短命すぎてシリーズ、14回目は、民営化直前の1986年12月から、1991年8月まで運転されていた特急列車ゆぅトピア和倉号にフォーカスします。

 

大切なので2度いいますが、

「ゆぅトピア和倉(わくら)」

です。

 

ユートピアとか、ゆうとぴあとか書きたくなるし、文字変換がうまくいかなき気持ちをぐっとこらえて書いていますw

 

 

  電車特急と併結するディーゼル列車

 

ゆぅトピア和倉号は、文字通りジョイフルトレイン「ゆぅトピア」を使用した特急列車でした。
 
「ゆぅトピア」は金沢運転所所属のキハ65の2両編成で、ゆぅトピア和倉号ではグリーン車指定席の列車として運行されました。
 
運行開始から終了までの略歴ですが、
1986年11月 キハ65から改造
1986年12月27日 大阪〜和倉温泉間で運転開始。下りは土曜日、上りは日曜日運転の臨時列車
1988年3月13日 毎日運転の臨時列車となる
1991年8月31日 運転終了

Wikipediaを読む限り、国鉄が京阪神エリアから観光客を和倉温泉に「直送」させるルートを確保したいがための一案として「ゆぅトピア」が製造されたようです。それにしても大阪から和倉温泉まで「全席グリーン車」って、レベルは異なれど、コンセプトとしてはサフィール踊り子号と同じかなと思いました。

 
で、和倉温泉駅のある七尾線は、当時非電化でしたので、ディーゼル列車が起用されたわけですが、特急街道北陸本線を「高速」に走れるでDCは当時なかったわけで、その苦肉の策として、大阪〜金沢間は電車特急雷鳥号と併結して運転されました。これを協調運転と呼ばれています。
 先達の皆様にとって協調運転は周知の事実かと思いますが、これ、DC(ディーゼル列車)+EC(電車)がそれぞれの動力を使って走行しているわけではなく、実際は485系側の動力のみで走行しており、俗に日本の「おんぶされている(=牽引されている)」形で運行されました。だから北陸本線内での併結時には、かならず「後部」に連結されていました。なお、エアコン、室内灯等はDCが搭載しているサービス用電源を使っていました。
 
 

  送り込みの「ゆぅトピアライナー号」もあった

 

運行開始から1年あまりの間は、週1往復の運転でしたので、土曜日の大阪発列車のため、金沢運転所所属の「ゆぅトピア」は毎週送り込みが必要でした。ここで国鉄が考えたのは「送り込みではなく、客扱いすれば増収に貢献できる」ってことだったようです。

 

そのため設定されたのは、大阪駅への送り込みのために金曜日発、金沢への回送のための日曜日発をゆぅトピアライナー号として設定しました。
 
特急雷鳥号とペアを組んではいるものの、客扱い駅は雷鳥号ゆぅトピア和倉号は異なりました。例えば、下り雷鳥9号は、大阪、新大阪、京都以降、敦賀、武生、福井、芦原温泉、加賀温泉、小松と、かなりこまめに停車していますが、「おんぶされている」ゆぅトピアはあくまでも和倉温泉への送客に特化させたい国鉄の「意地」を感じたいところです。実際は雷鳥号と〜和倉号のドア扱いは総括されない仕様だったようですので、「運用の事情」だったのかもしれません。
交通公社時刻表 1987年 2月号より
 
ちなみに、このゆぅトピアライナー号は、毎日運転がはじまった1988年3月ダイヤ改正では消滅しています。これも短命列車の一つとしてカウントできるかとw。それにしてもこのゆぅトピアライナー号まで全車グリーン車指定席で運転してしまった件、当時はバブル全盛期とはいえ、ちょっと浮世離れした国鉄幹部の発想力に驚かされます。。。
 
 

  「代車」ができて、毎日運転の臨時列車に

 

その後、1988年3月13日のダイヤ改正から、毎日運行の臨時列車として再度スタートを切ります。前述の通り、送り込みは不要になりましたので、ゆぅトピアライナー号は紙面から消えます

 
毎日運転ながら、1編成しかない「ゆぅトピア」には代走が必要です。毎日運行化の影には、代走となるジョイフルトレイン「ゴールデンアストル」の存在に触れておく必要があります。こちらも金沢所属のジョイフルトレインですが、「ゆぅトピア」が土日祝に稼働するために、その「空白」となる週末の団体臨時列車需要に応えるために製造されたようです。
 
ゴールデンアストルの仕様は「ゆぅトピア」と踏襲としながら、写真には写っていない中間車もあったようです。また、非電化区間乗り入れが可能ということで高山本線の高山までユートピア高山号で活躍していた時期もありました。
(これは、ゆぅトピアではなく、ユートピアですw)
 
ちなみに毎日運転の臨時列車となってからのダイヤは下記の通りです。大阪発が1時間程度繰り上げされているのが変更点でしょうか。
交通公社の時刻表 1988年 3月号より
 
 

  七尾線電化に伴い「スーパー雷鳥」にバトンタッチ。

 

下記は廃止直前(=七尾線電化開業前)のJTB時刻表1991年7月号紙面。ゆぅトピア和倉号が確認できます。「8月31日まで毎日運転」の記事があり、これが最後の運転日であったことがわかります。翌9月1日からは、七尾線電化開業となり、お役御免となります。
 
2点とも、JTB時刻表 1991年 7月号より
 
 
交通公社時刻表 1991年9月号の紙面です。七尾線開業後ですので、すでにゆぅトピア和倉号の見る影はないのですが、後釜にはパノラマグリーン車連結のスーパー雷鳥号が和倉温泉直通列車の任務に付きました。これで従来の1往復から3往復に増便できた上に、2両編成(全車グーリン車指定席)から、7両編成(普通車、グリーン車)と輸送力も大幅に増強されてました。
交通公社時刻表 1991年9月号より
 
ちなみに、ゆぅトピア和倉号亡き後の「ゆぅトピア」は団体専用として活躍し、1995年に引退しているようです。
 

今回は以上となります。

 

参考資料:JTB時刻表 1987年2月号、1988年3月号、1991年7月号、同年9月号、日本鉄道旅行歴史地図帳 6号 北信越

参考サイト:ゆぅトピア、ゴールデンエクスプレスアストル(もとに、Wikipedia)

カバー画像、ページ内画像:Frickrのリンクより