其の太后(おほきさき)息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと)は、当時神を帰せたまふ。故天皇筑紫(つくし)の訶志比宮(かしひのみや)に坐して熊曽国(くまそのくに)を撃たむとしたまふ時に、天皇御琴を控かして、建内宿祢大臣(たけうちのすくねのおほおみ)沙庭(さには)に居、神の命を請ふ。 (『古事記』仲哀天皇の代)
(仲哀天皇の)皇后、息長帯日売命(=神功皇后)は当時神懸かりをなさった。天皇は筑紫(九州)の香椎宮にいて、熊曽国を討とうとしていたので、神を呼ぶ琴をお弾きになって、建内宿祢大臣と共に、神託をお求めになっていた。
熊曽国を倒すために神さまのお告げを待っていました。神さまを呼ぶための琴を弾く天皇の横には家来の建内宿祢が控えていました。この建内宿祢は現在の総理大臣の位だそうです。
すると、神功皇后に神さまが降りてきて
「西の方に国があり、そこには金銀財宝がたくさんある。その国を天皇に授けよう」
といいます。
しかし、天皇は
「高い場所に登っても、西には海しかみえません」
といって、いい加減なことをいう神だと思って琴を弾くのを止めてしまいます。
すると、
「この世はあなたが統治すべきではない。黄泉の国に行くがよい」
と神さまは激怒します。
横に控えていた建内宿祢は「陛下、恐れ多いことです! どうか琴を弾き続けてください」と言いましたが、
天皇はいやいや弾くだけでした。
間もなくすると、ふと琴の音が止まります。
そこで火を掲げて見てみると、すでに天皇は亡くなっていました。
神さまのお告げを信用しなかったので天罰が下ったのです。
そういうことで、香椎宮の境内には建内宿祢を祀る神社もありました。
その後、国を挙げての罪穢れを祓い除く儀式を行って、もう一度神さまのお告げを聞きます。
すると神さまは「西の国は神功皇后の腹の中にいる子ども(男の子)が統治すべきだ」 といいます。
その場にいた建内宿祢が「あなたさまはどちらの神さまでいらっしゃいますか? どうかお名前を教えてください」
と問うと、
「このお告げはアマテラス大神のご心意だ。また、私は住吉三大神である。私も船に乗せて海を渡りなさい」と答えます。
ここで大阪の住吉大神が活躍するのです。
(参考:住吉大社http://ameblo.jp/martin42mec/entry-11489678916.html )
そういうわけで神功皇后は妊娠したまま西の国(朝鮮半島の新羅)に遠征します。
この腹の中にいる男の子は後の応神天皇となります。応神天皇は「胎中天皇」とも呼ばれます。腹の中にいるときから戦いを経験しているのです。
そして、すごい胎教(笑)
香椎宮の奥にはその当時の香椎宮跡がありました。
ちょっとわかりにくい場所ですが、良い雰囲気でしたよ!
次回は「宗像大社」について書きたいと思います。 おわり