、南行きなら、ミュンヘン行のラインプファイル号ラインゴルト号の一部を併結し、バーゼル行のラインゴルト号にもラインプファイル号からミラノ行の編成を併結する、という流れ(こう書いてもわかりにくい)
  4. バーゼルでは本体(ジュネーブ行)から、クール行き、ミラノ行を切り離し。ミラノ行はTEEローラント号に併結される。
Cooks Continental Timetable August 1969 より
 

 

1978年1月号(冬ダイヤ)より

引き続き、とても複雑なラインゴルト号のダイヤですw。些末ながら列車番号が変更されていますね。
7列車 アムステルダム発7:52(フーク・ファン・ホラント発7︙17) → ジュネーブ着18︙48
6列車 ジュネーブ発11:25 → アムステルダム着22:17(フーク・ファン・ホラント着22︙49)
途中にラインゴルトと「併結」し目的地に向かっていた列車が多数存在したのが、興味深い点です。その編成を列挙すると、
フーク・ファン・ホラント〜ミラノ ※バーゼル〜ミラノ間はTEEローランド号に併結
アムステルダム〜クール(Chur) ※バーゼル〜クール間はTEE追加料金不要
ハノーバー〜ミラノ ※ハノーバー〜デュイスブルクはインタシティーのラインプファイル号
となります。
Thomas Cook International Timetable January 1978 より

 

 

 

1983年5月号(夏ダイヤ)より

この夏ダイヤからはラインゴルト号は西ドイツ唯一のTEE列車となりました。季節運行のミュンヘン行きについては、かつて兄弟列車であったTEEラインプファイル号にラインゴルト編成の一部が併結する形はあったものの、ここではじめて単独運行が行われます。
この列車の特徴である「併結分割」について、これまでのデュイスブルクから、マンハイムに変更されている点を指摘しておきます。
なお、このラインゴルト号は夏のバカンス期のためか、アムステルダムから、クール、ブリーク(Brig)、キアッソ(Chiasso)への直通車両も併結されていました。
Thomas Cook Continental Timetable May 1983 より
 

 

 

1987年1月号より

ラインゴルト号の晩年のダイヤです。

15列車 アムステルダム発6:57→バーゼル着14:23

17列車 (マインツで分割)マインツ発11:38→ミュンヘン着15:44

14列車 バーゼル発13:08→アムステルダム着20:35

16列車 ミュンヘン発11:41→マインツ着15:50(マインツで併結)

この列車のダイヤですが、1983年ダイヤ改正で車両分割駅がマンハイムに変更されたのですが、その後1985年にマインツに変更されたものになります。

また、紙面内に「ザルツブルグ(Salzburg)」の記載がありますが、1985年、86年の夏期に限って、ミュンヘンまで延伸運転されていた名残となります。

Thomas Cook Continental Timetable January 1987 より

 

そして、1987年5月30日の運行をもって、ラインゴルト号は、その長い歴史に幕を閉じています。

 

今回は以上です。

 

すでに取り上げたTEE列車の一覧ページです。こちらもご参考ください!

 

 

参考資料:

  • Cooks Continental Timetable August 1969など
  • 世界の鉄道 国際特急 カラーバックス 植田信行監修
  • Das Grosse TEE-Buch 40 Jahre Trans-Europ-Express /Jörg Hajt/HEEL 1997年

参考サイト:TEE、ラインゴルト(列車)、インターシティー(ドイツ)(ともにWikipedia)、Welt-der-modeleisenbahn

ページ内写真:Flickrのリンクより

カバー画像:Deutsche Bahn AG, converted by  , Public domain, via Wikimedia Commons