新しいテーマをスタートさせます。

 

JR(国鉄)⇔会社線の乗り入れ運転。現在ですと「相互乗り入れ」とシステマチックに語られますが、今回取り上げるのは、一日数便主要都市からの直通列車が乗り入れるという、かつての地方私鉄にフォーカスしてみました。

 

あまり難しくするつもりは毛頭なく、時刻表紙面から確認できる国鉄(JR)⇔私鉄線の乗り入れがあった記録を残していく、ブログテーマの備忘録を地でいくテーマです。

また、現在も現役路線もさることながら、すでに廃止された地方私鉄を優先して取り上げてゆこうと思います。

 


■鹿児島交通枕崎線

今回は、鹿児島交通枕崎(まくらざき)線(枕崎〜伊集院)が、伊集院駅から国鉄線に乗り入れを行っていた軌跡をたどります。

 

鹿児島交通枕崎線 の詳細についてはこちらを御覧ください。

 

Wikipediaを見る限り、国鉄線への乗り入れを行っていた期間は、1949年2月19日(南薩鉄道時代)から、廃線となる1984年3月18日といいたいところですが、この廃線決定日は災害から復旧を断念する形での廃線だったようです。

 

ということは、時刻表通りに乗り入れが行えたのは、災害前までといえますので、つまり1983年6月21日までということになるでしょうか。ここは引き続き調査がいる点ですね。

 

国鉄線に乗り入れていた車両は、キハ300だったようです。下記写真だと中央の車両ですねー。

Kagoshima kotsu DC 300 100

h-tori, Public domain, via Wikimedia Commons

 


■紙面からうかがえる「乗り入れ」の様子

下記は1966年4月号時刻表紙面。1日3往復の列車が、西鹿児島駅発着であることがわかります。朝昼夜に各1往復が設定されています。

交通公社の時刻表 1966年 4月号より

 

 

鹿児島本線に乗り入れの鹿児島交通線列車のダイヤ。西鹿児島発加世田行があります。列車番号が9000番台ですが、これは臨時列車という括りではないと思われますが、採番ルールがわからないため、詳細は割愛します。

交通公社の時刻表 1966年 4月号より

 

 

時代は下って、1984年3月号時刻表紙面から。災害発生半年後、廃線を控えた時期です。紙面には「災害のため代行バスで運転」との記事が。

▲が全区間代行バスとのことで、西鹿児島からの乗り入れ便には記号はついていません。枕崎16:03発西鹿児島行は、枕崎〜伊集院間で代行バスとの記事があります。西鹿児島〜伊集院間は列車が運行されたようです。

2点とも、交通公社の時刻表 1984年 3月号より

 

 

同時期の鹿児島本線の紙面より。同じ時刻表内ですが、国鉄線紙面には災害に関する記事はなく、「鹿交枕崎」行きがしっかり記載されています。

2点とも、交通公社の時刻表 1984年 3月号より

 

Wikipediaを読むと、鹿児島市内への新線建設が計画が持ち上がったこともあるようです。採算等のシビアな判断は置いても、薩摩半島と県庁所在地との直結は沿線住民の悲願だったのかなと思ってしまいます。

 

今回は以上です。

 

参考資料:交通公社の時刻表 1966年 4月号、1984年 3月号

参考サイト:鹿児島交通枕崎線(Wikipedia)

ページ内写真:キハ300型 h-tori, Public domain, via Wikimedia Commons