大直禰子神社(若宮社) | よしおのブログ

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好きなことをつらつら書いていきます。
『古事記』に出てくる神社に行くのが好きです。

今日は大神神社の境外摂社の「大直禰子神社」(おおたたねこじんじゃ)にやって参りました。

※大直禰子(おおたたねこ)は『古事記』では意冨多々泥古と表記されています。


此の天皇の御世に、疫病多に起こり、人民尽きなむと為す。尓して天皇愁歎(うれ)へたまひて、神牀(かむとこ)に坐す夜に、大物主大神、御夢に顕れて曰りたまはく、「是は我が御心ぞ。故意冨多々泥古(おほたたねこ)を以ちて、我が前を祭らしめたまはば、神の気起こらず、国も安平かにあらむ」とのりたまふ。(『古事記』 崇神天皇の代)

PC変換不能。「疫」は「人偏+殳」


この(崇神天皇の)時代に疫病が多く起こったため国民が絶えてしまいそうになった。天皇はご心配なさって、神の託宣を得るための床にお寝になった。その夜に大物主大神が御夢にはっきりと現れて、「この疫病は、私の心が引き起こしたものです。意冨多々泥古に私を祭らせるならば、祟りは消えて、国は安らかになるでしょう」とおっしゃった。


よしおのブログ-若宮神社1

崇神天皇の時代に疫病が流行ります。

天皇は神さまの言葉を得るために神聖な寝床で横になり、待っていました。

すると、その夢に大物主大神が出てきて、

「意冨多々泥古(おおたねこ)に私を祭らせれば疫病は止む」と言います。

天皇は意冨多々泥古という人を探すため、すぐに使者を四方に走らせます。

すると、河内国の美努村(みののむら)にその人を見つけます。

これは今の大阪府堺市付近だそうです。




よしおのブログ-若宮神社2 意冨多々泥古を天皇のもとへ連れて行くと、

天皇が「おまえは何者だ?」と聞きました。

それに対して意冨多々泥古は

「私は大物主の子孫です」と答えます。

天皇は喜んで、意冨多々泥古に大神神社(大物主の神社)の神主として大物主を祭らせます。

すると、たちまち疫病は止み、国は平安となったのでした。


こういうことで、大直禰子神社は大神神社のすぐそばに建っています。


さて、次の話をみてみましょう。


<三輪山伝説>

昔、イクタマヨリビメという娘がいた。容姿端麗で美人であった。

ある夜、物音も立てずに娘の寝室に忍び込んできた男がいた。見ると容姿も態度も素晴らしい人であった。二人は親に秘密に同棲を始め、すぐに娘は妊娠をしてしまった。

 娘の妊娠に気付いた両親は、子供の父親は一体誰なのかと聞いた。しかし娘も男の素性を知らなかったために答えられない。そこで両親は娘に次のようにいった。

「赤土を寝室の床に撒いて、糸巻の糸を針に通し、男の着物の裾に刺しておきなさい」と。

娘は両親にいわれた通りにして、翌朝見てみると、糸巻には糸が三巻き(三輪)だけ残っていた。そして糸は家の外に伸びていて、それを辿っていくと三輪山の神社まで伸びていた。


よしおのブログ-若宮神社3

このイケメンが大物主だと言われています。

家系図をみてみると


大物主とイクタマヨリビメの間の子→櫛御方命くしみかたのみこと

櫛御方命の子 → 飯肩巣見命いいかたすみのみこと

飯肩巣見命の子 → 建甕遺命たけみかつのみこと
建甕遺命の子 → 意冨多々泥古おおたたねこ


となります。

意冨多々泥古は大物主の玄孫(やしゃご)になるのです。

参考:大神神社http://ameblo.jp/martin42mec/entry-11468977524.html

おわり