楢葉町に行って、今、考えたこと。
いわきから楢葉町へ行きました。

楢葉町は、福島県浜通りにある町です。東京電力福島第二原子力発電所の1号機ー4号機があります。
現在、住民の多くはいわき市に避難していて、役場もいわき明星大学内に出張所を構えています。警戒区域が8月10日午前0時に解除され、避難指示解除準備区域に指定されました。
正直、いろんな不安がありました。東京では毎日、原発賛成か反対か、そればかりが話題にあがります。
原発を止めると電力が安定して供給されず、経済は下降するんだとか…
原発は未来のこどもたちの安全のために止めるべきなんだとか…。
福島のモノは放射能で汚染されているとか、されていないとか…
毎日そんなニュースばかり。
ボクたちチームNは、被災「地」支援ではなく、そこに住む人に目を向けることをモットーにした団体です。
お金もない、キャリアもないボクたちができることは、人を大事にすること。
人とのつながりしか持たないボクたちが、人とのつながりを無くしてしまったら、何が残るのでしょうか?
そういう意味でも、ボクは迷っていました。
放射能の問題もありましたが、それ以上にボクとしては、他県から何も知らないボクたちが、車で楢葉町に入っていいのか、どうか…。
今回のツアーで、ボクたちは、楢葉町からいわき市に避難してきた八橋さんという方と知り合うことができました。
アルジャーノンというパン屋さんを楢葉町で開いていらっしゃいました。いまは、いわき市の仮設住宅の横の仮設店舗で営業されています。
避難後のこと、その後東京の仲間のお店でパンを焼き始めたときのこと、仮設店舗で営業を再開されたこと、いろんな話を伺うことができました。
そして、最後に、「よかったら、楢葉も見てきてください」と言ってくださいました。
ボクはその瞬間まで、楢葉町に行くことを迷っていました。
その夜、ツアーに参加したメンバーで、行くべきか、行かないべきかを話し合いました。
全員一致で、行くことにしました。
翌朝は雨。
沿岸部には10回以上行きましたが、雨が降ったのは初めてかもしれません。
雨の中、常磐道を北上しました。
ほとんど車は走っていません。

広野で下りると、道の駅ならはでトイレ休憩。
物々しい除染のチェックをしていました。
あとで知らべてみると、楢葉町の除染業者の宿泊及び食事の提供、宿泊する除染作業員と一般町民への入浴施設の提供場所となっているようでした。
そこではトイレだけ借り、とりあえず、楢葉町役場に向かいました。
目の前には、パトカー。
すれ違う車も、パトカー。
ものものしく誰もいない町をパトカーが走っています。
アルジャーノンの八橋さんに聞いたところでは、8月の警戒区域解除後、泥棒が多く入っているんだとか。それもあって、パトカーが多かったのかもしれません。
国道6号から外れると、車はボクたちしかいません。
人も歩いていません。
雨のせいではありません。
そこには誰もいないのです。
警戒区域は解除されました。
でも、15歳以下は入れません。宿泊もできません。ライフラインは公共施設しか復旧していません。
いまの楢葉町はそういう状況です。
アルジャーノンに向かいました。
震災前まで、八橋さんがパンを焼いていた場所です。

店の横には、大きな金木犀がありました。
雨に濡れたアスファルトに、オレンジ色が映えていました。

不思議と匂いがありません。
黒板には、パンの焼き上がりの時間がきれいに描かれています。

時間がきたらパンのにおいがして、ドアが開きそうでした。
そこから少し車を走らせると、中学校がありました。
工事中でした。
何の工事をしていたのでしょうか?
足場が組まれています。
草がぼーぼーと生い茂っていました。
不思議と、沿道の家々には生活感がありました。
それを〈生活感〉といえるかはわかりません。
でも、人の気配というか、体温の感じというのか、そういうものが家にあるような気がするのです。
誰かがいるような気がします。でも、人はいません。いることができないのです。
昔、ウィル・スミスが出ていた「アイ・アム・レジェンド」という映画がありました。その舞台の町のように、誰もがいなくなってしまっていました。もちろん映画と違って、そこには「だれも」いません。
ボクは、とても悔しい気持ちになりました。悲しい気持ちになりました。苦しくなりました。
その理由はよくわかりません。
よくわかりませんが、〈誰もいない町〉を受け入れることができるまでに時間がかかりました。
いままでの支援活動の中で、自分のふるさとや、自分の家族の歴史や、自分の思い出を無くした方々と接してきました。
でも、ここにはそうしたものたちが「ある意味においては」あるのです。
あくまでも、ある意味においては。
それを考えると、なんだか本当にとてもつらくなりました。
目の前にあるのに、そこに帰れないつらさ。苦しさ。
一瞬だけ帰ってこれたとしても、そこに戻り続けることができない現実。
それって、つらくないですか?
津波の被害で無くしたものを消化することもつらいです。もちろん。
どちらがつらいとかそういうことではありません。
でも、福島の人たちにとっては、無くなっていないのです。終わりにできないまま、これがいつまでかわからない時間、続いていくのです。
明日かもしれないし、明後日かもしれない。
1年かもしれないし、10年かもしれない。
ボクには、きっといつになるかわからない時間、目の前にあるものを待ち続けるのは、かなりしんどいです。
いま、東京のテレビからは「未来」ということばが聞こえてきます。
でも、ここでは、それがいつまでも「現在」の問題としてあるのです。
ボクは思います。この問題が解決しない限りは、本当の意味での未来は来ないと。
誰もいない町
そうした町が、いまもあるっていうことをボクたちは忘れたらいけないと思います。
役場から少しのところに竜田駅があります。ここは当然、電車は走っていません。改札には立て板がしてあって、入れません。
隣には、ポストがあります。ポストはビニール袋がかけられて封鎖されています。

隣には、真新しいトイレがりました。
トイレは、電気が付きます。水洗で、水も流れます。

誰もいない駅、誰も来ない駅で、トイレだけが使えるっていうこともまた印象的でした。
駅の周り360度はこんな感じでした。

そこのトイレが水洗なことを教えてくれたのは、楢葉町役場の職員の方でした。仮設トイレばかりなので、もしよかったら使ってくださいって。
また楢葉町のことについて教えてほしいって言ったら、丁寧に教えてくださいました。
そして、役場にあった掲示物のすべてが2011年3月のままだったことはとてもリアルでした。
東京に住む人たちは、原発の是非のことも、放射線量のこともいいんだけど、もっと、ここにいる、ここに住む人たちのことを理解しようとしてもいいんじゃないだろうか?
震災以降、東京の人たちは被災者の話をするとき、いつだって最終的には「命」と「金」の話しかいない。本当にそれでいいんだろうか?
ボクたちは、自分の話をするときには、いつだって人間は命があればいいわけじゃないとか、お金がすべてじゃないとかそういうことを言う。
命よりも、お金よりも大事なものがあるんだという。それがわかるのが人間なんだと。
でも、この震災以降、人に対してはとかく「生きていたんだからいいじゃないか」とか「金もらっているんだからいいじゃないか」という心無い言葉を平気で投げつけたり、人によってはそれさえも考えない。
そこに人がいることを理解しようとしない。
そういうことを考えようとしないのは、人間であることを放棄したってことなんじゃないだろうか?
昔、ゴーストタウンと言った大臣が更迭されました。彼は、福島に行って、福島を見て、ゴーストタウンって言い、早くそれを解決しなければいけないと言ったとボクは記憶しています。彼が言ったのは「町」であって、彼は「人」を守ると言った。
あのとき、糾弾した記者は、ここに来たのでしょうか?
この街を見たのでしょうか?
誰もいない、この体温の残る町を本当に見たのでしょうか?
記者が守ったのは、「町」で、人ではありませんでした。
人はまだここで生活していません。
ボクたちはもう一度、未来に向けて考えなければいけません。
ボクたちが本当に大事にしなけれないけないことは何なのか。
なにを未来に残していこうとしているのか。
今回の福島ツアーは、そういうことを考えるきっかけになりました。
いわきから楢葉町へ行きました。

楢葉町は、福島県浜通りにある町です。東京電力福島第二原子力発電所の1号機ー4号機があります。
現在、住民の多くはいわき市に避難していて、役場もいわき明星大学内に出張所を構えています。警戒区域が8月10日午前0時に解除され、避難指示解除準備区域に指定されました。
正直、いろんな不安がありました。東京では毎日、原発賛成か反対か、そればかりが話題にあがります。
原発を止めると電力が安定して供給されず、経済は下降するんだとか…
原発は未来のこどもたちの安全のために止めるべきなんだとか…。
福島のモノは放射能で汚染されているとか、されていないとか…
毎日そんなニュースばかり。
ボクたちチームNは、被災「地」支援ではなく、そこに住む人に目を向けることをモットーにした団体です。
お金もない、キャリアもないボクたちができることは、人を大事にすること。
人とのつながりしか持たないボクたちが、人とのつながりを無くしてしまったら、何が残るのでしょうか?
そういう意味でも、ボクは迷っていました。
放射能の問題もありましたが、それ以上にボクとしては、他県から何も知らないボクたちが、車で楢葉町に入っていいのか、どうか…。
今回のツアーで、ボクたちは、楢葉町からいわき市に避難してきた八橋さんという方と知り合うことができました。
アルジャーノンというパン屋さんを楢葉町で開いていらっしゃいました。いまは、いわき市の仮設住宅の横の仮設店舗で営業されています。
避難後のこと、その後東京の仲間のお店でパンを焼き始めたときのこと、仮設店舗で営業を再開されたこと、いろんな話を伺うことができました。
そして、最後に、「よかったら、楢葉も見てきてください」と言ってくださいました。
ボクはその瞬間まで、楢葉町に行くことを迷っていました。
その夜、ツアーに参加したメンバーで、行くべきか、行かないべきかを話し合いました。
全員一致で、行くことにしました。
翌朝は雨。
沿岸部には10回以上行きましたが、雨が降ったのは初めてかもしれません。
雨の中、常磐道を北上しました。
ほとんど車は走っていません。

広野で下りると、道の駅ならはでトイレ休憩。
物々しい除染のチェックをしていました。
あとで知らべてみると、楢葉町の除染業者の宿泊及び食事の提供、宿泊する除染作業員と一般町民への入浴施設の提供場所となっているようでした。
そこではトイレだけ借り、とりあえず、楢葉町役場に向かいました。
目の前には、パトカー。
すれ違う車も、パトカー。
ものものしく誰もいない町をパトカーが走っています。
アルジャーノンの八橋さんに聞いたところでは、8月の警戒区域解除後、泥棒が多く入っているんだとか。それもあって、パトカーが多かったのかもしれません。
国道6号から外れると、車はボクたちしかいません。
人も歩いていません。
雨のせいではありません。
そこには誰もいないのです。
警戒区域は解除されました。
でも、15歳以下は入れません。宿泊もできません。ライフラインは公共施設しか復旧していません。
いまの楢葉町はそういう状況です。
アルジャーノンに向かいました。
震災前まで、八橋さんがパンを焼いていた場所です。

店の横には、大きな金木犀がありました。
雨に濡れたアスファルトに、オレンジ色が映えていました。

不思議と匂いがありません。
黒板には、パンの焼き上がりの時間がきれいに描かれています。

時間がきたらパンのにおいがして、ドアが開きそうでした。
そこから少し車を走らせると、中学校がありました。
工事中でした。
何の工事をしていたのでしょうか?
足場が組まれています。
草がぼーぼーと生い茂っていました。
不思議と、沿道の家々には生活感がありました。
それを〈生活感〉といえるかはわかりません。
でも、人の気配というか、体温の感じというのか、そういうものが家にあるような気がするのです。
誰かがいるような気がします。でも、人はいません。いることができないのです。
昔、ウィル・スミスが出ていた「アイ・アム・レジェンド」という映画がありました。その舞台の町のように、誰もがいなくなってしまっていました。もちろん映画と違って、そこには「だれも」いません。
ボクは、とても悔しい気持ちになりました。悲しい気持ちになりました。苦しくなりました。
その理由はよくわかりません。
よくわかりませんが、〈誰もいない町〉を受け入れることができるまでに時間がかかりました。
いままでの支援活動の中で、自分のふるさとや、自分の家族の歴史や、自分の思い出を無くした方々と接してきました。
でも、ここにはそうしたものたちが「ある意味においては」あるのです。
あくまでも、ある意味においては。
それを考えると、なんだか本当にとてもつらくなりました。
目の前にあるのに、そこに帰れないつらさ。苦しさ。
一瞬だけ帰ってこれたとしても、そこに戻り続けることができない現実。
それって、つらくないですか?
津波の被害で無くしたものを消化することもつらいです。もちろん。
どちらがつらいとかそういうことではありません。
でも、福島の人たちにとっては、無くなっていないのです。終わりにできないまま、これがいつまでかわからない時間、続いていくのです。
明日かもしれないし、明後日かもしれない。
1年かもしれないし、10年かもしれない。
ボクには、きっといつになるかわからない時間、目の前にあるものを待ち続けるのは、かなりしんどいです。
いま、東京のテレビからは「未来」ということばが聞こえてきます。
でも、ここでは、それがいつまでも「現在」の問題としてあるのです。
ボクは思います。この問題が解決しない限りは、本当の意味での未来は来ないと。
誰もいない町
そうした町が、いまもあるっていうことをボクたちは忘れたらいけないと思います。
役場から少しのところに竜田駅があります。ここは当然、電車は走っていません。改札には立て板がしてあって、入れません。
隣には、ポストがあります。ポストはビニール袋がかけられて封鎖されています。

隣には、真新しいトイレがりました。
トイレは、電気が付きます。水洗で、水も流れます。

誰もいない駅、誰も来ない駅で、トイレだけが使えるっていうこともまた印象的でした。
駅の周り360度はこんな感じでした。
そこのトイレが水洗なことを教えてくれたのは、楢葉町役場の職員の方でした。仮設トイレばかりなので、もしよかったら使ってくださいって。
また楢葉町のことについて教えてほしいって言ったら、丁寧に教えてくださいました。
そして、役場にあった掲示物のすべてが2011年3月のままだったことはとてもリアルでした。
東京に住む人たちは、原発の是非のことも、放射線量のこともいいんだけど、もっと、ここにいる、ここに住む人たちのことを理解しようとしてもいいんじゃないだろうか?
震災以降、東京の人たちは被災者の話をするとき、いつだって最終的には「命」と「金」の話しかいない。本当にそれでいいんだろうか?
ボクたちは、自分の話をするときには、いつだって人間は命があればいいわけじゃないとか、お金がすべてじゃないとかそういうことを言う。
命よりも、お金よりも大事なものがあるんだという。それがわかるのが人間なんだと。
でも、この震災以降、人に対してはとかく「生きていたんだからいいじゃないか」とか「金もらっているんだからいいじゃないか」という心無い言葉を平気で投げつけたり、人によってはそれさえも考えない。
そこに人がいることを理解しようとしない。
そういうことを考えようとしないのは、人間であることを放棄したってことなんじゃないだろうか?
昔、ゴーストタウンと言った大臣が更迭されました。彼は、福島に行って、福島を見て、ゴーストタウンって言い、早くそれを解決しなければいけないと言ったとボクは記憶しています。彼が言ったのは「町」であって、彼は「人」を守ると言った。
あのとき、糾弾した記者は、ここに来たのでしょうか?
この街を見たのでしょうか?
誰もいない、この体温の残る町を本当に見たのでしょうか?
記者が守ったのは、「町」で、人ではありませんでした。
人はまだここで生活していません。
ボクたちはもう一度、未来に向けて考えなければいけません。
ボクたちが本当に大事にしなけれないけないことは何なのか。
なにを未来に残していこうとしているのか。
今回の福島ツアーは、そういうことを考えるきっかけになりました。