福井県敦賀 「氣比神宮」
気比大神こと伊奢沙別命(いざさわけのみこと)とその仲間たちが祀られています。
※「古事記」では「別」が「和気」と表記されています。
応神天皇が皇子の頃、戦争の作戦の一環として死人のふりをしました。
「ふり」とはいえ、死人はケガレとして考えられたので、戦争が終わったあとに禊(みそぎ)のために旅に出ます。
そして行き着いたところが、ここ敦賀でした。
なんでも日本三大鳥居というものがあるらしく
そのひとつだそうです。
残りのふたつは広島県厳島神社と奈良県春日大社だそうです。
両部鳥居ですね。仏教色があります。
皇子が敦賀にいるとき、夜の夢に気比大神が出てきてこう言います。
「わが名を皇子の御名と取りかえて欲しい」
皇子が「恐れ多いことです。お言葉の通りにします」と答えると
「それでは明日の朝、浜に来なさい。名前を取り換えたお礼を贈ろう」と気比大神が言います。
拝殿には千木も鰹木もないので、仏閣に見えました。
おかしいなぁと思って徘徊していると
本殿の横に行き着きました。
すると、やはりありました!千木、鰹木!
外削ぎで、小ぶりな千木でした。
鼻が傷ついた海豚(イルカ)が浜いっぱいに打ち寄せられていました。
皇子は「大神は私に御食(食事)の魚をくださった」といい、
神を「御食津大神(みけつおおかみ)」と呼びました。
※イルカは食用で、鼻を銛で突いて漁をしていたようです。よって、「魚」であり、鼻が傷ついています。
すごぉく綺麗な海...ぼーっと小一時間くらい眺めてました。
さて、浜に打ち上げたイルカですが、鼻をケガして血を流していたため、浜には血の臭いが立ち込めていました。
そこからその地を血浦(ちうら)というようになりました。
そして今では
「血浦(ちうら)→都奴賀(つぬが)→角鹿(つぬが)→敦賀(つるが)」になったそうです。
天気にも恵まれて
ほんとにもうねぇ、きれいだよねぇ
「気比の松原」
気比神宮の正面の通り(参道?)をまっすぐ歩いていくと気比の松原に着きます。
んん、たぶん気比神宮はこの「海」を祀っているんでしょうね。あまりにも綺麗でした。海を渡り行く風波に息を飲みました。
神宮から歩いたらちょっと遠いです(苦笑) 行きは歩いて辿りつけまいたが、帰りはもうヘトヘト。バスを使いました。
おわり