カートレイン沼にハマってみた 

 

第6回はカートレインではないのですが、エンジン付きの二輪車を運搬した歴史として、オートバイとそのオーナーを一緒に運んだMOTO(モト)トレインを紹介したいと思います。

 

 

  MOTOトレイン(モトトレイン)

 

筆者所有のオレンジカードの接写より

 

 

運行時期、区間

 

運行年とシーズン

1986年〜1998年 全13シーズンとも夏休みのみの運行

 

運転区間

上野 〜 函館 全13シーズン

→寝台車の運転区間について、1986年、1987年シーズンについては、青函連絡船利用前提のため、寝台車利用は上野〜青森間に限られていました。

 

列車名称  

MOTOトレイン 1986年〜1992年、1995年〜1998年

モトトレイン 1993年、1994年の2シーズン

 

なぜか2年間だけカタカナ表記でしたが、その理由は定かでは有りません。。。

 

 

運行ダイヤ

カートレインと異なり単独で運行せず、上野〜青森間は急行八甲田号に併結されて運行。青函トンネル開通前の1986年、1987年の2シーズンは、オートバイ積載の荷物車のみ「青函連絡船」で航送されました。

 

青函トンネル開通した1988年シーズン以降は青森〜函館は乗客用寝台車と荷物車ともに快速海峡号(臨時)に併結されています。

 

下記、代表的なダイヤを紹介しています。

 

【1986年】

上野発    21:14    →函館着    13:40 1986/7/18〜8/22

函館発    14:30    →上野着      6:54 1986/7/20〜8/23

 

1986年の東北本線紙面内の急行八甲田号。この頃は一般客はMOTOトレインを利用しないが、併結されている旨が記事に書かれている時代でした。

上記2点とも、交通公社の時刻表 1986年7月号より

 

 

【1995年】

上野発    22:17    → 函館着    12:30 1995/7/28〜8/26

上野→青森間は臨時急行八甲田号、青森→函館間は臨時快速海峡83号に併結

 

函館発    16:02    → 上野着      6:58 1995/7/30〜8/28

函館→青森間は臨時快速海峡86号、青森→上野間は臨時急行八甲田号に併結

 

青函トンネル経由時代のMOTOトレインですが、急行八甲田号で青森到着後、八甲田編成がそのまま臨時快速海峡83号となって、青森を9:38に発車していたようです。

JTB時刻表 1995年7月号より

 

 

青函連絡船を利用していた時代の記録。付録ページには運転日、時刻以外にも、オートバイ持ち込み関する注意事項の記事もあります。

交通公社の時刻表 1987年8月号より

 

・申込時に、車検証、届出済証が必要

・オートバイ持ち込み締め切り時間 上野駅 発車1時間前、函館 出航2時間前

・ガソリンを抜いてから積み込むこと

・排気量125cc超、長さ✕幅✕高さは230cm✕85.5cm✕180cm以内に限る

→鉄道ピクトリアル記事に記載されたオートバイのスペックは、排気量126cc以上、長さ✕幅✕高さは240cm✕74cm✕198.5cm以内、サイドカー、スクータータイプは不可

 

 

車両、編成について

 

【編成を構成する車両】

牽引機 EF65(上野〜黒磯)、ED75(黒磯〜青森)、ED79(青森〜函館)

※急行八甲田号、快速海峡号に準ずる

客 車 オハネ14 1両(定員48名) (3段式B寝台客車)

荷物車 マニ50 3両 ※時刻表上は1編成で40台積載と記事あり。

 MOTOトレイン向けのマニ50は、後期型の2100番台 6両(2154〜2159)をオートバイ積載用に改造されたもの。1両内で横3台✗縦7列のスペースを確保し、車体中央部1台分を作業用スペースとして開けた結果20台積載(2両連結で40台)となった。

 これに加えて、オハネ14の定員を最大限に利用するために、急行八甲田号に通常から連結されるマニ50を半室改造し、8台分の積載スペースを確保したそう。半室改造したマニ50は2120,2124、2128の3両。

 

なお、急行八甲田号は14系オール座席の急行列車でしたので、MOTOトレインの寝台客車と荷物車は最後尾に目立つ存在だったでしょうね。

 

 

始発・終着駅の地図情報

 

MOTOトレインは、貨物扱いとはいえオートバイ積載なので、自動車積込時に必要な積み込み設備は不要だったこともあり、一般の旅客駅での発着が行われました。そのため、乗車ホームまでは指定された動線がありましたので、当時の時刻表紙面で、その積み込み場所ほかの情報をならべてみました。

 

なお、急行八甲田号、海峡号とも上野駅と函館駅以外の途中停車駅からオートバイ積み込みはできませんでした。

 

上野駅

動線ですが、駅構内を語る前に、昭和通りのガソリンスタンドの案内がなされています。積み込み時はここでタンク内ガソリンを「空にする」手続きが必須でした。もちろん、函館から戻ってきた場合にはこのスタンドで「給油」して帰路につく流れ。

 

駅構内の動線ですが、現在でいう、公園坂通りの山下口そばに受付があったようです。そこから積み込みホームに手押しで向かったという流れだったんですね。

交通公社の時刻表 1987年8月号より

 

 

Wikipediaから上野駅での積み込み風景。こんな感じだったんですね。

JR East MOTO-Train

本人, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons

 

 

函館駅

こちらは青函連絡船でのオートバイ航送時代の地図です。積み込み前の「ガソリンを抜く」ガソリンスタンドは、駅近に1件記載があります。そのあと駅構内の手荷物扱い所の一角にある受付に向かい、そのまま荷物ホームに向かう流れ。

交通公社の時刻表 1987年8月号より

 

 

下記が1995年の函館駅構内動線案内図です。

1986年当時と異なるのは手荷物扱所の建物がなくなって導線上に受付が設置されたようですね。積込と発車ホームが異なるという記事があります。受付・積込について、2時間30分前と、かなり早めの手続きが必要だったことがわかります。

JTB時刻表 1995年 7月号より

 

 

運賃

1987年当時の運賃です。カートレイン同様、バイクの持ち込み費用込なら、破格な価格設定でしたね。

交通公社の時刻表 1987年8月号より

 

MOTOトレインは、カートレインと並んでJR発足時のヒット商品だったようで、ライダーの間ではプラチナチケットといわれていたとネット上でいくつか見かけました。

そんな評判の高かったMOTOトレインは、1998年に臨時八甲田号の運転取りやめの影響をうけて、同時に13年間の歴史に幕を下ろしました。

 

次回は、関西版のMOTOトレイン「モトトレール」(年度によって日本海モトトレイン、モトとレールと表記)についてまとめてみたいと思います。

 

今回は、以上です。

 

参考ページ カートレイン(いづれもWikipedia)

トミックスサイト:

 

参考資料 

本文内写真 MOTOトレイン上野駅積み込み :本人, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons

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