故其の政(まつりごと)いまだ竟(お)へぬ間に、其の懐妊みませるが、産れますに臨む。御腹を鎮めたまはむと為て石を取りて、御裳(みも)の腰に纏(ま)かして、竺紫国(つくしのくに)に渡りたまひ、其の御子はあれ坐しぬ。故其の御子の生れましし地に号(なづ)けて、宇美(うみ)と謂う。また其の御裳に纏かしし石は、筑紫国の伊斗村(いとのむら)に在り。 (『古事記』 応神天皇の聖誕)
(神功皇后は)その政務(新羅遠征)がまだ完了しないうちに、ご出産の臨月となった。そこで御腹を抑え鎮めようとして、石を持ち、御裳の腰にお付けになって(股間に挟んで)、ご出産を引き延ばした。新羅遠征から筑紫国(九州)に戻ると、その御子(応神天皇)はお生まれになった。その御子がお生まれになった地を名付けて、宇美という。また、御裳にお付けになった石は、筑紫国(九州)の伊斗村にある。
香椎宮(http://ameblo.jp/martin42mec/entry-11493861788.html )の続きです。
神功皇后が新羅遠征に行くとき、皇后は臨月になっていました。そこで出産を遅らせるために腰に石を巻いて(股間に石を挟んで)遠征に向かいます。その後、筑紫国(九州)に帰ってくるとその石を外して子どもを産みます。
その「石」を祀る神社が「筑紫国の伊斗村」、
現在の福岡県筑前深江の「鎮懐石八幡宮」といわれています。
実際に行ってみました。
![よしおのブログ-鎮懐石看板](https://stat.ameba.jp/user_images/20130327/21/martin42mec/8e/a1/j/t02200165_0800060012475932718.jpg?caw=800)
筑前深江駅から歩いて15分ほどかかりました。
すこし道が入り組んでいて着くのに苦労しましたが、
実はこの神社『万葉集』にも出てくるそうで、
神社に近づくと道案内の看板も出ていました。
どんな神社なのかなぁと楽しみにして行ってみたら、
なんと!!
小山じゃないか!!
急な階段を上って行くと...
海が見えました!!
良い景色です!!
新羅からこの地に神功皇后は帰って来たのだなぁと感じました。
そして
その先の小山の頂上にありました、
鎮懐石八幡宮の拝殿と本殿です。
建築には詳しくないのですが、
棟持柱が外部にある...ということは...
これって神明造ですよね?
伊勢神宮と一緒ですよね?
ビックリして写真を撮りまくってしまいました。
ちなみに、ご神体であるはずの「石」、存在しないそうです(苦笑)
この神社の新聞記事が境内に貼ってありまして、そう書いてありました。
昔は複数個あったらしいですが、ご利益があるということで
参拝者が持って行ってしまい、すでにもう存在しないそうです。
神主さんの家を改築か増築かするとき、床下から大量の卵型の石が出てきたという情報も。
とりあえず、そんなこんなで「石」は実際に見れるわけじゃない(笑)
まぁ、ご神体は基本的に見れないものなので仕方がないですがね(笑)
景色も良いし、ストーリーも良い、そして現状も面白い!!
とても良い神社でした!!
次回は、応神天皇生誕の地、「宇美」の宇美八幡宮について書きます!!
おわり!!