小杜神社 | よしおのブログ

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好きなことをつらつら書いていきます。
『古事記』に出てくる神社に行くのが好きです。

今回は『古事記』の編集した人であります「太安万侶」(おおのやすまろ)のいる「多神社」にやって参りました。

多神社の本名は「多坐彌志理都比古神社」(おおにいますみしりつひこじんじゃ)といいます。長い!

太安万侶の「太」(おお)は、「多」(おお)と表記することもあるそうです。

かつてこの付近に太(多)氏という一族がいて、安万侶はここの出身だそうです。


よしおのブログ-多神社5 この多神社には次の4柱の神様が祀られています。

神武天皇 → 初代天皇。神八井耳命と神沼河耳命のお父さん

神八井耳命 → 安万侶の一族 太(多)氏の祖先神

神沼河耳命 → 後の綏靖(すいぜい)天皇

姫御神 → 玉依姫 神武天皇のお母さん

の4柱です。


そして『古事記』の編纂をした安万侶は多神社の南にある「小杜神社」(こもりじんじゃ)に境外摂社として鎮座しています。



さて、元明天皇の命令を受けて安万侶は『古事記』を編纂したわけですが、作成にあたって高い壁が立ちはだかります。安万侶は『古事記』の序文で次のように苦悩を語っています。

よしおのブログ-多神社2


然れども、上古(いにしへ)の時、言(こと)と意(こころ)と並朴(みなすなほ)にして、文を敷き句(ことば)を構ふること、字には難し。巳(すで)に訓(よみ)に因り述ぶれば、詞(ことば)は心に逮(およ)ばず。全く音を以ち連ぬれば、事の趣更に長し。 (『古事記』 古事記の成立)


しかしながら、上古の時代は、言葉と意味ともに素直な国語であり、それを漢字に敷き移し、漢語で綴ること、つまり漢字での日本語表記は容易ではない。すべて訓字で表記すると言葉の意味が十分に通じない。またすべて字音仮名で書き連ねると長々しすぎて意味が十分に通じない。



よしおのブログ-多神社3

『古事記』を編纂した当時、日本(大和)では片仮名も平仮名も発明されておらず、日本語の「文字」が存在しませんでした。

当時あった文字は外国語の中国語(漢字)だけだったのです。

安万侶は、稗田阿礼が日本語(大和言葉)で暗誦する神話を、日本語のそのままの発音で紙に書き移そうとしましたが、漢字だけなのでうまく書き移せませんでした。

たとえば、日本にはローマ字しか文字が存在しないとします。そこで「彼はよろしくと言った」という音声を書き移そうとすると、一体どうなるでしょう?

ためしに「karehayorosikutoitta」と書くと、「枯れ葉よ濾紙くと行った」という意味不明な文章が出来上がります。さらには長々しくもなりますね。


よしおのブログ-多神社4 では、いっそのこと英語で書いてしまえ!ということで

He said, "Please". と書くと、日本語の発音が全くなくなってしまうのです。

そういうこともあって、安万侶は悩みになやみます。

そして、悩んでなやんだ末に、ひらめきます。


彼は「当て字」という方法を思いついたのです。


「よろしく」を「夜露死苦」という当て字を使って書く人がいますよね。その当て字と漢文を混ぜ合わせて書いたのです。さらには、読み方や意味が分かりにくい所には注釈も付けました。たとえば、このような感じです。


よしおのブログ-多神社1 「彼はよろしくと言った」を漢字だけで書き変えなさい。

→「彼言夜露死苦」※夜露死苦波挨拶也


という感じです。「彼言」は漢文の文法を使用、「夜露死苦」は日本語の発音そのままを当て字で表記。さらに「よろしくは挨拶なり!」と注釈を付けることで、読み間違いのないようにすることができるのです。
これは1300年前に実際に行われた作業なのです。

「古代の人は現代人よりも劣る」とは決して思いませんが、

素晴らしい発想だと感じます。

そして、おかげさまで、『古事記』を楽しむことができているのです(笑)


参照:稗田阿礼 賣太神社http://ameblo.jp/martin42mec/entry-11518736455.html

    神武天皇 橿原神宮http://ameblo.jp/martin42mec/entry-11525283594.html

おわり