今回は、このシリーズ初の「準急」です。1966年春から2年半の間、指宿枕崎(いぶすきまくらざき)線で活躍した準急そてつ号です。

 

ちなみに、列車名にも採用された「そてつ」という植物ですが、ソテツ科の常緑低木七夕。南九州ではよく見かける植物で、南国を感じさせる植物が列車名につけられたのですね。

Cycas revoluta plant 03

Vinayaraj, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, ウィキメディア・コモンズ経由で


 

送り込みダイヤを客扱いして誕生

さっそく、今回取り上げる準急そてつ号の簡単なご紹介です。
1966(昭和41)年 3月  急行にちりん号指宿発とするため、鹿児島から送り込み用の回送列車スジを客扱い化で登場
1968(昭和43)年 10月  廃止
 
この列車は同タイミングで新設された急行にちりん号の指宿発列車の送り込みとして、準急種別として片道のみ設定された列車です。
 
西鹿児島発9:40→指宿着10:44。
途中無停車であるのも指宿への送客に絞ったわかりやすい設定。当時の需要を感じさせる毎日運転のダイヤ。
交通公社の時刻表 1966年 4月号より
 
指宿には有名な温泉地がありますね。当時九州各地からの観光客の便宜を図るため、宮崎からは急行錦江(きんこう)号(日豊本線)、博多からはかいもん号(鹿児島本線)が指宿直行列車として運行されていました。
 
にちりん号の需要は高かったことは間違いなさそうなので、日中の移動手段として準急そてつ号は「それなりの需要」を見込めれば「御の字」という発想だったんでしょう。
 
編成は、キハ58,28系から構成され、中間車にキロ28を挟み込んだ3両編成だったようです。
 

 

旺盛な南九州の観光需要を取り込んだダイヤ設定

急行にちりん号の日豊本線下りは多層階列車でもありました。
博多から急行ゆのか号、佐多号と分割併結を行って、西鹿児島まで運行。
 
これは当時の旺盛な新婚旅行客はじめ、高い観光需要に応えるための対応だったようで、さらに鹿児島の有名温泉地指宿と宮崎をからめたルート設定とするために、下記のようなスジが引かれたようです。
【急行にちりん号】博多発7:20晴れ→日豊本線→西鹿児島着17:24お月様
(翌日)
【準急そてつ号】西鹿児島発9:38晴れ→指宿着10:28
【急行にちりん号】指宿発12:20温泉→博多着23:06お月様
※1967年10月のダイヤより
 
 
下記は1967年10月号の時刻表より。紙面内にそてつ号にちりん号の繋がりをわかるように、ブログ筆者が赤線を引きました。
交通公社の時刻表 1967年 10月号より
 

 

にちりん号は特急格上げ。優等列車も一新!

下記は1968年10月号より。
有名な「ヨンサントウ」と呼ばれた白紙ダイヤ改正が行われると、にちりん号は特急に格上げされ、博多〜西鹿児島間のディーゼル特急として生まれ変わりました。
 
その結果、指宿枕崎線では、これまでの急行にちりん号のスジに鹿児島本線経由の臨時の急行かいもん号が充当。とはいえ、従来の定期列車から臨時列車となり、準急そてつ号のスジを引き継ぐ定期列車はなくなってしまいました。
 
この「そてつ」という名称は、1968年10月1日からは、運転区間をかえて、熊本〜西鹿児島間の急行列車としてディーゼル列車から電車に切り替わりつつ、1975年3月10日のダイヤ改正まで活躍しています。
 

今回は以上となります。

 

過去のシリーズをまとめたページがあります。よろしかったらバックナンバーもご覧ください。

 

カバー用写真:Photograph taken by Ribbon, CC BY-SA 3.0 <http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/>, ウィキメディア・コモンズ経由で

本文内写真:ソテツ:Vinayaraj, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, ウィキメディア・コモンズ経由で

参考サイト:準急そてつ

参考資料:交通公社の時刻表 1966年4月号、1967年10月号、1968年10月号、日本鉄道旅行歴史地図帳 12号 九州沖縄