W. A. モーツアルト:ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K. 466
ピアノ:バレンティーナ・リシッツア Valentina Lisitsa
演奏 :フライブルク・モーツァルト・オーケストラ 演奏時間:35分05秒
ライブ演奏 2012年5月20日
ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K. 466は、初演時より高い人気を博し、モーツァルトの全作品中でも
屈指の名作と謳われる曲です。
1785年2月10日に完成され、翌日にウィーン市の集会所「メールグルーベ」(現在はアンバサダー・ホテル)で行われた予約演奏会で初演されました。
と、簡単に書きましたが、「曲芸」の極みですよね?
モーツアルト本人は完全暗譜だったでしょうが、オーケストラ用楽譜なんてどうやったのでしょう!
全曲演奏に30分くらいかかる量なのに、オーケストラは練習なしで「ぶっつけ本番」?
まあ何とかしたのでしょうが、常人には理解できない、彼ならではの天才的な行動パターンの一つです。
ともかくも特筆すべきは、この曲でモーツァルトは、初めてニ短調のピアノ協奏曲を書いたことです。
これは、後世の我々から見ると、大変に暗示的です。
モーツアルトが書いたニ短調の曲といえば、白鳥の唄「レクイエム K626」の一部、歌劇「魔笛」の
“夜の女王のアリア”、歌劇「ドン・ジョバンニ」の一部くらいしかないばかりか、それらは全て
モーツアルトの死の直前の曲ばかりであるからです。
それをモーツアルトが意図していた筈はなく、誠に運命的な選択をしたものと暗澹としてしまいます。
作品そのものにも、やはり驚くべきものがあります。
それまでのピアノ協奏曲の多くが、王侯貴族向け・富裕層向けの社交会で演奏されるような華やかな
曲想をもっていたことを考えれば、例えば第1楽章冒頭のシンコペーションによるいかにも怪しく
始まる、予想のできない、得体の知れない、魅惑的な、この作品の特異な響きには驚きを禁じえません。
華やかさのみが期待されたそれまでの曲とはうってかわって、激しい感情が遠慮なく書き込まれています。
楽器構成すらも変貌しています。ソロ・ピアノと弦楽セット以外に、フルート・オーボエx2・
バスーンx2・トランペットx2、そしてティンパニ、という、まるで交響曲をやるのかと思うほどの
常識破りなセットです。
このパワフルなオーケストラが、第1楽章冒頭から、暗く不安げな旋律、劇的な展開、厳しさと激しさの
入り混じった感情を、強く表現するのです。これまでのピアノ協奏曲の雰囲気とイメージは、がらり
と変わり、まるでバッハなどは遥か遠くの時代かと思ってしまうほどの強烈な印象を受けます。
それにしても楽譜上に殴り書きで書かれた、それこそ無駄一つない音符の量!
天が遣わした才能に、ため息をつくばかりです。
第1楽章は、無類に高貴で香しく理知的。第2楽章は厳粛でさえあり、第3楽章は機知に富んでいます。
バッハの音符運びとは明確に違っていて、半音階でふらふら動く中声部、つまり第2ヴァイオリンと
ヴィオラがあちこちでぶつかっていて、古典的なメロデイ展開と和声は全く現れず、自由闊達な世界
を手探りする音があちこちでこだましています。
これこそ、モーツァルトが既成の音にあきたらず、それをぶち壊しにかかっている瞬間なのです。
単刀直入で、素直で直線的な表現が、世間的な世渡りの訓練など全く受けていないモーツアルトの
独創的演出が、見事に聞くものの胸を打ちます。
簡単に言えば、あっけにとられるほどに、時代を突き抜けてしまっているのです。
これまで地上にはなかった音楽に、常人はただおろおろとついていくしかありません。
ドラマティックなメロディ展開に満ちたこの曲は、映画『アマデウス』でも、落ち目になって
精神的に追い詰められ、退廃していくモーツァルトの姿とオーバーラップさせ、効果的に使われています。
こんな見事な音楽が、突然、どのようにして彼の頭の中に浮かんだのでしょう。
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ところで、Wikipedia にこんな文章が書いてありました。
「この曲は、あのスターリンが最も好んだモーツァルトの楽曲だったそうで、大粛清が行われた恐怖政治の絶頂期に、孤独にラジオを聴いていたスターリンが、たまたま流れたマリヤ・ユーディナが演奏したこの楽曲を聴いて涙を流したと流布されています。」― え~、嘘やろ!
⇒【音楽】W. A. モーツアルト:ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 K. 467 に続きます