テレビは自分の成長や、アイデア出しにつながる? | 肉球ぷにぷに

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テレビ見てもいいじゃない

刺激と反応の間には選択の自由がある
「刺激と反応の間には選択の自由がある」
これは、7つの習慣の一節。

選択するのはもちろん自分。

だから、同じ刺激があったとしても、
人によってどのような反応をするのかは自分が選ぶということ。

私はこの話、言いたいことは分かるのだが、
どうも完全に自分が理解できていないような、
気持ち悪い状態が続いていた。

だが、なんとなく最近その理解度を深められたと思う。

きっかけは、よく聞く話。
あなたは、「私はテレビを見ない」と
主張する人の話を聞いたことがないだろうか?

最近、色々な人から何度も聞いたのだが、
私が聞いたケースでは、

日々、自分のレベルを高めようと思ったら、
テレビをボーッと見ている時間はない。
もっと、本を読んだり、勉強したり、経験を積むべきだ!

という趣旨だった。

私はこの意見に、ほぼほぼ賛成だ。

実際、自分の成長を重視し、、
レベルアップの為の勉強を増やしていった結果、
テレビを見る時間は大幅に減ったからだ。

だが、だからといって、
「私はテレビを見ない」という極端な意見・表現は
どうも腑に落ちないでいた。

そして、私が今思う結論。

それは、「テレビは見てもいい」だ。

ただ、条件がつく。

それは、
「テレビで見たことを本気でアウトプットに活かし、
 他人に価値を提供できそうだと思ったら」

もしくは、

「それを見ることで、時流を読み取ったり、
 自分の感性を磨くのに役立ちそうだったら」だ。


テレビは基本的に受け身のメディア。

何も意識しないでつけていれば、
自分のプラスにもならない番組が、永遠に流れ続ける。

そして、貴重な時間が失われる。

これでは、何も成長しないし、
ただ時間が奪われるだけなので見ないほうがいい。

だが、テレビはメディアの王様。

膨大なスポンサー料に支えられて番組が作られており、
高付加価値な番組もある。

それに近年、ネットに押されて、
メディアとしての価値が相対的に下がってきたために、

様々な新しい試みが行われており
挑戦的な内容の番組も増えているように思う。

そこで、冒頭に戻りたい。
刺激と反応の間には選択の自由がある

同じテレビという刺激でも、
どんな選択をするかによって、異なる反応が生まれる。

だから、テレビが悪いんじゃない。
テレビを見た時の選択が悪いんだ。

ただテレビを見る。それで終わり。
この選択は最悪だ。

自分の学びにもなっていないし、
人に価値を届けているわけでもない。
この選択が多いならば、テレビを見るべきでないだろう。

だが、自分の学びになりそうな番組を選んで、
そこで学んだことを、

人に話したり、ブログに書いたり、
Youtubeに動画投稿したらどうだろうか?

それは、十分見る価値が合ると
言えるのではないだろうか?

要は、刺激に対して自分が選択するんだという
強い意識が持てているかどうか

そして、役に立たないと思ったらすぐさまやめることが
できるかどうかがポイントなんだ。

私は、テレビは一切リアルタイムでは見ない。
全て、ハードディスクに録画している。

たまたま目についた番組も録画して、
後で時間があいた時に見る。

そうすることで、CMは全て飛ばすし、
放送時刻に縛られることもない。

もちろん、期待はずれだったらすぐに見るのをやめる。

テレビを見ずに、その時間を自分の成長に投資する。
その考え方は素晴らしいと思う。

だが、なんでそこで「テレビを見ない」という
発言につながるのだろうか?

確かに、テレビを見るのは時間の浪費つながりやすい。
だが、本質はそこではない気がしてならない。

テレビはあくまでメディア。
見る価値が有るかどうかは番組、コンテンツ次第のはずだ。

「テレビは見ない」という発言のカッコ良さに
惹かれているだけなのだとしたら、

それこそ、選択する意志が足りない可能性がある。



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発行者:マルス
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